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怒りをぶつけるということ

ちょっとイラッとしたりすることはあるけど、だいたいのことは忘れてしまう。
または、流すように心がけてきた。

母方の祖父が気性の激しいじいさんだったことから、幼い頃から数々の修羅場を見てきた影響が大きい。
また、母親にも、複雑な生い立ちということもあり、多少なりともその影響がある。
無自覚に親の悪い部分に影響を受けているということ。

他人に自分の感情をぶつけるのが怖いし、何より自分の心が押しつぶされような感覚になる。
そんな風に改めて分析するようになったのは、つい最近だ。

きっかけは最近見ているとある整体師のXだ。
その整体師さんによると、体の不調の原因を追求すると家庭環境にあるというもの。
少なくとも、その整体師さんの経験と自分自身で克服するために模索してきたことの結果なのだ。
だから、否定もできないが全肯定するほど理解もできていないが、納得できる部分はあると思う。

私の親はすでに高齢者だし、今更過去のことを伝えても記憶も曖昧だ。
そもそも人の話をあまり聞かないし、聞こうともしない。
家族だが、他人と過した時間の方が圧倒的に多い。
子供の頃は親の仕事の関係の集まりに連れられて行っていたが、基本的に両親共に平日、土日祝はほとんど家にいなかった。
家のことはほとんどしないし、したくないという感じだった。

私は外に出かけるより家にいたかったし(体調が悪かったのもある)、家族で仕事以外の場所に行きたかったがそういった願望を叶えてもらえることは無かったし、願望があることを知ってもらえたとしても全否定だった。
宗教関係ではなかったが、似たような感じの環境にいたと思う。
ちなみに、政治関係だった。
宗教と政治、似てるなーと思う。

……ここまで書いて思ったことは、やはり家庭環境と体調は密接であるという事だ。
思えば子供の頃からすぐに気持ち悪くなって食事ができなくなったり、ずっと便秘だったり、貧血気味だった。
それでも親が怖くてちゃんと通学していた(親が料理ができないこともあったが、冷蔵庫の中の食材も子供向けではなく、お小遣いもなく、店もなく、家では大したものが食べられず、給食が楽しみだったこともある)。
今思うと若かったからできたのだな、とつくづく思う。

……なんでこの話を記そうかと思ったかと言うと、もうすぐ母の日なので、親にちょっとしたものを贈ろうと思ってAmazonで注文したことがきっかけだった。
少しも感謝の気持ちを持てなかったので、自分はなんて……と思いかけて整体師さんの話を思い出した。
そう、赤ちゃんは自分を否定することはない。
健康に生まれてきたのであれば、素直で1番元気な時期。

生まれ育った環境で自分を否定するように育つのだ。
そして、やがて体調不良になる場合もある。
まさにそのままだった。

うん、全肯定できそうだ!
あまり体調が悪いようであれば、その整体師さんのお世話になるのもいいかもしれない。

ヨガ教室に通い始めて、長年の巻型と反り腰が改善されていくにつれてメンタルにも変化が出てきた。
手の力が入らなかったが、入るようになり、気持ちも根本的な部分から以前より強く持てるようになった。

体の不調とメンタルは密接で、そしてそこは生まれ育った環境にも繋がっているのだと思えた。

母の日の贈り物を予約してから、親にいつ届くのかメッセージを送りしばらくしてから電話した。
親からの希望もあり、4月末に1年半以上ぶりくらいに帰省したのだが、そこから体調が悪い。
なので、思い切って今まで話せていなかったことを話してみたのだった。
結果として体調は少し改善されたが、心にモヤモヤが出てきた感じがした。
他者にネガティブ寄りの気持ちを伝えるといつもこうなるのだ。

今後もこういったことを繰り返して徐々に許容範囲を広げていきたいと思う。
ネガティブ寄りな気持ちも伝え方次第である。
特に人の話を聞かない相手には簡潔にわかり易く伝える必要がある。
本日は多少強引だったが伝えられたと感じている。

老い先短い老人に話すには酷かもしれないと少し思ったが、死んでしまってからでは伝えようがない。
今後も必要性を感じたらタイミングを見計らって伝えるつもりだ。

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