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小5娘のクラス替えを心配しすぎる母親の気持ち

負けて悔しいはないちもんめ。
あの子が欲しい。
あの子じゃわからん。
相談しよう。
そうしよう。

「はないちもんめ」の遊びには、全国共通のスタイルがあるのだろうか。数人が手を取り合い、2つのグループに分かれ向かい合う。歌を歌いながら寄って離れて。

「あの子が欲しい」と名前を読んでもらったら、呼ばれた人同士がじゃんけんし、負けた方のチームに名前を呼ばれた子が移動する…日本全国、どこで行われていたとしても、おおよそこんなルールによってだったろうと思う。

当時、小学5年生だった私のまわりでは、このはないちもんめ遊びが流行っていた。クラス替えがあったすぐの5月。私は名前を読んでもらえなかった。いつまでたっても。

仲よくしていた子たちと離れ、新しいクラスには、まだなじめていなかったのかもしれない。冷静に考えたら、はないちもんめを一緒にやっていたのだし、決してひとりぼっちというわけではなかったのだろうけれど、「私は、欲しいと思ってもらえない奴なんだなぁ…」と自分自身を恥じていた。

人の目が気になる子だった

人の目を気にする子で、人にどう思われているかが最大の関心ごとだったような時期がある。すごく自意識過剰だったと今は思う。でも当時は、新しい人間関係をイチから構築していく必要がある新年度がとても気の重い日々だった。

それは、今年、5年生になる私の長女も同じなのでは、と始業式が近づくにつれ感じていた。

5年生。体つきもすこし変化して、話すことも大人びてくる。思春期に片足つっこんでるような繊細な時期を過ごす長女。友達関係も難しくなったりするのかな…人間関係で悩んだりしてないかな。私が悩んだことを、娘も経験するんじゃと思って、知らずしらず不安になっていた。

新学期、初日が終わり帰ってきた娘に開口一番、私が尋ねたことと言えば、「大丈夫やった?」の問い。いったい何がどうあったら「大丈夫」だというのだろう。

・お友達と一緒のクラスやった?
・やっていけそう?
・つらくない?寂しくは、ない?

長女曰く、いつも行動をともにしていたようなお友達とはみごとに離れてしまったようす。先生も新任の方で、まだそのキャラもわからないと言う。

小学5年生の私が経験したら、きっと胸がぎゅっとなるような状況について、たんたんと話す娘に「なぁ、ほんまに大丈夫?つらくない?なんかあったら言ってや、すぐに。」畳みかけるように話した。

私の心配はよそに、「お母さんなんでそんな心配するの。」と娘はちょっと怪訝そう。だから、私が小学校の頃の思い出を話してみた。

友達と仲良くできなかったらとか、人に嫌われたら…とか、すっごく気にする子だったこと。
出会いの季節は、母にとってはとても怖い季節でもあったこと。

話しながら、当時の気持ちがよみがえるようで、少し切なくなってしまった。

そんな長女が私にひとこと言ったこと。

「人の心なんて、読めへんのに。気にしてもあんまり意味ないよねぇ。嫌われたらって…。まぁ…そういうこともあるかなって思うかな、私は。」


………

…………

強い。強いではないかあまりにも。


そう、私は私自身を娘に投影している。私が経験した想いを、きっと彼女も経験してしまうのではとびくびくしていた。

でも、彼女は私とは違うのだ。私とは違う人生を歩む。それはもう、とても良い意味で。

大丈夫かも。うん、きっと、大丈夫。心配しすぎなくて、大丈夫。
ひょうひょうとする長女のそばで、私は誰かに声をかける。

多分それは、小学5年生の頃の私に。

私と娘は違うということ

子育てをしていると、子どをを自分だと思い込んでしまうときがある。気持ちに寄り添いすぎるがあまり、必要のない恐れを抱くことも。

でも、彼らは私とは違う生き物なんだ。私なんかが思う以上に強いし、しなやかで、そして人生を楽しむ力だってある。

4月。クラス替えのすこし寂しい季節も、彼女にとってはきっと楽しい季節なのかもしれない。

いつもと何ら変わらず、「今日は新しいクラスで鬼ごっこしてきた~」と報告してくれた彼女の日々を、ただ横で眺めていようと思った。

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