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宝塚月組「ダル・レークの恋」の意外な現代性と数秘術で見た菊田一夫の人生

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 今日は15時半から宝塚月組の二番手スター・月城かなと主演『ダル・レークの恋』のライブ配信を自宅で見ました。TBS赤坂ACTシアター公演の千秋楽です。この作品、朝ドラ『エール』に登場した作詞家・劇作家の菊田一夫が1959年に宝塚のために書きおろしたものです。

 プロローグの「まことの恋」が名曲で、円形ベッドの前で主人公のラッチマンが恋人のカマラのサリーをくるくる剥ぎ取っていく濡れ場が宝塚らしからぬ官能的な場面として知られています。

 菊田一夫はラジオドラマで映画にもなった『君の名は』や林芙美子の『放浪記』をもとにした舞台劇『放浪記』の脚本・演出で有名です。1955年に東宝の取締役に就任しているので、宝塚、東宝ミュージカル、芸術座にもたくさんの作品を提供しています。

 天才であることは間違いないありません。ただ、『ダル・レークの恋』ばかりは突っ込みどころ満載の作品だと聞いていたので、「きっと古めかしい話なんだろうな」と思っていたのです。ですが実際に見てみると、印象はかなり違いました。

主人公ラッチマンは王族なのに内面が屈折した青年

 身分違いの恋を描いたメロドラマなのですが、ロミオとジュリエットのように単純ではありません。筋立ても入り組んでいますし、主人公のラッチマンは好青年とは言いかねる内面が屈折した人物なのです。ストーリーはこんな感じです。

ベナレス領主の孫娘カマラは避暑に訪れたダル湖で騎兵大尉ラッチマンと出会い、愛し合うようになる。だが、農民出身のラッチマンとの恋を祖母のインディラから反対され、心ならずもひどい言葉で別れを告げる。ところが、ラッチマンは国際的詐欺師ラジエンドラだと判明。二人の交際がマスコミに流出すれば一族の名誉にかかわると考えた親族は、逃がしてやるから、カマラとの関係を黙っているようにとラッチマンに要請する。ラッチマンはその要請を飲むかわりにカマラと一夜を過ごすことを要求。二人は甘美な夜を過ごす。ここから舞台は7年前のパリに移り、ラッチマンはベンガルの王族の息子で、パリで無頼な生活を送っていたことや、本物のラジエンドラとの因縁が明かされるが・・・。

 ラッチマンは王族の息子なのに農民出身だと身分を偽ったため、卑しい出自だからこれ以上付き合えないと愛するタマラに別れを告げられます。二人は心から愛し合っているのだから、そこで身分を明かせば良いのに、何故か詐欺師の疑いをかけられても否定せず、犯罪者としてカマラを抱きたいと要求し、想いを遂げるのです。かなり屈折してますよね。さらに王族の息子だと判明した後、カマラの親族がそれなら結婚できると喜んでいるのに、愛しているというカマラを振り切り、弟に家督を譲ってパリに舞い戻ってしまうのです。カマラはラッチマンへの未練を捨てきれず、雪が舞うパリの街をラッチマンを求めて彷徨うという、なんとも切ない幕切れです。

 ラッチマンは「まことの愛」を求めてタマラを試したんですよね。たとえ農民出身であっても「そのままの自分」を愛してくれるかどうかを。ですが、厳しい身分制度のあるインドで貴賤結婚なんてあり得ないし、タマラが親族と自分への愛の板挟みになって苦しんでいるのはわかっているはずなんですよ。なので、ラッチマンの要求は無い物ねだりなのです。例えば、空にたなびく凧だって、自由なように見えて、糸で人につがっているじゃないですか。出自や属性から自由な人間なんていないし、そこから影響を受けていない人間もいないわけです。それなのに、人情の機微に通じた菊田一夫がどうしてラッチマンをそんな情け知らずの男に描いたのでしょうか?

ラッチマンは親に二度捨てられた菊田一夫自身かもしれない

 私は『ダル・レークの恋』を見ていて、ラッチマンは菊田一夫そのものなんだなと思いました。菊田一夫は生まれてすぐに養子に出され、生後4ヵ月で両親に連れられて台湾に渡りました。ところがまた捨てられて、様々な人のもとを転々と渡りながら育ち、5歳のときに菊田家の養子になるのです。ところが、台北城北小学校在学中に親に薬種問屋に売られ、年季奉公をつとめた後、神戸で小僧をしながら夜学で学んでいます。

 実の親に捨てられ、義理の両親にも捨てられ、ずいぶん惨めな思いやつらい目にあったことでしょう。誰にも愛されず、大切にされずに大人になったのですから、人を簡単に信じることは出来なかったに違いないし、人の愛し方もわからなかったのではないでしょうか。ヒットメーカーの「先生」ですし、47歳で東宝の取締役になっていますから、美人女優からものすごくモテたでしょうが、幼い頃に染み付いた人間不信は消えず、愛を求めて彷徨い続けるラッチマンのような男を描いたように思うのです。

 『ダル・レークの恋』と並ぶ名作に『霧深きエルベのほとり』がありますが、この作品もやはり身分違いの恋を描いたもので、船乗りのカールは名家の娘マルグリッドと恋に落ちますが、周囲の人に蔑まれ、愛する人を幸せにできない自分のふがいなさを嘆いて、一人航海に出るのです。出自に対する差別と偏見、愛する人にさえ理解されない哀しみは、菊田一夫の作品に繰り返し登場するテーマです。

菊田一夫は「22」と「8」のナンバーを生き切った人物だった

 数秘術的に見ると、菊田一夫は「22」というスピリチュアルなマスターナンバーを持った人です。「自分に厳しく、極限まで頑張ってしまう」というバイブレーションをもったナンバーであり、同時に周囲の幸せのために、命がけで働いて大きなプロジェクトを実現させる力をもっています。

  また、ディスタニー・ナンバーは「8」、ソウル・デザイアー・ナンバーも発財の「8」なので、そのバイブレーションどおりに権威と財力を手にし、リーダーシップを発揮して、人をうまく配置して名作と呼ばれる舞台を創り上げました。パーソナリティ・ナンバーは「9」っで、利他、人類愛、壮大な夢を実現するエネルギーですから、これもぴったり。作品を通して大衆の心を動かし、幸せにしました。

 『ダル・レークの恋』はメロドラマのように見えて、実は決して心の乾きを満たせない男の寂寥を描いた作品で、後味はすこぶる苦いのです。月城かなとは彫りが深い日本人離れした美貌の持ち主で、キレイすぎて人が「悪く」見えるタイプのスターなので、ラッチマンのような複雑な内面を抱えた役にぴったりでした。演技・歌・踊りの技量も高いので、彼女の存在あってこそ、62年前の『ダル・レークの恋』が現代人の視聴に耐えうるクオリティに仕上がっていたように思います。

 

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