見出し画像

私と場面緘黙症④

 今回は、私が当時思っていたことや克服してから思うことや感じることについて書いていきたいと思います。

 私が周りと違うことを自覚し始めたのは、小学生になってからです。あまりよく覚えていませんが、小学校2年生あたりでしょうか。たぶん、それまではさほど気にしてなかったのではないかと思っています。だんだんと周りは友達というグループを作っていくなか、自分は孤立している。学校ではみんなが当たり前にしている話したり笑うことができない。だから、いじめにもあう。家では喋れるし笑えるのに、なぜか学校に行くとそれができない。親族や近所の年下の子達とも思うように話せない。家ではできるのに…。そんなおかしな人間は世界に自分だけだ。自分はおかしな人間なんだ。本気でそう思っていました。なぜかって、たぶん、喋れない笑えない自分を肯定してくれる人がいなかったから。喋ることを催促され、どうして喋らないのかと言われ、家ではできるのに学校とかに行くとできない、そんな自分はダメだと言われ続けているようで、特に新学期なんかは責め続けられているような気分でした。喋れない笑えない自分をいつもみんなから否定されているような気分でした。そして、同級生も学校の先生も家族もみんな敵だと思って過ごしていました。これらのこともあってか、ものすごく自己肯定感が低く、看護学生時代の担任の先生に、「不思議なのですが、なぜそこまで自分を否定するのですか?私には違和感があります。」と言われたことがありました。

 私が場面緘黙症という病気があるのを知ったのは中学生の頃でした。たまたまインターネット上で自分のことについて投稿したところ、場面緘黙症かもしれないということを教えてもらいました。そして調べるとまあビックリ。これは私のことではないですか。こんなおかしな人間は世界で私1人と思っていたのに、なんと同じ症状で困っている人がいるだなんてと感動と言えば変ですが何というか安心しました。
 それでも周りの大人は皆気がつきません。普通に考えて、小学校に入学して何年も、中学校に入学してまで一貫して学校では無口・無表情な子どもっておかしいと思わないのでしょうか。どうして誰一人として気がつかないのか、そこが不思議でなりません。なぜ喋らないのか聞いたり喋るように言うだけ。なぜ喋らないのかって、喋らないんじゃなくて喋れないの、なぜ喋れないのかなんて私自身が1番知りたい、自分でも分からないのに。喋れない理由を聞いてくるくせに理解しようとはしてくれない。意味がわからない。大人しくて目立たないし困らないから関心がないんでしょうね。目立つ子ばかりに手をやいて。私たちのような存在は居てもいないようなもんなんでしょうね。だから放置される。こんなんだから、私は社会人になっても自分の存在意義が分からず、仕事をしていても存在する必要ないと思って悩んだことがありました。喋れなくても笑えなくても、少しくらい気にかけて欲しかった。甘えたかった。喋りを強要せずに話しかけて欲しかった。かまって欲しかった。いつも存在しないかのように扱われてきた私の正直な気持ちです。
 今は私が学生だった頃に比べ、インターネットやSNSも発達しているので情報を得やすくなり、場面緘黙症でもきちんと支援に繋がれているお子さんや家族の情報を目にする機会が増えてきました。私や同じように見過ごされてきた緘黙の人達と同じような思いのする子が1人でも少なくなってほしいし、いなくなってほしいと願っています。その反面、支援に繋がれている子どもたちが羨ましく嫉妬心を抱いてしまうのも正直な本音です。同じように支援を受けずに子ども時代を過ごしてきた大人の当事者にはわりと多い感情です。私にも誰か支援の手を差し伸べてくれていればまた違った人生だったかもしれないと思ってしまいます。小学生の頃は、特別支援学級の子達を見て羨ましいって思っていました。私もあっちの学級に行きたいって思っていました。人のことや気持ちを理解することは無理だと思っています。ただ、私としては理解できなくても理解しようと寄り添ってくれる人が欲しかったのです。救いが欲しかったのです。この闇に閉ざされた子ども時代はずっと心の中にいるのでしょうね。捨て去りたいです…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?