たまっていく下書きたちを見て思うこと
今日はどんなことを書こうかと、うんうん唸りながらふと開いた下書きの欄。そこには、
タイトル未設定
と書かれた記事がたくさんあった。しかも、空白の下書きもたくさん。
一度テキストを開くと、下書きが自動で保存されるらしい…と今知ったように書いたけれど、実はそういう仕組みであることはある時点から気づいていた。
「気づいているなら、次書くときそれを活用しなよ〜」という声も聞こえてきそうだけれど、めんどくさがりのわたしは知らないふりをしてまた新しいテキストを開いてnoteを書いていた。
そうしてたまっていった下書きたち 数えてみるとけっこうな数
毎日noteを始めてから、もう少しで90日、3ヶ月が経とうとしている。
とにかく毎日文章を書いてみようと、正直何度目になるかわからない毎日noteチャレンジ。それがもうすぐで90日。がんばれば、100日も見えてくる。なんだ、すごいじゃん、わたし。
毎日書くことがありふれてしかたない!そんな毎日なら苦労はしないかもしれない。でも、現実はそうじゃない。ほとんどは決まった毎日の繰り返し。突然ドラマは降ってこない。
今日は何書こう?と思ったり、書き始めても「うまく言葉にできない〜」と頭を悩ませたり、うんうん唸っていることの方が正直多い。というか、すんなり書ける日の方が珍しい。そんな中で、文章として書くことができたもの、思いを言葉にすることができたものたちを毎日あげているわけだけど。
テキストを開いては消して、開いては消して。
ああでもない、こうでもないと自分が伝えたい思いに当てはまる言葉を探して。
伝えたいことはなんだっけと頭を悩ませて。
そうして、公開された記事の裏で日の目を見ることないたくさんの下書き。
ふと「これは、わたしが書こうとしてもがいた証なんだ」とそんなことを思った。
何度も何度も書こうと、伝えようともがいた一つの証拠。
そんな風に思ったら、なんだか下書きたちがちょっとかっこよく見えた。
わたしはきっと明日も明後日もうんうん唸りながら、「どうしよっかなー」なんて頭を悩ませながら書くんだろう。そして今は眠っている下書きたちも時がくれば、起きてきてくれるかもしれない。まだ見ぬ明日に思いを馳せながら。
今日も読んでくれてどうもありがとう。またね。
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