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バスケ物語 ep.2

「明日から――」
 その日の夜、宮尾は尾崎に電話をしていた。
「星野も朝練に来ることになったから」
「ええー?」尾崎は明らかに驚いた調子で言った。まあ、驚くのも無理がない。
 あの後、宮尾は自分が毎朝、尾崎と朝練をしている話をしたら、自分もバスケがしたい、と申し出た。おとなしい性格なのに、意外と大胆な所もあるんだな、と驚いたが、OKした。
「いつの間に仲良くなっとったん?」
 まだ、来て一日しかたってないで。尾崎の言うとおり、この展開には宮尾自身も驚いていた。あの公園のバスケコートで話しかけるときに、こうなるとは欠片も考えなかった。
「でも、マネージャーになってくれるのは助かるわ」
「え、一人じゃきつかったの?」
 尾崎がマネージャーの仕事について愚痴をこぼすのは、めったにない。
「そらそうや。これでも私は、か弱い女の子なんやで」
 か弱い、ねえ。宮尾は鼻で笑った。宮尾の知っている限りでは、尾崎は弱さを人前にさらさない。強い、よりもたくましいという言葉が合っている。「あ、鼻で笑ったやろ」尾崎が電話の奥でむくれた。
「ところでさ」
 宮尾は話題を変えた。
「尾崎って、大阪にいたの五歳までだろ? もう東京の方が長いけど、関西弁って抜けないもんなの?」
 尾崎は出会った頃から関西弁だった。別にやめて欲しいわけじゃなく、純粋に気になった。
「……」
 しかし、その質問に対する返事はなかなか返ってこなかった。
「あれ、尾崎? 沈黙、長くない?」
 宮尾は不安になった。人がどんな事情を抱えているか、計り知れない世の中。たくましく生きているように見える尾崎にも、何か重い物を背負っているのかもしれない。
「――うーん」
 ようやく聞こえたのは、考え込んでいるトーンだった。
「何でやろう? 子供心に個性を出そうとしとったんかな」
 だとしたら、計算高い少女時代やな。尾崎は自分で言って、自分で笑った。
 どうやら、深い理由はないらしい。


 星野はやる気満々を窺がわせてきた。宮尾よりも早く体育館に来て、準備体操をしていた。長い髪を束ね、体操服を着ていた。
「早いな」
 おはよう、のあとにそう言うと、星野もおはようと呟いた。
「あともう一人、昨日言ってた尾崎が来るから、少し待って」
 と言いつつ、宮尾も準備体操を始めた。バスケは怪我が付きもののスポーツだから、それを防ぐのに余念がない。
 アキレス腱を伸ばして、前を見据えていると、尾崎が入口から入ってきた。「来た来た」宮尾は準備体操を中断し、星野と引き合わせた。
「星野さんやね。私は尾崎サエ。サエって呼んでや」
 尾崎をサエ――箭絵と呼ぶ人は、少ない。女子でも尾崎と呼ぶのが普通だ。本人は箭絵を浸透させたいらしい。
「星野クルミです。……クルミって、呼んでください」
「よろしゅう」
 尾崎が明るく笑った。
「よろしく」
 星野もつられて笑顔を浮かべた。何か、もっと笑わせたくなる笑顔だな、と宮尾は心の中で思った。


 星野が中学までバスケをやっていた、というのは本当のようだった。別に彼女の言葉を疑っていたわけではないが、見た目と合わないから、直に見るまでは半信半疑だった。
 基本的な動きはできている。ルールも分かっている。
 ただ、尾崎には到底、及ばない。
 尾崎もちゃんとしたチームに入っていたのは中学までだが、運動神経が女子の中で抜群だから、ボールを操るキレとスピードが違う。それに、今でも宮尾の朝練に付き合って、相手しているぐらいだから、実力は落ちていない。
 自然の成り行きで、尾崎が先生役になって、星野に手ほどきした。
 宮尾は星野と尾崎の実力を測りながら、いつも通りシュート練習を繰り返した。
 今日は尾崎にディフェンスやってもらえないかもな、と思っていたら、尾崎の声がかかった。
「宮尾、そろそろディフェンスやったるで」
 宮尾は頷いて、二人の方に向かった。
 星野は抜けて、見学でもしているのかと思ったが、彼女もそこから動こうとしない。宮尾は怪訝な表情を浮かべた。
「ああ、クルミもやるで。宮尾のすごさを体感したいんやと」
 尾崎が察して、説明した。
「いいけど、動きの確認だから、本気は出さないよ」
 と言いつつ、宮尾は本気出すと企んでいた。最初の印象は大事だから、ここですごさを見せ付けておきたい。あわよくば、表情を崩して賞賛してほしい。
 ハーフラインの手前からボールをついて、ドリブルで二人のディフェンスに向かっていった。普段の朝より少しだけ速く。
 軽やかに抜いて、ゴール下でボードに当ててシュートを決めた。
「すごい――」
 目論見どおり星野がちょっと表情を崩して、感嘆の声を呟いた。さらに何か言おうとしたが、尾崎が遮った。
「ええとこ見せようとしたんか? 本気ださへん、ゆうといて、出しとるやん。それに、ゴール下までドリブルでいっといて、何でレイアップしなかったん? 苦手克服するんが、この練習の目的やろう」
 付き合いが長いと、加えて朝練習を数え切れないほど共にやってきたから、ちょっとの変化も悟られてしまう。
 だからって星野の前で痛いところを突かなくたって、後で聞いたのに。宮尾は怒りを覚えたが、すぐに思い直した。非があるのは明らかに自分の方だし、かっこつけようとしたのは事実だ。せっかく時間を割いて練習に付き合ってもらっているのに、尾崎に悪いことをした。「悪かった」宮尾は素直に謝った。
 朝練習が終わってから、星野がいないところで尾崎が宮尾に尋ねた。「クルミに惚れたん?」ストレートな聞き方に苦笑したが「それはない」と即答した。
「何で?」
 聞き返すと、「珍しいやん。宮尾が女子にええとこ見せようとするなんて」
 宮尾は何も言えず、曖昧に笑ってごまかした。
 言われなくても分かっているが、自分でもあの瞬間の自分は解せなかった。「好き」まではいかないまでも、意識しているのは確かだ。


 現代国語の授業中、外をポーッと眺めながら、考え事をしていた。
 星野のことである。
 星野は、バスケが好きだった。だから、一緒にバスケしたいと言ったのだ。そこに自分に対する恋愛感情とかが、星野の中になかっただろう。
 そもそも、自分は何を期待しているのだ。宮尾は自分自身をなじった。今までこんな浮ついたことはなかったのに。別に、もう高校二年だから、好きな人の一人や二人はできてもおかしくはない。ただ、星野は二日前に来たばかりだ。まだ分からない事だらけなのに、これじゃ――ただの女好きじゃないか。
「じゃあ次、宮尾君」
 急に与謝野に指名されて、考え事はどこかへ飛んでいった。
 与謝野はバスケ部の形だけの顧問であり、練習に口出ししないが、決して立場が弱い先生ではなく、授業はいつも締まっている。
 質問の意味が分からなかったから、「分かりません」と宮尾は答えたが、周囲で爆笑が起こった。
「教科書を読めと言ったんだが、そんなにお前にとって難読な文章だったのか?」
 与謝野が不機嫌な顔をした。爆笑も、いったん収まる。
「いえ」
「ちゃんと授業を聞いているように」
 うなだれると、与謝野は別の生徒を指名した。
 完全に自業自得だけど、誰かのせいにするとしたら、星野のせいだ。宮尾は思った。


「やっちまったな」
 放課後、部活前の掃除中、宮尾は独り言のように呟いた。掃除がある日は、さしもの宮尾でも一番乗りは叶わない。
「現国で怒られたことか?」
 独り言じゃなくなったのは、尾崎が傍で聞き逃さなかったからだ。
「ああ、別に与謝野に怒られたっていいけど、クラスの前で恥かいちまったからな」
 星野はどう思っただろう。宮尾は今頃になって、彼女が同じクラスだということに気付いた。不真面目なのかな、とか思ったのか?そもそも、いつも何考えているか分からない。
 またボーっとなりかけると、尾崎が宮尾に顔を近づけた。
「考え事でもしてたん?」
 宮尾は金縛りにあったように体が動かなくなった。「まあ、ちょっと」
「もしかして、クルミのこと?」
 間近にある尾崎の顔は、意外と整っている。意外と言ったら、失礼だが。
 そもそも、「ミヤオザキ」にはからかい甲斐がある尾崎に対するものと、かわいい女子をいつも同伴させている宮尾に対する冷やかしが同居している。
「ハハ、何で星野が出てくるわけ?」
 宮尾は笑ってごまかそうとしたが、ひきつってしまう。
「別に、何となくや」
 まるで付き合ってもいないのに、浮気を責められているみたいだ。何故か後ろめたさを感じる。
 星野はおとなしくて、自分から騒動の種を蒔いたりはしないだろうが、その見た目が与える影響は大きい。それに、本人は自覚していないようだ。もしかしたら、今までの学校生活で、騒動の発端になって、加害者扱いされたことがあるのかもしれない。――なんて、出会って間もないのに、そんな分析するのもおかしい話だ。
「よし、机戻すぞ」
 与謝野の呼びかけで、掃除が終わりになる。「終わりだってよ」宮尾はそれを逃げ口上に、金縛りを解いた。
 背中越しに聞こえた尾崎の呟きを宮尾は聞こえない振りをした。だって、
 ――クルミ、かわいらしいしなあ。
 心を見透かされた気がしたから。


     三


 朝練で一汗かいた後、三人の話題に上がったのは練習試合のことだった。
「そろそろ練習試合があるんやないかな」
 尾崎の呟きに、宮尾が同調した。
「だろうな。去年の今頃もあったし、大会前に入れるならこのタイミングが一番いいだろ」
 練習試合の相手校探しは、部長の村瀬がしている。顧問が形だけだから、去年も前部長が探し、真面目で頼りがいのある村瀬は手伝い、という形で携わっていた。
 それだけに慣れている。去年、公式戦で無勝利の西桜と試合をしてくれそうな高校をリストアップし、その中から強いところを選んで申し込む。勝ってないとはいえ、実力はあるチームなので、懇意の間柄だったら実績差があっても受け入れてくれたり、逆に同じくらいだと公式戦前に手の内を見せることになってしまうから、断ったり、という見立てをする。
 宮尾と尾崎であそこかな、いやあそこだろう、と相手校を挙げていると、星野が遠慮がちに呟いた。
「どうして去年は、公式戦で一試合も勝てなかったの? そんなに弱くなさそうに思うけど」
 直球で聞いてきた。宮尾は苦笑いを浮かべた。まあ、別にそんなに秘密にしておきたいことでもなかったから、いいけど。
 星野はその苦笑いを違う風に捉えたのか、「ごめんなさい」と後悔を表情に出した。
「ええんよ。去年は宮尾、準レギュラーやったし、そんなに気にしとらんわ」
「何でお前が答えんだよ――まあ、その通りだけど」
 去年もスタメンは三年と二年の混合で、一年生だった宮尾や平岡はレギュラーにはなれなかった。だが、実力は買われていたため、試合途中から積極的に投入され、それに不平不満を言う先輩は一人もいなかった。西桜の良い所の一つだ。
 一方、今年は一年にレギュラーの座を脅かすような存在は入部してこず、選手交替で不利な状況を打開しよう、という作戦はカードとして持てなさそうである。
「一言で言うなら、というかもしかしたらこれが全てかもしれないけど――」
 宮尾はそう前置きして、説明を始めた。
 以前も言及したが、西桜はくじ運が悪い。強豪校と早いうちに当たってしまうのが昔からよくあった。去年はその極みで、夏秋冬の三大会全てで優勝候補の一角と顔を合わせてしまった。
 ただ、それを理由にして諦めていたわけではない。勝つために最善の策を施し、いずれも接戦に持ち込んだ。
 結果的に、リバウンドの弱さが勝敗を分けた。ディフェンスが有利と言われるリバウンドを西桜は何度も奪われ、失点につながった。
 そして、何より勝ち方を知らなかった。必死にやっているだけじゃダメで、ゲームをコントロールしないと勝ちを手繰り寄せられない。くじ運の悪さは、一年間以上の勝ち試合のブランクを生み、それも勝敗を分けるポイントになった。
「今年は勝てそう?」
 星野が不安そうな顔で尋ねた。
「大丈夫や。今年の攻撃力はハンパやないから」
「だから何でお前が答える。――そう、今年は強い。全国めざして、勝ち続ける」
 自信をみなぎらせた宮尾に、星野は安心したのか、頬を緩めた。
 練習試合の話が村瀬からされたのは、この日の部活前だった。


「来週の日曜日、練習試合を行う。相手は――百合高校だ」
「百合高校?」
 平岡がすっとんきょうな声を上げた。
「シンジ、知ってんの?」
「ああ、まあ。知り合いがいるとかじゃないけど、新設校だよ、今年できたばっかの」 
「じゃあ、強くないのか」
 佐々井が当然の疑問を口にした。「いや」村瀬は首を横に振って、
「決して弱くない。バスケに力を入れている所で、コーチも有名な人を招いて、部員も中学でずっとやってきたやつらばかりだ」
「よく知ってますね」
 長谷部が感嘆とも畏怖ともとれるトーンで呟いた。
「まあ、ちょっとした知り合いがいるんだ」
 村瀬ははぐらかした。
「待って下さい」
 宮尾が話を遮った。「新設校ってことは、部員はほとんど一年生ですか?」
「部員は、全員が一年生だ」
 宮尾は顔をしかめた。めざとく、「そんな顔するな」と村瀬がたしなめる。
「さっきも言ったろう。弱くないんだ。メンツは、全国レベルが二、三人いる」
「だからって、負けらんないっすよね」
 と言ったのは、平岡。
「全国レベルでも、後輩にあっさり負けを譲るような真似はしたくないです。絶対、勝ちましょう」
 佐々井がヒュウッと口笛を吹いた。宮尾は、くそ、言われた、と小声で言った。
「よく言った」
 村瀬は快活な笑みで頷いた。
「百合高校戦、練習試合だが、勝ちにいく」

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