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「たくさん人を、幸せにした方が勝ちにはできひんの?」終戦記念日に娘に教えてもらったこと。

8月15日、娘が突然泣く

終戦記念日。あの日から78年。恐ろしいのは、毎年毎年、その日に対する特別感が、私の中で薄まっていると気づいたこと。日々は何かと忙しく、自分と自分の半径数メートルを整えるのに必死な日すらある。

だから、78年前の出来事を、それがどれだけ重くて、忘れてはいけない出来事であったとしても、忘れてしまうことも、ある。そんな自分が情けないと思うできごとが、あったので記しておこうと思います。

10歳の壁の話をこちらで書きました。
長女、まもなく10歳。少しずつ「世界」が見え始めている彼女。特にこの夏は、ふと泣くことが多くありました。

驚いたのは、「死ぬ」ことを考えて、怖いと言ったこと。身体がどんどん衰えて、動けなくなったらどうしよう。(夏前に体調崩してたからその影響もあり)そんなことを言って泣くのです。「お母さんは、子どもの頃そんな気持ちになったことはないの?」と。

私も振り返ると、自分がある日突然いなくなる、ということを想像して、そしてたとえ自分がいなくなったとしても、世界は変わらず回っていくということなどを想像して、恐ろしい気持ちになったことが…あったような気がします。

大人になった私は、「そんなことを考えたって仕方ない」って割り切れますし、「見ないようにして」日常を回していくこともできるようになりました。そこそこに、ずうずうしく、生きられるようになったんですが。子どもの頃ってひとたび自分の中に沸いた疑問やら何やらを、全身で感じて、浸かって、しんどくなったりするのかもしれません。

さて、そんな思春期長女。終戦記念日から数日たった夜中に突然また、泣き始めます。

「どーしたん!!(また体調悪くなったんかなぁ)」と焦ってたずねる私。夏休みが終わるから、寂しくなってるんかなぁって思っていたら、娘から思わぬ言葉が。

「お母さん、もしまた戦争が起こったらどうしよう。」
「さっちゃんは別にいいねん。でも、さとちゃんとかがこわい思いしたらどうしようって思うねん。」
「今はお腹すいたら買い物いけば食べ物あるけど、それもなくなるんやろ?お腹すかせはったらかわいそう。」
「誰が戦争って始めるん?」

そんなことを、矢継ぎ早に問う彼女。びっくりしました。

世にうっすらと漂っている戦争の雰囲気を、彼女は感じている。ニュースでも、観るもんね。今日もどこかで戦争があるのが、現実。

自分のこともさることながら、自分より幼い妹やいとこが傷ついたり、怖い思いをしたりすることも想像して、きっとおそろしくなっているんでしょう。

「誰が戦争を始めるん。」「もし戦争が起こったらどうしよう。」

こういう問いに、ずばり的確な答えを出してやることもできず、私が話したことと言えば、「大丈夫大丈夫。ぜったいそんなことが起こらないように、お母さんやさっちゃんが、しっかり気持ちをもっていよう。」っていうふわっとした精神論のみ。みなさんなら、何て答えますか?

いちばん人を、笑わせた人が勝ち、とか、そういう風にしたらいいのに。
たくさん人を、幸せにした方が優勝とか。


これは彼女がふと漏らした言葉。ほんまやね、ほんまにそうやん。なんでそういうことが、大の大人が何人も集まって、できひんのでしょう。なぁ頑張れよ大人。何とかできひんのかいな。

傷つけるとか悪口言うとか、ましてや戦争なんて方法をとらずに、人を幸せにしたもん勝ち!なんて方法は、選べないのかなぁ。いや、本気出したらできるんちゃうん。

お仕事するにしてもそう。人間関係ひとつとってもそう。人を大切にするっていうさぁ、愛情をベースにする。そこをスタートとする。

少なくとも自分はそうあろうと、大人の一人として思いました。
子どもが「あぁ今日も楽しかったわあ。明日も楽しみ!」って思える今日を生きられる世界。晴れ晴れと日々を生きることができる世界。

そういう世界をつくる方法をさ、本気で考えないといけないんだよ、ね。

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