忘れものと迷子とわたくし。

他の追随を許さない的な私の得意分野に、忘れものと迷子というのがある。物心つく前からこれらのエピソードについて「枚挙にいとまがない」とはまさにこのことってくらい、さまざまなものを忘れ、失くし、自らの立ち位置(比喩表現じゃなくて物理の)もまた見失ってきた。

人生で一番サイズが大きな忘れものは、中学校の下駄箱に忘れた通学鞄である。当時、教科書等を入れる通学鞄とジャージ等を入れるサブバッグの2つを持って通学していたのだが、なぜか、サブバッグだけを持って帰宅した。しかも、同級生が自宅まで届けてくれるまで、忘れていたことに気づきもせず。インパクトが最大だった忘れものは、経営コンサル会社で営業をやっていたときに、タクシーに忘れた会社支給のノートパソコンである。気づいたとき、血の気が引いた。社会的に死んだ、と思った。運転手さんが営業所に届けてくださって事なきを得たけど、持ち出せるパソコンというのは恐ろしいものだとしばらく震えが止まらなかった。

小学生時代は、通学帽をしょっちゅう教室に忘れて帰り、翌朝の登校時にかぶってないと忘れものをしたことがばれちゃうから、何度もこっそりとりに行った。その姿を誰にも見られたくなくて、息を殺して教室に入り、帰りは一目散に走って帰った記憶がある。旅先に歯ブラシとかヘアアクセサリーとか忘れるのは「いつものこと」で、小さいものなら諦めちゃうし、ちょっと費用がかかるものなら一応、ホテルに電話してみる。電車内に傘を忘れたこと、限りなし。手袋はいつもかたっぽになってしまう。

方向音痴もなかなか、なかなかのものである。小学校高学年になっても松戸駅からヨーカドーへの道を訊き(調べていただくとわかるけれど、駅とヨーカドーは歩道橋でつながっている)、おとなになってからも、もういちいち覚えていないほどに迷子になっている。仕事柄、初めていく劇場・取引先・稽古場なども多いし、自分一人ならまだしも、ひとさまをアテンドするような立場にも頻繁になるというのに。集団で歩いていると、歩くのが速いのか、いつの間にか先頭になっている。道、わかってないのに。駅前とか駅中にある周辺地図を見ていると、よく道を訊ねられる。私もわからないのに。電車もしょっちゅう間違える。同じホームに違う行先の電車とか来ないでほしい。あと、私が反対向きに乗ったら反対向きだよって教えてほしい。

どっちも大人になれば直る・治ると思っていた。そうでもなかった。忘れものをする自分も、方向音痴な自分も、時間が経てば笑えるんだけどその最中は結構、毎度、しっかり傷ついていた。またやってしまった、残念な私、こんな自分はひとに知られたくない、と。毎度のことなのに都度、自分にがっかりぐったりして、一気に5歳くらい老けた気持ちになる。

ものすごく神経を遣って準備すれば、あるいは移動に集中すれば、目的地に自力で行けるようには成長した。電車の乗り間違え・降り間違えは、寝てる時よりも仕事してるときの方が圧倒的に多い。頭が移動以外のことで占められたり、ちゃんと調べずに移動を始めたりすると間違える。「意識有能(意識すればできる)」という段階で、「無意識有能(特別に意識を向けなくてもできる)」になる兆しはない。最近はもう、多少間違えてもいいかなって思えてきた。がんばるところ、そこじゃない感というか、脳細胞をもっと生産的なことに使った方がいいよ、という感じ。ひとに迷惑をかけなければ、ね。

忘れもの・失くしものだってしないに越したことないけど、40年以上こうなので、「気を付ける」じゃどうにもならない気がしている。で、「気を付ける」以外にどうしたらいいのかもよくわからない。絶対に失くしたら困るものは鞄につなげたり、しまい場所を決めたりするけど、すべてのものについてそうもできないので、諦めをよくするか、失くしたときのリカバリーに意識を持っていった方がいい。ということにする。

ここまで書いてみて思ったのだけど、どっちも「できるひとが圧倒的多数派なことができない自分」が情けなくて、見たくなくて、それはこのふたつに限った話ではない。朝がスーパー弱くて「規則正しい生活」がなかなかできない自分も、気にしてないフリをしてるけどほんとは結構気にしてる。早寝早起きとか同じ時間に起きることが身体にいいなんてわかってるし、できるものならやりたいし、小学生の頃はできてたのに今の私ができないのが悲しい、ていう。小学生時代の自分も含めて多くのひとには当たり前にできることが、私にはうまくすんなりはできない。すごくがんばればできるんだけど、もう、起きることでエネルギーを使い果たしちゃって、その後の1日が冴えないことすらある。

でも。できないことが目立ってるけど、できることだってほんとはあるのだ。具体的には思いつかないけど、できないことに目を奪われて、できてることを見落としてるんだ、きっと。

それに、朝起きられない、は、年末年始から相当な進歩をしてる。ヨガの課題が終わらなくて早起きしてたら、課題が終わっても起きられる日が続いている。起きたら布団の中でエアコンのスイッチを入れて、部屋が温まる頃には空気の乾燥が気になりだしてエアコンを切って、そうしてるうちになんだかもう、寝る気はしなくなっている。なにかをする前に机に向かって、毎朝1ページ、紙のノートに思い浮かんだことを書き出してみる。書いてるうちに頭がしゃっきりして、あんなに辛かった午前中が穏やかに始まるようになった。

もしかしたらいつの日か、忘れものと迷子も消えていくかもしれない。起きられるようになろう、じゃなくて、ほかのことをしていたらいつの間にか起きられるようになったみたいに。ひとにできることが自分にできない劣等感でくよくよする時間は、私をできるようには変えてくれなかった。この先も変わらないかもしれないけど、くよくよ時間を違うことに使えば違う何かは前に進む。それでいいのかもしれない。

ちなみに沖縄のビーチにも靴下を忘れたと思ってたら、ダウンのポッケから出てきました。暖かかったから脱いで、失くさないようにポッケにいれたんだね、えらい。



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