見出し画像

イタリア映画界の旗手が放つ傑作ノワール。2/17刊行『老いた殺し屋の祈り』【試し読み】

2月のハーパーBOOKSはイタリア映画界の巨匠が放つ傑作ノワール『老いた殺し屋の祈り』。

マリアーノ・ロミーティ文学賞デビュー作部門受賞!
この命が、尽きる前に。
最強の殺し屋、〈熊(オルソ)〉。
組織に背を向けた男の、最後の仕事とは――

画像1

2/17の発売を前にnoteで試し読みをお届けします。
ぜひご一読ください。

*****

【2021/2/17刊行】
『老いた殺し屋の祈り』(ハーパーBOOKS)
マルコ・マルターニ[著]
飯田亮介[訳]


 オルソは目を開いた。とたんに天井の薄明かりに視界を焼かれた。急いでまぶたを閉じたが、左右の網膜に白い染みが残った。訳がわからず、彼は動揺した。もう一度、慎重にやってみる。今度はずっとうまくいった。
 本能的に頭を起こすと、いきなり吐き気に襲われた。頭を枕に戻してこらえた。胸の上に誰かが座っているみたいに息が苦しい。見れば、傍らに医師が立っている。白衣を着たはげ頭の中年男だ。医師の冷たい指がまぶたに触れ、ぐっと開くのを感じた。
「まだ起きないでください。急に体を動かすのもやめましょう」医師は聴診器を耳にかけながら言い、オルソの患者衣の裾をまくると、振動板を胸に当てた。オルソは胸に何も感じなかった。皮膚が感触を伝えてこない。
「ご気分はいかがですか。口をきくのがつらいとか、難しいようであれば、お答えにならなくても結構です」
 医師はフランス語を話したが、明らかに母国語ではなかった。ドイツ人かもしれない。オルソは口を開いてみたが、なんの音も出てこなかった。唾を飲むと、砂でも飲み下したような感じがした。
「声が出なくても、ご心配いりません。薬のせいです」
 注意深く聴診をしてから医師は聴診器を外し、太った修道女の手からカルテを受け取ると、何か書きこんで返した。修道女は姿を消した。医師はしばし黙ってオルソを見つめた。
「心臓発作です。十二時間ほど前に全身麻酔で手術をお受けになったんですよ。わたしが執刀しました。冠動脈のバイパス手術です。胸骨から胸を切開せねばなりませんでした。今は鎮痛剤が効いていますが、少しでも違和感があったら、このボタンを押してください。すぐに看護師が駆けつけて、麻酔薬を少し追加しますので」
 医師は天井からぶら下がっているコードを手にした。先端には押しボタンのようなものがついている。医師はオルソの腕を上げ、それを握らせた。オルソはふたたび声を発しようとしたが、かなわなかった。そこで周囲を見回した。すると外科医は彼の疑問を察してくれた。
「ここはジュネーブです。ヘリで、マルセイユから搬送されたんですよ。さもなければ危なかったかもしれません。でもご安心ください。手術は成功しました。今は何も考えないことです。とにかくお休みになってください。では、明日また参ります」
 医師は微笑み─オルソには、頼もしい笑顔というよりも愛想笑いに見えたが─ベッドのそばを離れた。誰かがベッドの上の蛍光灯を消し、病室は薄闇に包まれた。オルソはしばらく目を開けたまま、あたりの様子を観察した。がらんとした、飾り気のない部屋だ。小ぶりのテーブルがひとつ、椅子が一脚、おそらくは木製の、両開きの衣装だんすがひとつ。あとは版画が壁に数点。
 意識を失う直前のことを思い出してみる。俺は家にいた。夜だった。めまいがして、それから痛みに襲われた─オルソは急に猛烈な疲れを覚えた。
 目を閉じる。〝今は何も考えないことです……〟うまくいかなかった。そうして目を閉じるたび、もう四十年以上、何も考えずに眠れた夜などあったためしがなかった。

 鎮痛剤のもたらした人工的な眠りの中、オルソは荒い息をつきながら狭い通りを歩いていた。あふれんばかりのひと通りだった。右手は女の子の小さな手を握っている。オルソはその子の存在に安堵していた。子どもの愛を感じ、頼りにされている気がして、嬉しかったのだ。
 人々が背後から乱暴に押してくるので、オルソは何度も転びそうになった。その上、前からやってくる者たちも道を譲ろうとせず、行く手をはばんだ。オルソは女の子とはぐれるのが心配で、百九十五センチの長躯とがっしりした両肩で彼女の盾になろうとした。彼は子どもの小さな手をぎゅっと握っていた。痛いだろうとは思ったが、ひと混みの中で女の子とはぐれ、二度と会えなくなるのではという不安はあまりに強く、胸を締めつけられ、息もまともにできないほどだった。
 彼はしばしば女の子に目をやったが、顔が見えたためしはなかった。彼女は栗色の、滑らかな長い髪をしていて、その髪を繰り返し耳の後ろにかき上げるのだが、顔は絶対に見せてくれないのだ。今度こそはと思って見つめるたび、女の子はそっぽを向いてしまう。
 オルソはその通りの終点で誰かに会うことになっていた。それはどうやら彼にとっても女の子にとっても重要な人物らしかったが、そこまでたどり着けないのではないかという不安にかられていた。あたりの騒音も耐えがたかった。人々が口々にしゃべる声は時とともにけたたましくなり、耳障りな甲高い金属質の音に犬の吠え声が、オートバイの改造マフラーの音とごちゃ混ぜになって響いている。頭がずきずきと痛みだした。両手で耳を塞いで気持ちを少しでも落ちつかせたかったが、それはできなかった。女の子の手を離すわけにはいかないからだ。
 また彼女に目をやると、少し背が高くなったような気がした。小さな手も少し大きくなっている。その時、多くの者たちが市場の売り手のように大声で叫びだし、下品な声があたりの騒音に重なった。
 オルソは苦労して進みながら、周囲の叫び声がやがて苦痛か恐怖の悲鳴に変わるのを聞いた。彼にはおなじみの悲鳴だった。何度聞いたかしれない。目前に迫った死への本能的な恐怖をなんとか静めようとして、犠牲者が無闇に上げるあの声だ。
 気づけば、傍らには若い娘がいた。先ほどまでの女の子と同じ滑らかな髪をして、同じ服をまとい、行儀よく淡々と歩いている。手はやはり彼の手を握り、顔は背けている。
 オルソは体力の限界だった。もう前には進めない、今に俺は倒れる。そう思った。
 群衆は相変わらずふたりの背を押し、もみくちゃにし、脇にのけようとしてくる。やがてオルソは、見知らぬ娘の手を握る自分の手が何かで粘つき、濡れているのに気づいた。見れば、彼の指はどれも真っ赤に染まり、液体が滴っていた。温かなその液体は、娘の袖口から流れ出ている。
 彼はパニックに襲われた。
 立ち止まり、娘の両肩をつかんで、どこから血が出ているのか探ろうとした。しかし真正面から彼女と向き合ったところで、彼は悲鳴を上げて、あとずさりをした。娘の顔があるべき場所には真っ赤な火口があり、そこから、ばらばらになった筋繊維が幾本もぶら下がっていたのだ。

 オルソは目を開いた。
 病室は暗闇に包まれていた。寝巻きが汗でぴったり肌に張り付いている。唾がまだうまく飲みこめない。先ほどのイメージを追い出そうとして頭を振ったが、その甲斐はなかった。娘は今も目の前におり、眼球はもちろん、もはや人間らしさのかけらもない姿で、オルソを凝視していた。彼の荒い呼吸は静まる気配もなく、まともに息ができない。猛烈な頭痛がして、今にも脳みそが耳から噴き出しそうだ。
 彼はボタンをつかみ、親指で押した。そして、看護師が来るのを震えながら待った。



 一週間が過ぎたが、医師や看護師たちの楽観的な言葉とは裏腹に、オルソの気分は落ちこむ一方だった。今日は背中の激痛と胸郭のあちこちの痛みで目を覚ました。片方の前腕に刺さったままの点滴針も、腕を動かそうとするたびに星が見えるほど痛む。
 病室の狭いベッドの鉄の手すりにつかまり、もっと楽な姿勢になろう、まずは横向きに寝ようとしてみたが、とたんに肋骨の凄まじい痛みに襲われた。思わず声を出し、歯を食い縛ったまま悪態をついた。マリファナが吸いたくてたまらない。愛用の葉っぱはいつもの場所……客間の本棚の缶の中だ。最初のひと口を吸いこめば、いつも心を包んでくれる、あの恍惚とした感覚が恋しかった。
 自由なほうの手で、マットレスの上にあるはずの、看護師を呼ぶボタンを探した。だがそこで、誰かがベッドの傍らに座っているのに気づき、彼はぱっと手を止めた。男だ。顔は逆光でよく見えない。男は開いた窓を背にして座っており、朝のその時間は日差しが真横から枕元へと届いて、オルソの顔をもろに照らすからだ。でも相手の顔立ちがわからなくても、彼にはひと目でロッソだとわかった。見慣れた背の低い体つきもそうだが、まるで神が首を授けるのを忘れたみたいに、肩のあいだにほとんどめりこんだ丸い頭でもわかる。オルソは目を細め、点滴針の刺さっていないほうの手を顔の前にかざして日差しをさえぎり、相手をよく見ようとした。ロッソ、俺の……なんと呼んだものだろう? 四十年以上のつきあいだというのに、彼は自分に対するロッソの立場をなんと定義したものか、いまだにわからずにいた。ぴったりくる言葉がないのだ。あるいは、あるにはあるのかもしれないが、使おうと思ったことがなかった。オルソにとってロッソはロッソだった。そして彼の〝雇い主〟のほうもそれでよしとしていた。
 ロッソは日差しがオルソの目をくらませているのに気づいた。彼は椅子に立てかけておいた散歩用の杖をつかむと立ち上がり、足を引きずりながら窓際に行き、ブラインドを軽く閉じて、明るさを加減した。そして椅子に戻った。
 まぶしさから解放され、オルソはようやく、皺と染みだらけの顔に浮かんだ相手の表情を見て取ることができた。いつもの皮肉っぽい笑顔だ。かつては自慢だった赤い前髪も今はすっかりはげ上がり、わずかに残った髪は完全に真っ白だ。しかしその目つきは、まだ若造もいいところだった昔とまるで変わらない。ロッソの目は、敵から非常に恐れられている。何事も真剣に受け止めないいたずら坊主みたいだが、その実、何を考えているのかさっぱり読めないからだ。
「ほらな、俺の言ったとおりだろ? お前は不死身なんだよ」
 オルソは鼻で笑って小男を見やり、馬鹿げた買いかぶりを却下した。しかしロッソはお構いなしで、ベッドに向かって身を乗り出し、こう続けるのだった。
「不死身じゃなけりゃ、スーパーマンみたいなもんだ。だって、そうだろ? この何十年ってあいだ、お前は何度も撃たれたし、俺の記憶に間違いがなければ、ショットガンで両腕と両脚を打ち砕かれたこともあったよな? 長い鉄串で片腕を串刺しにされたこともあったし、溺れ死にそうになったことだってあった。そして今度は心臓だ。お前がスーパーマンじゃなきゃ、誰がスーパーマンだ? あとな、俺が一番悔しいこと、なんだかわかるか。そのくせ、いつだってお前のほうがこっちより健康だってことさ。不公平だろ? 鏡を見てみろ! 一週間前は死にそうだったくせに、今、誰かここに来たら、心臓発作に見舞われたのは俺のほうだと思うに決まってるぜ」
 ロッソはその悲しい事実を笑い飛ばした。何年も前に診断された自己免疫性溶血性貧血がロッソの体に引き起こす症状は、専門家の目でなければ気づかぬ程度だが、黄疸による白目の黄ばみもあれば、摂取を余儀なくされている大量のコルチゾン剤によるむくみもあった。七十二歳という年齢の割にずいぶんと老けて見える。
 ロッソは真面目な顔になり、オルソを見た。
「病院の人間はよくしてくれるか」
 オルソはうなずいた。
「あんたが全部、取り仕切ってくれたんだろう……感謝してるよ」
 ロッソは〝気にするな〟という風に手を振った。
「ここの連中は、そりゃひどく値は張る」お前にはこっそり教えてやろうというように彼は言った。「だがな、心臓手術にかけちゃ、ヨーロッパでも最高の腕利き揃いなんだ」
 ロッソは椅子に背をもたせ、あたりを見回した。
「さっき、外科医と話したぞ。本当はあの野郎、家にいたんだ。電話をしたら、『夜通しの手術があったので寝てました』とか言ってたっけ。構わずヴィクトルを行かせて、連れてこさせたけどな」ロッソはくすくす笑った。「俺と会った時、先生のやつ、まだパジャマにスリッパ姿だったよ。お行儀よく文句を少々こぼしておいでだったが、すぐに落ちついてくれてさ。で、術後は順調も順調で、あとちょっとでまた歩けるって言ってたぞ。ひと月かふた月もリハビリをやれば、お前の体は新品同様だって。みんな、お前の帰りを楽しみにしてるよ。あ、忘れるところだった……」
 ロッソは上着からパステルで色とりどりに彩られた手紙を取り出し、オルソに渡した。一枚のA4用紙を半分に折ったもので、上のほうに〝オルソへ〟と記されている。子どもの字だ。
 オルソは手紙を開いた。
 中には、いかにも子どもらしい絵が描かれていた。背の高い大柄な男─間違いなくオルソだ─が金髪の男の子の手を引いている。もうひとり、黒い服を着た薄い赤毛の男がいたが、こちらは小さく、隅っこに描いてある。そのすぐ下にブロック体で〝Miki〟というサインがあった。
 オルソはうなずき、手紙をナイトテーブルに置いた。
「俺がお前のところに行くと知るなりミキのやつ、『おじいちゃん、待ってて!』と言って、自分の部屋にすっ飛んでったよ。それからその絵を持って戻ってきたんだ。絵を見た俺はすぐかっとなって、問い詰めたね。『おい……どうしてオルソはこんなに大きいのに、じいちゃんはやたらちっぽけで、しかも隅っこなんだ?』そしたら、あいつなんて答えたと思う?」
 オルソは首を横に振った。
「『もともとこの絵にはおじいちゃんはいなかったんだよ。でも僕、思ったんだ。おじいちゃん、きっとがっかりするだろうなって。だから描き足してあげたんだよ』わかるか。俺はわざわざ、恩知らずを大事に育ててるってわけさ」ロッソはひとしきりまたくすくす笑ってから、真面目な顔に戻った。「ミキのやつだって、早くお前に会いたくて仕方がないんだ。また乗馬に連れてってほしいんだとさ」
 オルソは積年の疲れがどっと降りかかってくるのを感じた。それこそ、冷たい水で満たされたバケツを頭の上でひっくり返されたように。
「俺はもう死人も同然の体だよ、ロッソ」
「馬鹿を言うな」
「医者なら、俺だって話した。前と同じ生活はできませんって言ってたよ。走るのも駄目、ストレスも駄目、セックスも駄目、あれもこれも駄目だとさ」
「手術は完璧に成功したんだ。そりゃ、しばらくは休まなきゃならんだろうが、そのあとはなんだって元どおりに……」
「俺はもう役立たずなんだよ。あんたにとってもただの足手まといだ」
「足手まとい? お前が? とぼけたことを言うな。お前が俺の足手まといなんてこと、未来永劫あるものか」
「嘘だな」
「いいか相棒、大変な目に遭ったんだから、少しくらい落ちこむのはしょうがないさ。ほら、なんと言ったけ……そうだ、〝外傷後ストレス〟ってやつだ。きっと、その手のストレスにやられているだけだな。だがお前は岩みたいに頑丈な男だ。心臓発作の一度くらいでやられるもんか。しかも超一流の医者がよってたかって治してくれたんだぞ?」
 オルソは首を横に振った。
「どうした? 何か言いたいことでもあるのか。このロッソになんでも話してみろ。遠慮するな。さあ、なんだ? 休みがほしいのか。なら、好きなだけ休め。たまにはのんびりしたらいいさ。退院したら、俺のハワイの家を貸してやろう。セイシェルの家でもいいぞ。うんざりするほど長く行ってこい。最後には、どうか帰らせてくれって、そっちのほうから泣く泣く頼んでくるくらい長くな」
 オルソには言い返す気力もなかったが、そうするほかに道がないこともわかっていた。彼はあらんかぎりの力を目にこめてロッソを見つめると、こう告げた。
「俺のことはもう忘れてくれ」
 ロッソは何も言わず、オルソを無表情に見ている。
「俺のことはもう忘れてくれ」オルソは繰り返した。できるだけ切実な声を出そうとした。「医者は、余生をできるだけゆったりと生きろなんて言ってたよ……とにかく興奮するなってさ。俺はもうあんたにとっちゃ無用な人間なんだ」
 ロッソはうつむき、駄目だという風に首を振りだした。「そんなの無理だ。わかるか。俺たちは友だちだ……友だちは見捨てちゃいけない」
 その言葉を聞いてオルソは理解した─理解の必要があったとすればだが─この病んだ鎖はけっして断ち切れない、と。前々からわかってはいたが、ひょっとしたら今ならば、ロッソも、かけらほどの哀れみを恵んでくれるのではないかと期待していた。しかしこの四十年強のあいだ、黄疸に黄ばんだ白目に沈む、濡れたあの緑色の瞳に同情の色が浮かんだためしなど一度もなかった。
 オルソはうなずいた。
「わかったよ」
 不注意な観察者であれば、ロッソの無表情に生じた変化には気づかなかったろう。だがオルソは、ボスの顔がかすかに安堵したと感じた。この機を逃してはいけない。
「でもひとつだけ、わがままを聞いてほしい。これだけはどうしても認めてくれ。駄目だと言うなら、ここで今すぐ俺を殺せ」
「おいおい、やけに芝居がかったことを言うじゃないか」
「俺は真剣だ」
「わかった、わかった。言ってみろ……何が望みだ?」
「アマルだ。彼女がまだ生きているのかどうかを知りたい。アマルと娘に会いたいんだ」
 ロッソは頬でも打たれたように、ぽかんと口を開け、また閉じた。オルソはこの四十年以上ものあいだ、この小男が驚くところを見たことがなかった。だからちょっと嬉しかった。ロッソのやつ、呆気に取られたぞ。もういつものにやけ面を浮かべて、動揺をごまかそうとしているが。
「まったくお前ってやつは!」
 オルソはうつむくまい、ロッソから視線をそらすまいと努力した。簡単なことではなかった。向こうも彼を見つめ、しきりにうなずいているが、実際は記憶を探り、何かを思い出そうとしているようだ。
「もうあれから……何年になる?……四十年か?」
 オルソは答えず、ただロッソを凝視した。
「お前は四十年も、俺に本音を悟らせまいとしてきたってことか……」ロッソはやれやれという風に首を振った。「信じられん! まだこだわっていたのか。お前もいい加減、忘れることにしたもんだとばかり思っていたが……参ったな」
 ロッソは心底驚いたようだ。これだけの歳月が過ぎればすべては忘却の淵に沈むと思っていたのだろう。一切は記憶から除去され、消去され、なかったことになるはずだ、と。
「あの時から……お前、ずっとあのふたりのことを考えていたのか」
「毎日、考えていたよ」
 誇張ではない。事実、そうだったのだから。

続きは本書でお楽しみください。

訳者・飯田亮介さんのあとがきは以下よりご覧いただけます。
こちらもぜひ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?