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間に合わなかったメロスのその後の話③


第2話↓


メロスの敗北 第3話(全6話)

●●●3

メロス、私の口から直接君に伝えられぬことを許してほしい。
私達は本当に佳き友であった。早くに親をなくし兄弟もいない私にとって、君は友であり兄弟そのものだった。

石工になるため君の故郷を離れるとき誓いあったな。どれだけ離れても、何年会わずとも、友に恥じない生き方をしようと。
君はずっと真っ直ぐな男でいてくれたのに、私はそう在れなかった。

君と再会したとき、実をいうと私はひどく動揺していた。真夜中にいきなり兵隊が訪ねてきて、何が何だか分からないまま王城に引き出され、はじめ私は何か罪を着せられ殺されるのではないかと恐怖した。

君から聞かされた話はとても受け止めきれるものではなかった。だがあんなことになっては否も応もない。牢に放り込まれた私は混乱したまま、この一晩のうちに起こったことが信じられないまま、眠れずに夜を過ごした。

私の気持ちが想像できるか。君は私に何一つの相談もなく、二年ぶりに会う友人を、自分の正義を示すためという理由で突然人質に仕立て上げ、三日間も牢で暮らせという。私の心情などいっさいお構いなしに。私だけでない。君の家族もだ。勝手に突っ走って、友も家族も置き捨てて死んでいく。残された人間の気持ちはどうなるのだ。頼んでもない、そもそも必要かどうかすらも分からない理由で君はあっさりと死に、それでいて残された私に胸をはって生きろというのか。正気じゃない。ひどい男だ。独りよがりで自分勝手な男だ。

夜が明ける頃には、私はすっかり君に腹を立てていた。王の残酷さより君の愚かさを憎んだ。

王は私が恐怖に怯えていると思って、何度も私をからかいに来た。
メロスを見限って命乞いをするなら処刑を考え直さぬこともないぞと私を揺さぶろうとした。
実に腹立たしかった。私はやけくそ混じりに、皮肉を込めて君を弁護してやった。

「メロスというのはおよそ常人の理解を超えた馬鹿正直な男で、ひとたび頭に血がのぼると他の一切はお構いなしの暴れ牛です。
あの男の臆病さを期待しても無駄です。そもそも臆病を感知する心がないのですから。
あの男は生まれてこのかたずっと熱に浮かされ続けているのです。シラクスを出たときと同じように、頭に血がのぼったままで戻ってきますよ」

王はその言葉を、君への全幅の信頼と受け取ったようだ。たいそう機嫌を損ねた様子で言った。
「いきがっていられるのも今のうちだ。そうやって威勢のいいことを言っていながら、土壇場で約束を破って裏切る人間を何人も見てきた。あの男には妹がいるのだろう。これから死ぬ男が妹の結婚式などまともにできるものか。未練が生まれ、心変わりするには十分な理由だ。守る者のある人間は脆い。あの男が二日後の日没にわずかでも遅れてきたら、お前は処刑される。そこの罪人のようにな」

そう言って王が合図すると、付き添いの刑吏達が別な牢を開け、一人の男が引っ張り出された。
哀れな男はがたがたと震え、見苦しいほどに泣き喚いて命乞いをしたが、刑吏たちは意に介することなく罪人を引きずっていった。
男の叫び声は牢のある部屋の扉が閉まったあとも聞こえてきて私の耳に残った。

「二日後にはお前もきっとああなる」言い残して王は立ち去った。

怒りがしぼんで、不安が頭をもたげてきた。

妹。ああ、メロスにはあの妹がいる。私もよく知っているあの妹を、メロスがどれだけ可愛がっていたか。
私はもう親も兄弟もない、失う家族はいない。だがメロスは違う。その妹のためにシラクスに来て、今また帰っているのだ。

君は妹と二度と会えなくなっても本当にいいのか。妹を残して死んでもいいのか。
きっと私のことは妹には黙っているだろう。だがもしも何かのきっかけで妹が知ったら、君は本当に戻ってこられるのか。私との約束を守り通せるのか。守る者のある人間は脆い。王の言葉が重くのしかかった。

もし、メロスが戻らなければ。
私はあの男と同じ運命をたどるのか。引きずり出され、磔にされて、無惨に殺される。
王は本気だ。二日後の日没を過ぎれば、もう待たないだろう。
私は殺される。何の罪も犯しておらず、ただメロスが戻らなかったというそれだけの理由で、見せしめに殺される。
それで私の人生は終わりだ。私がこのシラクスで築き上げてきたものもすべて終わりだ。
もし、メロスが戻らなければ。

夜になると私は一層不安で恐ろしくなった。メロスが私を見捨てるはずがない。見殺しにするはずがない。
そう必死に言い聞かせようとするのだが、冷たく暗い牢の中で、絶え間なく襲ってくる恐ろしい想像に抗い続けるのは、並大抵の苦しさではなかった。
君を信じようとすればするほど、君のその向こう見ずな性格や、これまでの無鉄砲な行いが思い出されて、君のことがわからなくなっていった。
こんなに苦しいのなら、いっそのこと君を信じるのをやめてしまおうかと思うまでになった。悪夢のような夜だった。

翌日の午後に王がやってきて告げた。
「約束の期日は明日だ。だいぶやつれているな。昨日の強がりはどうした?」
私はうつむいたまま黙っていた。
「今頃あの男は何をしているだろうな。ここでお前が苦しんでいることなど忘れて、祝宴の席で歌い、笑っているのではないか?
親友を牢に閉じ込めておいて、勝手なものだ」

ここで王の気が変わるのなら、仰る通りメロスはひどい裏切り者です、信じた私が馬鹿でしたとまくしたてて、哀れっぽく命乞いしてしまおうかとも頭によぎっていた。

しかし王の挑発に私は気力を振り絞り、きっと顔をあげ、無理矢理に笑みを浮かべて、
「メロスは私を忘れない。何があっても明日必ず戻ってくる。戻ってきたらその時は私達の勝ちです」ときっぱり言い放った。
それを聞いた王は、憎悪のこもった顔で私を睨みつけた。

「お前も、あの男も、大噓つきだ。明日になればきっとわかる。思い知らせてやる」と吐き捨てるように言って、去っていった。

とんだ見栄を切ったものだ。強がっても私達のどちらかが死ぬのなら、元から勝者などいないのに。
私はいよいよ気力が萎えてきた。身体を横たえ、もうどうにでもなれと思っているうちに、いつのまにか眠ってしまった。

どれくらい経っただろうか、辺りが薄暗くなっていた。
ふと私の見知った声が聞こえてきた。見ると、牢の外にフィロストラトスがいた。

フィロストラトスは私の家に住み込んで私の仕事を手伝っていたが、ここ数日用事で家にいなかった。
昨日の朝家に戻ると私の姿が見当たらずいつまでも戻らない。ほうぼう探し回った末、ようやく居場所を知って駆けつけたという。意外にも王は接見を禁じなかった。どのみち誰が来ようと助け出すことはできないし、弟子に会うことで私が命惜しさに弱音でも吐けば一興と考えたのかもしれない。

フィロストラトスはすぐに事情を飲み込むと、悔しさに歯ぎしりして言った。
「先生の親友が殺されるなんて、本当に悔しいです。私もメロス様と会ってみたかった。会ってたくさん話を聞きたかった。会う前からこんな形で別れがくることが悔しくてたまらない」

私は目を見開いた。弟子の言葉に、頭から冷水を浴びせられたような気分だった。

この弟子は、会ったこともない私の友を一切疑っていない。そして私の友への信頼も一切疑っていない。
メロスがここへ帰ってくると、私がそれを信じて待っていると、心から信じていた。

確かにフィロストラトスには折に触れて幾度もメロスの話をしていた。
子供の頃から家族同然に育ち、どこへ行くにも何をするにも一緒だったこと。
故郷の話や、幼い頃の話をするときは、必ずといっていいほどメロスの話になった。
勇敢で情に厚いが単純で無鉄砲な友人の話を聞くうちに、まるで自分の兄のように親しみを抱いていた。
次にメロスがシラクスに訪ねてくる機会を心待ちにしていた。

私は自分が恥ずかしくなった。つい先程までそんな友人を疑っていたとは言えなかった。
「お前は、会ったこともない私の友を信じてくれるのだな」

「もちろんです。メロス様は先生の信頼する無二の親友ですから。会わなくとも信じられます。いつも聞いているお話で十分に」

私はこのときほど弟子の言葉に救われたことはない。私の友への信頼は間違っていない。この若い弟子が思い出させてくれた。
フィロストラトスにとって、メロスを信じることと私を信じることは同じなのだ。

私は信頼されている。この若者に信頼されている。セリヌンティウスよ、信頼を不信で返してはならない。
私もメロスを信じる。メロスは約束を守る。きっと帰ってくる。
私は延々、帰って来るか、来ないかと気を揉んでいた。それより大切なのは私の在り方ではないか。
いま私がメロスを信じている。そのことが大事なのだ。

私は息を吹き返した思いだった。もう怖いものはなくなった。
「フィロストラトス、私の自慢の弟子よ。ありがとう、私はもう大丈夫だ。お前は家に戻っていてくれ。私のいない間留守を頼む」
フィロストラトスは頷いて、牢の隙間から私の手を握った。
「先生、どうか身体を大事にしてください。明日の日没に迎えにいきます」

弟子が去ると、私は明日のことに思いを巡らせた。

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