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自分で自分を許してあげること

今日はちょっと前に書いたnoteの下書きから。


人に迷惑かけたくない

自分でなんとかしよう


そう思うようになったのかいつからだっけ。
たとえそれが苦しくても、つらくてもなんとか飲み込んで。
自分の中で頑張って処理して。
そうやって、毎日を過ごしてきたような気がする。
これがいつの間にか自分の当たり前になっていた。
だから、違和感があってもそれはきっと“気のせい”


それは“迷惑をかけると嫌われる” “めんどくさいと思われたくない”という思いからくるものだったんだけれど、そう思うのはどうやら少し違うようだ。


最近どうしようもなく落ち込んだり、以前はできたいたことでさえもスムーズにできなかったりすることが多々ある。こんな時は、どうしても自分だけじゃできないこと・今の自分ではできないことが増えてくる。だから、自分の仕事がほかの人に回ったり、同じように動いたりすることができない状況が生まれてしまう。

わたしはそれがすごくいやだった。…いやだということ語弊があるかもしれないが、小さい頃から『迷惑をかけてしまう』ことに対して過剰なプレッシャーがあって。
きっとそれは、小さい頃の経験が影響しているんだと思うんだけど。知らず知らずのうちに、「迷惑はかけちゃいけないもの」というのがわたしの中に強く刷り込まれていた。


だから、できるだけ迷惑はかけたくない。
迷惑=悪、だった。


そんな風に思っていたんだけど、いざ今周りの人を頼らざるを得ない状況になって、その認識を改めなきゃいけないなと思う。


人は自分が思っているよりも何倍もやさしい


悩みや困っていることを打ち明けた今、わたしの周りには助けてくれる人がたくさんいる。“疎まれる”“やな顔される”と思ってたわたしにとっては、想像以上のやさしさだった。それと同時に、こんなことを思っていた自分が恥ずかしくなった。


独りよがりだったんだなぁって。


自分を大切な人や関わっている人に置き換えれば、簡単だった。その人たちが困っている、何かに悩んでいるなら、なにか力になりたいと思う。迷惑だ、なんて思わない。むしろそういう風に感じて、何も言わなかったらちょっとさみしいな…と感じてしまうくらい。


人のことはよく見えるのに、自分のことになるとこうも見えなくなってしまう。今回のことだって、きっと自分だけじゃこういう考えに行き着くことはなかった。
例えば体調が悪い時、休むよりも多少無理しても行った方が楽だったからだ。わたしにとって、みんなが働いている時に『休む』というのはハードルが高い。(これでも休める方になった方だけど)どうしても周りの目が気になってしまう。それほど周りは気にしていないことは、客観的にみればわかることなのに。


結局は自分が傷つかないようにと、自分でも無意識のうちにバリアを張っていただけ。周りを信用していないわけではないけれど、結果としては信用していないのと同じようなことをしているんじゃないかと思ったりして。


人と人が関わっていく時、いい時もあれば悪い時もある。大事なのは、迷惑をかけるとかかけないとかではないってことがやっとわかった。


多分根っこは、今の自分をちゃんと受け止めることができること、許すことができること。だってこれがわたしだもの。


今の状況がいいかと言われれば、全然そんなことないけど。(元気な方がいいし)でも、この状況だからこそ、気づくことができることってきっとあると思うんだ。


これは長年染みついたクセのようなものだから、一朝一夕で直るものではないけど、ちゃんと変えていきたい。
『変わりたい』と思えば、きっと変わることができる。


そう、信じて。


今はこの時よりも、もう少しゆったり考えることができるようになってきたよ。劇的に、なんてそうそう変わるもんではないけど、「変わりたい」と思えばいつだって。

今日も読んでくれてどうもありがとう。またね。

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