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遠藤周作の遺作「深い河」のこと。(生と死に向き合うこと?)

遠藤周作の遺作「深い河」のこと。(生と死に向き合うこと?)

遠藤周作と言えば、ネスカフェゴールドブレンドのTVCMで「違いの分かる男!」として出演されていた「ダバダー♪」の人やと思っていました。ネスカフェのあのシリーズは、いま思うと、ほんまにものすごい人たちがキャスティングされていたんやな!ということがわかります。自分の未熟さに思い至ります。遠藤周作さんの別の呼び名でしょうか?「狐狸庵先生」という名前が何だか「きつね」と「たぬき」でおもろいなと思っていたくらいのアホな小学生の私でした。そんな、TVCMに出ていた面白い人という意味で、遠藤周作や岡本太郎は小学生の私にとっては同じようなジャンルの人でしかありませんでした。しかし年齢を経てこれらの方々が創作した仕事などを実際に見ると、そうではないということがわかって来ました。歳を取ることの効用とでも言うのでしょうか?最初に遠藤周作の作品に触れたのが「海と毒薬」というものでした。1986年の熊井啓監督の映画で拝見しました。

現在は初台の新国立劇場があった場所に初台工業試験場というのがあり、その跡地でロケ撮影が行われたのを聞いて見ることにしました。(実は、私の仕事で、その場所でまさに1986年あたりにロケ撮影をしていたので)。人体実験の手術の様子などをリアルに描いた初期の作品です。モノクロームにすることで、私たちの想像力がより刺激されました。それから数十年経って「沈黙」という遠藤周作の小説がいいよ!とある広告会社のクリエイティブディレクターの方に薦められて、読みました。
「沈黙」は、マーティン・スコセッシ監督が映画化もされたのでご存じの方も多いのではないでしょうか?2016年の映画化でした。(調べると、実はそれ以前に篠田正浩監督の映画が公開されていました。1971年の作品。撮影はあの宮川一夫。今度、ぜひ拝見したいと思います。)スコセッシ監督の映画もとても面白く、「沈黙」を読むと「信じる」ということはどういうことなのか?「信仰とは?」何か?ということを改めて考えさえられます。

遠藤周作さん自身もキリスト教徒でした。遠藤さんは「『深い河』創作日記」(@講談社)の中で、どの宗教を信仰するのか?は周りの環境によって変わってくると書かれていました。実は、先日、NHKの「こころの時代」ライブラリーの再放送で「遠藤周作『深い河』をたどる 後編“玉ねぎ”と宗教の壁」(2023年9月1日放送)

を拝見しました!それを見て、2021年11月に読んだ「深い河」の衝撃が蘇って来ました!

TV番組は「後編」だけしか見ることが出来ませんでしたが、この遠藤周作の「深い河」は彼の遺作でもありますが、生涯の最高傑作ではないでしょうか?

番組でも取り上げておられましたが、「深い河」では「宗教多元主義」を書かれたイギリスの宗教哲学者ジョン・ヒック (John Hick、1922-2012)の影響などが見られるとのこと。

主人公の大津は聖職者になるためにフランスの協会で修行するのですが、どこかなじむことが出来ませんでした。その後、彼はキリスト教徒の聖職者としてインドのバラナシ(べレナス)で亡くなった方を運んで遺体を荼毘に付す作業を行っていました。ヒンズー教徒や仏教徒の方をキリスト教の聖職者が荼毘にふす。大津を外側から見るものとして大津の大学時代の友人である美津子(彼女は学生時代、同級生だった大津を誘惑して、突然、捨ててしまう。)を登場させます。彼女は最後のバラナシで大津の姿を見かけるのですが。大津は自分の人生に満足して生涯を終えていきます!

この大津の姿に私は衝撃を受けました。ただ誰かのためだけに生きて行く姿、そこには宗教も人種も国境もない。ただ、そこに居るものとして、ここにある生を慈しむという気持ち。本作は遠藤周作70歳の仕事でした。晩年の名声を得た遠藤さんがどんな気持ちで本作を書かれたのか?と思い、昨日まで「『深い河』創作日記」を読んでおりました。


やはり、そこから何もない、しかしただそこにアルだけの人生がいかに大切なことであるのか?遠藤さんの頭の中はどうだったのか?老いに向かって体調なども万全ではない自らと向き合いながら、宗教多元主義にどう折り合いを付けていくのか?みたいなことを考え続けておられたのではないでしょうか?遠藤周作さんが最期に妻に向かって笑顔で他界する言葉をかけられたというのを番組で聴きました。その満足そうだったというお顔が、大津の最期の姿と重なって見えてくるのでした。

番組の中の若松英輔の解説が秀逸でした。


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