見出し画像

炊き出し日記

tenohasiというNPO法人があります。路上生活者への支援を総合的に行なっている団体です。そこにボランティアに行ったときの記録です。

残暑も引き、急に涼しくなる。9月14日はそんな日でした。それでも、公園の配食ではセミが鳴いていたのを覚えています。もう夏が終わるのか、そう感じさせる涼しい風が吹いていました。

今回、ボランティアに参加したのは、職場の新人研修の一環です。自分でボランティアを見つけてアポを取れということなので、昔よく参加していたTENOHASIの炊き出しに行くことにしました。

調理から参加するのは久しぶりでした。集合はいつもの11時。休日だから、まだちょっと寝足りないなと思いつつ、家を出ました。

まず、最初のミーティング。自己紹介をし役割を決めました。初めての方が多く、そして結構遠くから参加されてるんだなと知りました。近くに住んでる自分は気軽に来れるけど...中には他県から来られる方もいるようです。

僕の知っている炊き出しは、全て屋外での調理でした。だから、いままでと少し様子が違うなあと少し驚いていました。前は人数も、初めての方もこんな多くなかったはずです。屋内で調理をし始めたのはもうかなり昔の話だよと聞いて、調理班としての参加が数年ぶりであったことに、そのとき気が付きました。雨が降った時はカッパを着て、ブルーシートを張りながらの大変な作業だった記憶があります。屋内での作業だとその点とても良いですね。

調理器具や入れ物は食中毒を起こさないためにも、念入りに洗います。まず、器がないと他の作業もできないので最初はこの作業です。調理している間も断続的に洗う作業が必要になってきます。

お米は8Lを5釜だったかな。とんでもない量です。1人だったら、1年間あっても消費しきれるかどうか…。まさか、お米をこぼすわけにもいかない。手が滑ったらかなりの量のお米が無駄になります。だからとても慎重に作業をしました。ただ、お米を研ぐだけの作業にかなりの時間を要しました。

そして、ひたすら野菜をザクザク切っていく、こんなに爽快感のある作業はないでしょう。果てしない量の野菜です。いつもスーパーで売っているパックごと、じゃなくてダンボールの箱ごとまるっとです。この日は卵がたくさん届きました。100個くらいあったそうです。

初参加の方からは、こんなにたくさん卵を溶かすなんて「ぐりとぐら」の世界みたいだ、という声も聞こえました。確か、大っきなカステラを作るお話があったような。

(大量の卵を鍋に入れる瞬間…!)


今日は涼しいはずなのに、この部屋だけ熱い…。煮込み場には熱気が漂っていました。お米を炊く釜の他に、スープが3つの大きな寸銅なべが使われています。味付けはなべ1つあたり2Lの醤油を丸ごと、どぼどぼと。ジャグに用意するコーヒーもインスタント1ビン丸ごと...。

とても不思議なことなのですが、投入する醤油の量は同じでも、鍋によって味が違ってくるらしい。少し味見をさせてもらいました。うん、想像以上に濃さが違う。でも、ご安心を。最後は全てまぜ合わせるので均一な味になります。


(味が均一になるようにコンテナに移す…)

こんな豪快な料理の体験をしてみたい方はぜひ調理班に来てください。他の方もよく言われることですが、作業は和気藹々と雑談やお話しをしながら、のんびりゆるゆるとやってます。まかないも、美味しいですよ。納豆、卵をトッピング、焼きそば、ごはんが食べられます。

さて、調理が終わったら、公園へ移動です。食べ物はトラックに運ばれて。僕たちはバスに揺られて。初めての方は公園の見学ツアーがあります。

この日はちょっと早めに着いたのかな、公園では衣料配布をしていました。色んなところから集められた服ですが、中には靴やネクタイなんかも並んでいます。

今回はボランティアに初参加の方が多くいらしていたので、配食はそちらに任せて、自分は容器や割り箸の回収を担当しました。声は積極的にかけようと思っています。ありがとうございますとか、美味しかったとか、たった一言で一瞬でもお互い幸せな気分になれるなら、いいじゃないかと思いながら。ボランティアの方も炊き出しに並ぶ方ももしかしたら、そういったものを求めて来ているのかもしれません。

この日も多くの方々に炊き出しに並ばれていました。ホームレスの方は減っている、そんな話をよく耳にします。確かにそうなのでしょう。ただ、炊き出しに並ばれている人の列を実際に目の前にすると、まだまだたくさんいるんだな、炊き出しが必要とされているんだなと、そう実感します。


 (スープは余らないように…ご飯が余ったらお弁当にします。)

今回はちょっと変わった出会いもありました。たまたま偶然、職業的に近い分野の方が数人いらっしゃいました。業界のお話などで盛り上がりました。炊き出しの場でそんな話をするとは思わなかったので軽い驚きです。いつ、炊き出しに並ぶ側になるかもわからないよね、そんな言葉も出てきました。

最後、ゴミ拾いをしながら公園を一周しました。迷惑がかからないようにです。炊き出しは公共の場所としての利用の範囲の中で行なっています。だから、公園に来たときよりも綺麗にして帰ります。

ボランティアに参加する、初めての場所に行く。これは結構、勇気が必要なことだと思います。だけど、一歩踏み出してみてはいかがでしょうか。ただ手伝い、体験するだけでなく、TENOHASIの活動についてや、路上生活者の支援に関する貴重なお話を聞くことができます。また、たまたま知り合った人から思いもがけない話が聞けることもあります。これは実際に足を動かさなければ得られないものです。ぜひ、フィールドワークの一環として、自主的な社会科見学の一環として。

自分が炊き出しに参加し始めたきっかけになる事件が起きたのは、もうずっと前のお話です。「ホームレス襲撃事件」です。当時はかなりの大騒ぎでした。友達が事情聴取に呼ばれたり、当時の自分の生活圏には路上生活者が身近なところにいたため、あまり他人事には思えませんでした。

また、その後に学校で受けた路上生活者の問題に関する講演がかなり印象に残っていました。そして、高2の頃だったかと思います。初めて炊き出しに参加しました。自分にはそんな経緯がありました。

何回か参加すると、炊き出しにはただ、食事を提供する場というだけではなく、他の人と交流する場としても機能していることが分かります。公園としての本来的な役割ですね。会話が生まれる場所です。このブログで、なんとなく、暇つぶしで来ている、と書かれているのを見ました。そうやって気軽に来れる場所であるからこそ、人が集まるのだと思います。

この頃は、お一人様な空間が増えているようです。公共の場所のあり方や捉え方も変わってきました。公園で炊き出しをすることが迷惑だと思う人もいるでしょう。だからこそ、炊き出しをする、人が集まる、これ自体が問題提起となりうるだろう、と思っています。

いや、迷惑でなんかないよ、必要なことだよと堂々としている。その一方で、その感覚の違い、を少しでも解消するための努力をしています。様々な細かいことに気を配って広報もしながら活動しています。

炊き出しの活動が必要なくなる、これが目指すべきところだと思います。ただ、いまのTENOHASIの多様な活動は、お腹を満たす、支援する、それ以上の意味を持ちつつあります。具体的にどんなものかは分かりませんがTENOHASIの担う機能は継続して残っていてほしいなあと思っています。

自分を炊き出しに向かわせるのは、第一に好奇心、第二に人とのつながり、第三に、社会とのつながりの実感かなと思っています。どれも自分自身のためです。だから、炊き出しの参加に特にリターンなんかは期待していません。

好奇心とは、まだ見ぬ世界を知りたいという気持ちです。色んな人の話が聞きたいといつも思っています。「愛の反対は無関心」これは自分を炊き出しに連れて来てくれた人が言っていたことばです。

人との繋がり、とは懐かしい人に会えるかも、という期待です。今回も知っている方が炊き出しに参加されていました。そういうことがあると嬉しい。また、新しい出会いもあります。

そして、社会とのつながりの実感。どうしたって狭い世界で生きざるを得ない我々には社会の中でどうしても知らない部分が出てくる。そういったところで大変な思いをしている人がいたとしたら?そんなところに接点を持つことが1つの目的でもあります。目の前にいる困っている誰かに対して、社会の一員として何かをすること、そういった社会参加がしたくて、という気持ちがあります。

配食場所が東池袋中央公園に移動してから、そろそろ10年が経つそうです。長いですね。このような運動が継続するには責任感が動機だけでは続かない。きっと、多くの人が人それぞれ違う思いを抱えてこの場に集まったからでしょう。路上生活者にも、支援者にも、きっと、それぞれの物語がある。これからも、この公園で、絶えず紡がれて、そして交差していくことかと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?