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罪の季節 ep.3

 学校近くのファーストフード店に翼と継介を呼んだ。偽装「お泊まり」を手伝ってもらったから、お礼としておごるためだ。
「マジでおごってくれんの?」
 愛美と同じバスケ部の練習を終えたばかりの継介が尋ねる。汗で髪形が落ち着いている。
「ああ、ジュースなら」
「ジュースだけかよ!」
 ウチはそんなに裕福じゃねえんだよ、という言葉は飲み込んだ。不景気な話してもしょうがない。
「じゃあ、一番高いのにしようぜ」
 翼が提案する。おれに呼ばれるまで、継介の家で眠っていたのだろう、目がしょぼしょぼしている。
 一番高いの、と言ったところで、そんなに不安になることもない。たかだかファーストフード店の飲み物だ。
 おれの分も含めて、飲み物を三つ買ってきてもらった。多めに渡したお金のおつりを返さないので、殴る素振りで取り返した。二人が高いのを頼んだため、おれは一番安いコーラにしておいた。炭酸がのどを通る度、快感を得る。水分を欲していたようだ。
「斉藤さんとやったの?」
 翼がニヤニヤしながら尋ねてきた。本当のことを言ってやってもいいが、「さあ、どうでしょう」とはぐらかしておいた。
「斉藤さん、足きれいだからなあ。胸はないけど」
「そんなことなくね。まだまだ、これからだよ」
「えーっ、もう高一だぜ」
「いやいや、女は底がねえから。どんどん色っぽくなるって」
 二人で勝手に話を進める。愛美に関しては、言うとおり、足はきれいだが、胸はそんなに大きくないと思う。でも、これからだとも思う。
「――そういや、俊哉と斉藤さんって、どうやって知り合ったの? どうやって付き合ったかは、知ってるけど」
 告白したときのことは、二人にある程度、説明した。キーワードは、「雨の日」と「ベンチ」である。この二つの言葉から、どんな展開だったかご自由に想像してもらいたい。
「そうだな……」
 中学から、愛美も含めておれたちは一緒だが、おれが加わったのは中学二年からだ。だから、出会ったのもその頃になる。ちなみに、付き合ったのもその頃。
「学校の近くにコンビニあったろ」
「うんうん」
 二人は興味津々で頷く。
「学校始まって数日経ったぐらいのとき、そこに寄ったんだよ、一人で」
「うんうん」
「で、コーヒー牛乳だか、カフェオレだかが飲みたくなって、手を伸ばした」
「うんうん、それで」
「すると、誰かと手が重なった――と、思って横を向くと――」
「斉藤さんだったわけ?」
 おれは頷く。「そういうこと」
 二人はゲラゲラと笑い出した。「そんなマンガみたいなことあるかー?」「できすぎだろー」
「いや、本当にあったんだって。で、そしたら――あ、ごめんなさい、って笑顔で言うわけだよ」
「それでぐらっときちゃったわけだ?」翼が肘で突く格好をする。
「そう、きちゃったわけよ」
「その後は」継介が言う。「斉藤さんと話したの?」
「ああ、一緒に帰った」
「はや! そりゃ、付き合うのも早くなるわな」
 継介はしみじみと首を縦に上下させる。
 話は別な方に移った。翼と継介が、有名なロックバンドについて議論を交わしていた。おれはガラス窓越しに、通り過ぎる人たちを眺めやっていた。その中には、練習を終えて帰途につくバスケ部の部員もいた。女子はわざわざ制服に着替えている。短いスカートが風に合わせて、踊るように揺れている。
「なんでさ」おれの視線の先に気付いたように、翼が呟いた。「女子って、パンツが見えそうになるまで、スカートを短くすんのかね。見せたいのかな」
 おれは改めて制服姿の女子バスケ部の人たちを見た。丈は、太ももより上までしかない。あんなの、階段やエスカレーターなんかで簡単に見られてしまう。
「見せたいやつなんていなくね? 流行りだろ、単に」
 翼が容易く請け合う。流行りと言ってしまえば、全てそうだ。
「ある女子に聞いた話だけど、スカート短くすんのって、パンツ見せるためじゃないんだとさ。当たり前だけど」
「じゃあ、何のために?」
 おれは両腕をテーブルから離して、胸の前で組んだ。組んだとき、ベッドの中で愛美とした話を思い出した。手を組んだとき、どっちが上になるか、だ。腕組みも同じじゃないだろうか。
「かわいく見せるため」
「かわいく?」
「だって、長いよりも短い方がかわいいじゃん」
「まあ、そうだな……なるほど」
 継介は納得した。「スカートを短くするのは、パンツを見せるために非ず、かわいく見せるためにある、ってところか」
「だから、その女子が言うには、スカートは短くしてるけど、パンツを見られたくはないんだとよ」
「って、言ったって、見えちゃうのはしょうがなくね? わざとじゃなかったら」
「まあ、そりゃな」
「俊哉」翼がまたニヤニヤしながら、身を乗り出す。「今の話って、斉藤さんがしてたの?」
 継介が嬉しそうな顔をした。「あ、ある女子って、そういうことかよ。ベッドの中でした話かあ?」
 この話をしたのは、愛美ではなかったが、「さあな」と、また笑って、はぐらかした。


 入学式の日、それからその数日後に会った「変なやつ」は、馬場彰という名前であることが分かった。同じクラスで、友達がいないことも分かった。何とかどこかのグループに加わろうと努力を重ねているようだが、外側で笑っているだけで、入れているとは言えない。みんなも、おれと同様に馬場を「何か変だ」と、捉えているらしかった。
 授業中、彼はよく船を漕いでいる。ただ、居眠りに厳しい先生にすら発見されにくく、ひとりでに眠って、ひとりでに起きる。
 休み時間、会話に入ろうと寄ってくることもあるが、ほとんどはゲームをしていた。何のゲームをしているのか、誰も覗き込みに行かないため分からない。一つ、分かることがあるとすれば、彼は一般に言うオタクなのではないか、ということだった。ゲームをしているだけでオタク、と思うのは早計かもしれないが、彼の外見がその印象を手伝っている。ゲームをしているイケメンをオタクとは、すぐに判ぜられないように。
 それでも、おれは特別な感情を抱かずに彼と接している。と言うと語弊があるかもしれない。来たら、人並みの対応を心がけるが、おれから彼に接触を試みることはない。つまり、友達とは言い難い距離関係が存在するわけだ。
「休みの日、何してたの?」
 決して好感の持てない笑顔を貼り付けて、彼は近付いてくる。
「いや、お泊まりだよ。友達と」
 友達と、って言い方はおかしい。他の人たちにだったら、名前を出して、そこから話を広げていくものだ。別に、愛美の家に泊まっていたことが後ろめたくて、そう言ったわけではない。後ろめたさがあっても、馬場に対して感じる必要はない。
 まるで、お前は友達じゃない、と突きつけたみたいで、心配になって彼の顔を拝んだが、笑顔のままだった。
「へえ、いいね。おれもね、秋葉原、行ってたんだ。欲しいものはなかったんだけど、ぶらぶら歩くだけでも楽しいからさ、あそこは。桜井も今度、行ってみなよ」
 おれもね、の「も」に違和感を覚えた。何と何を関連付けて、彼の中で「も」を使おう、という判断が下されたのだろうか。彼の話すことは所々、変だ。そりゃ、言い間違いは誰にだってある。舌が回らないときだって、おれにもある。でも、目の前の彼は頻度が普
通じゃない。
「そうだな、気が向いたら」
「俺が案内するぜ。いつでも言ってくれよ」
 と言って、笑い声を上げる。高らかに、一人で。他の笑い声と調和することはない。ここで言う他の笑い声を出せるのは、おれ以外にいないけど。
 その後も適当に合わせていた。おれの相槌が気だるそうになったのを感じ取ったのか、彼は中途半端なところで切り上げて、自分の席に戻った。そして、机の中からゲームを出す。イヤホンもする。ゲームの雰囲気を味わうためか、いつもゲームに繋がっているイヤホンで耳を塞ぐ。


 部活は、とうに過ぎ去った春の街中みたいにまったりしていた。顧問の先生がたまにしか来ない。先輩もそんなに厳しくない。本気でやりたい人たちからしたら、憤懣やるかたなしだろうが、おれや翼にとって、この空気はやりやすい。皮肉なことに、おれの部活の出席率は中学時のそれよりも高い。居心地がいいからだ。
 だいぶ、他の中学出身の人たちとも仲良くなってきた。テニス部にも数名いて、その人たちとは真っ先に親しくなった。おれは誰とでも仲良くなれる。
 仲良くなれるのは、女子も例外ではない。愛美がいるから、他に目移りすることは絶対にないが、友達になっておいて損はないだろう。女を敵に回すと、面倒であるし。
 先輩もまた然り。おれは上下関係をきちんとするから、いくらだるくても先輩の言うことには従う。話すとき、タメ語は使わない。
 その日の部活中、一人の先輩が一年の女子を連れて近寄ってきた。三年生で、中学は同じではなかったはず。明るい茶色に染めた髪をポニーテールに束ねている。
「どっち?」
 おれと翼を前にして、ポニーテールの先輩は後ろに付いてきた一年に尋ねる。一年は、こっちです、とおれを示す。何の話をしているのだろう?
「へえ……かっこいいね。これなら、分かるわ」
 と呟いて、笑った。一年も合わせて笑う。
 結局、何か明かさずに、ポニーテールの先輩は去ってしまった。残った一年に真意をただす。
「今の、どういうこと?」
「ごめん」彼女は、まず謝った。「先輩と愛美について話してて、彼氏、テニス部にいますよ、って言ったら、見てみたい、って」
 おれは納得した。こういうことは、よくある。あれだけ人目を引く容姿をしていれば、その彼氏がどんな男なのか、多くの人に興味を持たれる。おれは興味の対象となるわけだ。往々にして、おれの評価は悪くない。まさに、これなら分かる、だ。
 その一年がいなくなってから、翼が呟いた。
「今みたいに言われるの、正直どうなの?」
 分かっているくせに、とおれは思う。
「別に、悪い気分じゃない。おれをけなすこともないわけだし」
「でも……逆のことはあんの?」
 つまり、愛美がおれの彼女として評価の対象になることだ。直接、聞いたわけではないけど、めったにないだろう。もしかしたら、一度もないかもしれない。
 だからといって、どうってことはない。
「あんま、ないんじゃね。でも、それでもいいよ。現実に、愛美と付き合ってんのはおれだし、それだけでおれは充分」
 望み過ぎると、持っているものまで失いかねない。二兎を追うもの一兎をも得ず、という諺もある。
「そっか……」
「暗えな。おれが気にしてるとでも思った? 全然」おれは手を横にやった。「まあ、心配してくれんのはありがてえけど」
 先輩の呼び声が聞こえた。練習が終わりだ。片付けに入る。
 おれは歩き出しながら、校舎を見上げた。予想通り、夕焼け空が窓いっぱいに映っていて、とてもきれいだった。


 部活の練習が雨で流れた。室内で筋トレにならないあたり、部のやる気の程を窺える。部員は包み隠さず、喜びを表に出して、スキップしそうな足取りで帰っていく。
 おれは翼と教室にいた。部活がなくなっても、愛美と帰ることはなくならない。翼も継介を待っている。バスケ部が終わるまで数時間はあるけど、苦にはならない。
「よくやるな、サッカー部。この雨で外練かよ」
 窓際にもたれかかって、翼がこぼした。おれも窓際に行って、グラウンドを見下ろした。サッカー部員十数名が、試合形式の練習をしている。誰もがびしょ濡れで、泥が跳ね返っていた。当たり前かもしれないが、顧問の先生は傘を差して、指示を出していた。
「試合が近いらしいじゃん。サッカーは、雨でもやるからな」
 雪でもやる。他のスポーツに比べたら、サッカーの過酷さは群を抜いているかもしれない。でも、天候に左右されずにできるのが、全世界で親しまれている要因かもしれない。世界には、天候が変化しやすい国があるから。
「お、一人だけパスもらえないで、オロオロしてるやつがいるな。――馬場だっけ」
 おれも気付いていた。まぎれもなく、馬場だ。体育の授業じゃないのに、ボールにろくに触れない人がいるなんて。あいつ、部内では友達がいないどころじゃないみたいだ。
「馬場だな」
「でも、たまに笑ってるな。たまたまか」
 たまたまじゃないだろう。彼は、一人でもよく分からないタイミングで笑う。それで、自分は仲間外れにされていないぞ、というアピールをしているのかな。だとしたら、可哀相だ。終わっている。
「先生、気付いてんのかね」おれが翼の横顔に質問を投げた。
 翼はおれの方に首を向けた。
「先生もたまたまって思ってんじゃね。ポジショニングが悪いやつだな、くらいにしか思ってないんじゃない」
「そうかもな。――気付いても、気付かない振りをするかもな」
 先生だって、人間だ。一人の悲劇を救うのに、大勢に立ち向かうのは並外れた勇気がいる。たいがいの人は、大事になるまで動かない。
 大事になってからでは、遅いのに。
 そう思うなら、自分が動けよ、桜井俊哉。
 そんなの無理だろ。正義ぶったって、ヒーローにはなれないのだ。正しくったって、勝たなきゃ正義じゃない。生き残った方が正義なのだ。そういう世の中だ。
 そもそも、おれはそれほど無力感を覚えてはいない。彼に関して深く考えることもないし、これらのことは漠然と頭の隅にあるだけだ。
 それに、彼は少なくともまだ笑っている。だから、憂慮すべき事態は近くにない。保護観察とは違うけど、様子見でいいだろう。


 新しい環境に慣れようと必死だった人たちも、一学期の終盤に差し掛かってくると周りが見えてくる。どんなグループが形成されていて、対人関係はどうで、出身中学はどこで、部活は――といった諸々のことが分かってくる。
 慣れてくると、待ち構えているのはいじめだ。言動がおかしなやつは、簡単にいじめの対象になってしまう。誰かをいじめることで、そのグループの繋がりを確かめることだってある。
 我がクラスのその対象となったのは、やはり馬場だった。最初は、構ってもらえないだけだったのが、あからさまに避けられるようになった。陰の悪口も横行した。
 だって、休み時間に一人でゲームばかりして、変なところで笑って、会話が噛み合わないのだ。よほど寛容な人たちの集団でなければ、彼をいじめずに過ごせない。
 それに、体臭が臭い、というレッテルも貼られてしまった。おれは、言われてみればそんな気がする、とは思ったが、言い募るほどのものではないと思った。次第に、風呂に三日に一度しか入らない、汗かいても着替えない、臭いがきついことで著名な軟膏を体中に塗っている、という憶測が、あたかも事実のように言い合われた。
 馬場はそれでも笑っていた。


「俊哉、馬場と仲良くしてるの?」
 部活後の帰り道、愛美に突然そう聞かれた。
「いや――話しかけられたら、答えるだけだけど」
 そう、と愛美は呟いた。どこか、思案顔だった。おれのことを案じているようだ。
 というか、まず愛美が馬場のことを知っているのは驚きだった。クラスが違うから、接点のまるでない彼を愛美が知る機会はないだろう、と思っていた。でも、知っていた。ということは、友達との話の中で知り得たのだろう。そして、その会話の延長線上で、おれが馬場と普通に接している光景について言及する者があって、愛美は不安になったのだろう。
「言っとくけど、愛美。おれ、あいつと全然なんでもないよ。おれから話しかけることはないし、あいつの趣味とか一つも知らない」
 ことさらに、語気を強めた。何だか、浮気を疑われて、その言い訳をしている感覚にとらわれた。
「ホント?」おれの目を覗き込むように、首を傾げる。
「ああ、本当に」おれは頷く。「でも、どうして?」
「同じクラスの友達に聞いた話なんだけど――彼、オタクなんでしょ」
 オタク、か。その通りだろう。馬場はゲームオタクなのだろう。
 だけど、人は誰もがオタクである気がする。誰だって、何かしら没頭するものが存在するはず。それが、馬場はゲームだったのだ。まあ、彼の場合、周りから敬遠される理由はそれだけに限らないけど。
 それに、そんな風に考えたのは一瞬だった。一般的な高校生は、友達のいない人、というか避けられている人から離れようとするのは当然のことだ。身近な人がその近くにいたら、手を振り払って遠ざけるのは当然のことだ。
 愛美は、避けられている対象である馬場のことを、とりあえずその大なる原因である「オタク」であることから、「オタクなんでしょ」と言ったのだ。
「ああ、休み時間いつも、ゲームしてる」
「マジで?」愛美は小さく笑った。
「それで、その友達に、おれが仲良くしてるかもしれない、って聞いたの?」
 愛美は素直に頷いた。「うん。わりと普通に話してるとこ見たことあるって」
 おれは安心させてやるように笑った。「大丈夫だよ。たぶん、その頃、おれが馬場のことあんま知らなかったんだよ。今は、接する機会ゼロに近いし」
「なら、いいけど。……仲良くしたら、一緒にいじめられかねないから、気を付けた方がいいよ」
「はは、おれがいじめられると思ってんの?」
「考えられないけど」
「でしょ? まあ、あいつとは話さないようにするよ」
 おれが言うと、愛美はやっと安心したように満面の笑みになった。
 その後は、別の話題になった。今日あったこと、テレビで見たこと、部活のこと、愛読している雑誌のこと。どの話題に転じても、愛美は心をとろけさせるような愛らしい笑顔を浮かべていた。おれはその笑顔に心を癒されながら、相槌を打った。
 恵まれた日々を、決して劇的ではない日々を送っている。これまでもそうだったし、これからもそうだろう。

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