見出し画像

占エンタメシリーズ④ 北方謙三『チンギス紀』に登場する占い師とシャガイ

スクリーンショット 2021-04-06 1.10.13

波乱に満ちたチンギス・カンの生涯を描いた歴史大長編

 北方謙三の『チンギス紀』は十二世紀、ユーラシア大陸に拡がる人類史上最大のモンゴル帝国の礎を築いたチンギス・カンの波乱に満ちた生涯と、彼と出会った様々な英雄たちの生き様を描く、歴史大長編です。チンギス・カンの人生は40歳くらいからしか詳しくわかっていないので、これは北方謙三が想像の翼を広げて描いたチンギス・カン像と言えるでしょう。

 『一 火眼』から始まって、『二 鳴動』、『三 虹暈(こううん)』、『四 遠雷』、『五 絶影』、『六 断金』、『七 虎落』、『八 杳冥(ようめい)』、『九 日輪』、そして今年3月26日に発売されたばかりの『十 星芒(せいぼう)』 の十巻まで刊行されました。

 モンゴル族の有力氏族の長の嫡男として生まれたテムジン、後のチンギス・カンは、10歳の時に父イェスゲイをタタル族に暗殺されてしまいます。13歳でやむない事情から異母弟ベクテルを討ったのち、テムジンを殺そうとしたタイチウト氏のタルグダイとトドエン・ギルテの手から逃れて南へ向い、新しい出会いを得て、遊牧民でない人々の暮らしぶりから多いに学び、15歳で戻って氏族の長となります。

 『九 日輪』では数々の苦難を経てモンゴル族を統一し、〈チンギス・カン〉を名乗るところが描かれ、『十 星芒(せいぼう)』で征服事業と帝国の建設が始まるわけですが、壮大な物語はまだまだ続きます。

遊牧民は厳しい自然の中で移動しながら家畜を放牧した

 この時代、モンゴル人は一箇所に定住することなく、自然の草と水を求めて馬、牛、駱駝、羊、山羊の家畜群を伴って移動し、放牧していく遊牧民でした。この5家畜はいずれも頑強で、運動能力が高く、粗食に耐えるという特徴があります。

 面積は日本の約4倍と広く、草原地帯の気候は1日の寒暖差が大きく、夏は日中25度になっても夜は10度くらいまで下がることが多く、真冬ともなればマイナス30度から40度の寒さが続きます。

画像6

画像1

画像2

『チンギス紀』では占い師の椎骨がシャガイで占う場面がある

 チンギス・ハンの生きた時代は、厳しい自然のなかで食糧を調達しつつ、氏族同士が覇権を競って常に争い、勝つために武器や馬を買うための経済力をつける必要がありました。天候不順で雨が降らなければ草は枯れ、家畜は生きることができません。明日をも知れぬ状況の中で、どの氏族もお抱え占い師、あるいはシャーマンのような存在の人間がいて、占わせていたようです。

 私はモンゴルの主に羊と山羊のくるぶしの骨から作ったシャガイと呼ばれる卜占をやっているのですが、そのシャガイ を使う占い師が『チンギス紀』に登場します。テムジンと同じモンゴル族のタイチウト氏の中にいる椎骨(ヤス)という名前の人物です。

 タイチウト氏の長であるタルグタイは、頻繁に椎骨のところを訪れては、さまざまなことを占わせています。妻で屈強な戦士であり、タルグタイの参謀でもあるラシャーンは椎骨の占いをそれほど信じていませんでしたが、彼女には誰にも言えない悩みがあって、遂に思いつめて椎骨のもとを訪れます。『六 断金』では、その様子が次のように描かれています。

 ラシャーンは、椎骨を訪ねたことを、いくらか後悔していた。ひとりで秘めていることが、露わにされるような気がする。
 椎骨が、目を閉じた。
 しばらくして、両の掌を重ね合わせるようにして差し出した。三つ。椎骨がそう言うと、名無しが気配もなく立ち上がり、羊の踵の骨を三つ掌の上に置いた。椎骨はそれを握りしめるようにしたが、名無しはすでに自分の場所に戻って座っていた。
 椎骨が、羊の骨を皮の板の上に放り出すのに、それほど時間はかからなかった。
 二つが弾き合って、皮の外にこぼれた。ひとつ残った骨を、椎骨がじっと見つめている。
 「ひとりになる時が、必要でございます、奥方様」
 椎骨は、羊の骨の、一番上の面を指さきで撫でた。

占い師は自然や戦い、日常の悩みに指針を示すアドバイザー

 現代では、占いの場合、シャガイを4つ使うのが一般的ですが、椎骨(ヤス)はシャガイ を3つしか使っていません。それでも、椎骨の占いは当たるようです。正確に言えば、当たるというより、椎骨は課題解決にあたる優れたアドバイザーであり、コンサルタント的な役割を果たしていると言えるでしょう。何をするべきかとても明確に指示しています。

画像3

スクリーンショット 2021-04-06 0.57.26

敵役でも人間味豊かで魅力的な人物造形がなされている 

 実はタルグタイは同族でありながら、テムジンの父のイェスゲイがタタル族に暗殺されると、その妻のホエルンに横恋慕して、自分の妻になれと迫った人物です。テムジンを助けるどころか、ホエルンが断ると、テムジンを殺害しようとした敵役なのです。

 放浪のすえにタイチウト氏のもとに流れついたラシャーンは、タルグタイに仕え、次第に愛するようになると、ホエルンに嫉妬して殺そうとし、母親をかばったテムジンの末弟カチウンはラシャーンに斬り殺されてしまいます。

 二人とも主人公のテムジン側から見れば悪人なのですが、北方謙三という書き手の優れたところは、タルグタイとラシャーンを人間味のある魅力的な人物に描いていることです。

 タルグタイは嫉妬でカチウンを殺したラシャーンを黙って正妻として迎え、ラシャーンは自分が貯めた砂金を使って商いをし、その利益でタルグタイのために戦に使う馬を求めます。ラシャーンは「私は、殿の手の届くところで、生きると決めています」と言い、タルグタイは「俺の女房にしては、できすぎてもいる」と答えます。

 この二人は愛と信頼で結ばれています。氏族の長として、氏族が生き延びるために全力を尽くしていますし、夫婦の絆は固く、違いを裏切ることはありません。

 実は私はまだ第六感までしか読めていないのですが、第九巻はテムジンとの戦いに破れたタルグダイとラシャーンから始まるようです。覇権争いの舞台から退場したタルグダイは、南宋と思われる港町で妻のラシャーンと静かに暮らし、夫婦として心穏やかな日々を過ごしているとか。本当に二人が望んでいたのは、そういう日常だったのかもしれませんね。

骨に4面あるように、人も時代や環境によって評価は異なる

 くるぶし骨であるシャガイが、骨の4面を各々馬、駱駝、羊、山羊に見立てて35種類の吉凶を占うように、人にも4つの面があるのかもしれません。不思議なことに、数秘術でもコアナンバーは4つですからね。どの面が良い悪いではなく、環境や状況によって、評価が異なるのが人というものです。例えば、戦国時代なら剣や薙刀の名手が重用されたでしょうが、平和な時代になれば、戦に出ることはないので、管理能力の高い能吏の方が力を発揮できます。

 ただ、どんな時代になっても、コロナ禍のように、明日は何が起きるかわからないのが人生です。人の悩みや苦しみは尽きることがありません。だからこそ、占い師がこの世から消えることがないのです。12世紀に既に使われていた羊や山羊のくるぶしの骨を、21世紀の日本にいる私が毎朝使って占っているのですから、考えてみれば不思議です。もしかして、前世はモンゴルの占い師だったのでしょうか。

 まだまだ椎骨のような信頼は得られませんが、私も目の前のお客様のお悩みに的確にアドバイスできるような占い師になれるよう、これからも『チンギス紀』の壮大なロマンに浸りながら、精進していくつもりです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?