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【発達凸凹】記憶の記録〜長女編(誕生から小学校時代)〜

桜撮影にお出かけしようと思ってた、今日。。。
まだまだ 桜は咲いてないので 引きこもりの日曜日に決定。
午後からは ずっと noteの街を散歩をしていた。

書くネタががないので 今日は 今現在 明るいニート生活を楽しんでいる娘の幼少期のことなど。

長女が生まれた時代背景
・バブル崩壊で不況が深刻化
・PKO協力法案が成立、カンボジアに自衛隊派遣
・天皇陛下が史上初の訪中
・バルセロナ五輪で14歳の岩崎恭子が金メダル
・毛利さん、米スペースシャトルで宇宙へ

そんな中、生まれた長女は 歩くのは遅かったけれど お話上手で
幼稚園に上がる前(3歳くらい)には本も一人で読むことが出来
病院の待合室でも 本を読んでいて 知らないおばあさんに褒められたりしていた。
その時は落ち着いた極 普通の子どものように思えた。
時として デパートで 急に走り出し エスカレーターの下りる方向に上ろうとかけだしたりしてはいたけれど 2歳だから?と思っていた。

それが、6歳になり 次男が生まれてからは 病院での診察の時 医療器具に興味を持ち 触ろうとしたり 待合室でも 落ち着きのない態度が目立つようになってきた。
もう時期 小学生になろうとしているのに 普通の子とどこか違う?幼過ぎる。
疑問を持ちながらも 当時は 『発達障がい』と言うことばは 今現在ほど熟知してなかった時代。

そして 小学校に・・・
1年生の時は 楽しく通っていた娘だけれど2年生の時 ある日を境にプチ不登校が始まった。

それは2年生に上がって秋の頃だっただろうか?
急に歩くことも立つことも出来なくなったのだ(原因不明)
そんな中 近くに祈祷をしてくれる人がいたので お祓いをしてもらってからは
徐々に回復していった。
でも その日を境に不登校への道をまっしぐら。

友達はいた。イジメにあっている様子もなかった。
ただ一つ、言えるのは やはり 他の子とは変わっていた。

怒ると 癇癪がひどい。泣き叫び方が尋常ではない。
清潔感なし。片付けられない。
それが発達障害によるものだとは知るよしもなし。

学校へはあまり行けなかったけど 国語力は人に勝るものがあったので その頃から小説を書き始めていた娘。本も 沢山 読んでいた。

プチ不登校になり4年が経ち 無事に小学校の卒業式には出席し、中学の入学式にも
出席することが出来た。
中学になり 変わってくれることを信じていた私の願いは脆くも崩れ。
その後は 『発達障害』との診断を受けることになるのである。
中学校時代〜専門学校時代へと続く・・・

※注釈※
中学生になった娘が足が急に立たなくなった2年生の時のことを語り始める。
1階のトイレには入るのを拒むようになって 2階のトイレしか使わなくなった時のこと。
「私 2年の時 トイレで何か見たんよね」
「え〜😱怖いじゃん😱」
そう言えば この子 生まれて3ヶ月の時(当時 北海道の官舎に住んでいた)泣いてても 一つの部屋に連れてって 抱いてあやしていると 不思議と同じ方向を見て 泣き止んでニコニコしていた。
発達障害者は 時として見えないものが見えると言うけれど まさにそれだったのかな。と思う。
トイレの話に遡るけれど 未だに2階のトイレしか使わない娘だけれど 長男がコロナで我が家に隔離していた時 やむを得なく1階のトイレを使わなければならなくなり でも リフォームして 綺麗になっていたトイレは何の違和感もなく入れたようだ。


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