「怒り」という表現は取り扱いが難しい、、、けど。
今日の記事は後ほど加筆・修正・消去するかもしれません。
ことばがとっ散らかっているけど、なぜか昨日から頭の中に浮かんできて、「出して」と言っている気がしたので、ただただ綴ります。
わたしはある時期まで、キレる人ばかり遭遇するなと思っていた時期があります。(今思えば、わたしが意識をしていたからかもしれません)
そんなあるとき、ついに事件が起こります。(もうずっと昔の話)
なんと、わたしがキレちゃったのです。キレる相手に対して。
キレた先はアルバイト先の上司。
毎日キレられることに耐えきれなくなったのか、顔中ニキビだらけ。心も体も限界がきていました。(でも今思うと、自分のことで忙しかったことも原因のひとつだと思います)
そんな日が続いたある日。フッと糸が切れて
辞めることをお伝えしよう伺った日。
どうしても話がまとまらず、最終キレてしまう私。
これが人生ではじめて他人にキレた瞬間だと思います。
わたしははじめてここで怒りを表現するという方法を覚えました。
それまでは何をされてもただ、笑う人でした。
父がキレているときは、ただただ隠れていたし、学生時代いじめられたときも何も言えなかった。
わたしには怒りを表現する術がなかった。(だから今たぶん芸術が好きなのだろうと思う)いや、そもそも自分の「怒り」に気づいていなかったのかもしれません。
今思うと、この人のおかげでわたしは自分の怒りを認識してかつ
それを出すことができたんだと思います。
場面は変わって、
ある生徒がいました。その子は頑張り屋さんなんだけど、思うようにいかないことがあると癇癪を起こしがちな子でした。
もともと大きい音や動作に耐性がないわたしは、最初のうちは内心びびってそれがいつ顔に出ないかと不安な日々が続きました。
でもなぜかわからないけど、あるとき、毅然としていようと思い、
ただ、見守る。ただ、待つ。
それも何にも気にしてないから。みたいな態度で。
そうしたら自然と次第にその癇癪が落ち着いてきて、驚いたのとほっとしたのを今でも覚えています。
そんなことがありながら、今から約4年前、何かの最終試験かのように亡くなる前の父とのやりとりがあるのだけど、それはまだうまく言葉にできない。ただ、昔とは違ったことがいくつかあって、自分の気持ちを表現できたこと。キレる人の内側がなんとなく、ほんとうになんとなく昔より少しわかるようになった気がした。
父の苦しさも今なら少しわかる
上司の人の尊敬できる部分も知っている
その子が頑張ろうとしていることも知ってた
父も含めて、みんなみんななんていうか不器用すぎるよ。ほんとうに。
もう。
まぁそれはわたしもだからお互いさまだけれど。
それから不思議なことに、キレる人との遭遇がばったりなくなった。
それこそ何かクリアしたのか、はたまた自分が意識をしなくなったからか、理由はわからない。
ただ、この一連の出来事はわたしにとって「怒り」や「怒る」ことについてたくさん向き合う機会をくれました。
思えば、わたしは自分の怒りに無頓着でした。
「怒り」よりも「悲しみ」にフォーカスしていたのか
または「怒り」を無意識に忌み嫌っていたのかもしれません。
でもそうやってないことにしてたから、
「いやいや、あんたの中にもちゃんとあるんだぜ」
みたいに「怒り」さんがそれこそ怒ってやってきたのかもしれません。
「怒り」ってパワーにもなるんだ。とやっと最近実感するようになりました。何か行動する際や、〜するんだ!!っていうとき、そういうときに発揮できるエネルギーを持っているような気がします。
それこそ昔のわたしは、人畜無害。だけど、何かに向かっていくパワーやそれこそこんな何かを発信する勇気すらなくて、ただただ安全・安心を守るために生きていたような気がします。
でも今はちゃんと「怒り」を感じます。なにくそーと思うことや理不尽だなと思うことに対して、「嫌だな」と感じて、「ではどうしようかな」と考え、選択することができる。
まぁこれも書いていて気づいたことなんですけど笑。
それがもしかしたら今の私に必要だったことなのかもしれません。
そう思うと、やっとこのお話を手放せそうな気がします。
ここまで読んでくれた方、ほんとうに感動しかないです。
ただただありがとうございます。
そんな優しいあなたにどうかたくさん幸せが訪れますように!!
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