南の島に魅せられて 第8話
シュノーケリング
オーナーはスキューバダイビングのライセンスを持っていた。
美佐子が前に島に遊びに来たときに、民宿にお客さんがいるにもかかわらず、
「仕事いくから」
と言って、何度か出て行った。なっちゃんも慣れたもんで
「事故はダメだよ、事故は」
かなんか行って送り出す。それが、スキューバのお客さんを案内するアルバイトだと後で知った。
帰ってくるとほぼ使い物にならない感じ(ww)よほど疲れるのだろう。今でもアルバイトしてるのかな。
スキューバの資材を見ていたら、なっちゃんが顔を出した。
なっちゃんもライセンスを持っているけど、今はやらない。
「みさちゃんも行ってきたらいいんだわ。下の海だって結構きれいよ」
あら?下の海は遊泳禁止のはず。
「あっ、それはね、ウミガメが産卵に来るから。産卵期以外は大丈夫」
へぇ。今は3月だからか。でも、水着は持ってこなかった。
「そのまんま、Tシャツと短パンでいいじゃない、別に誰も見ないわよ」
「でも、Tシャツは必ず長袖。日に焼けるからね」
「それと、サンゴは踏まないこと。ケガするし、サンゴにも悪いからね。サンゴ、育つのに何年もかかるんだよ。大事にしてやって」
「本格的に泳ぐんなら、ウェットスーツ出しとくから」
とりあえず長袖に着替えて行ってみましょう。
階段と岩場を降りると、そこはプライベートビーチ。
ぴしゃぴしゃと水に入ると冷たくていい気持ち。
はぁとため息。そのままじっとしていたら、魚が近づいてきた。
力を抜いて水に浮かぶ。そのままじっと海に任せていたら、光がキラキラ周り中に。海の中を見ると、さっきよりもっと魚が見えた。白い砂、すな砂。そして灰色の岩影、サンゴ。息が続かない。
思ったより海岸から離れていたので、慌てて立ち上がって砂浜に戻る。
砂浜は少しベージュがかった、白浜だ。この小さい砂粒一つ一つが生き物だった、そうだ。まぁ、魚がかみ砕いで砂にしたのも、やっぱり生き物だからいいか。
照り返しが暑くて、岩の陰に身を寄せる。小さな草が生えていた。
宿を振り返ると、崖下にアダンの木が何本も生えている。風に負けてちょっと寂しい枝ぶりだ。
ああ、南にいるんだなぁ、と実感する。
涙が止まらない。あれ。私どうしちゃったんだろう。悲しくもなんともないのに。ちょっとだけ自己憐憫に浸って、もう一度、海へ向かう。
海を眺める。遠い海の色は深い青だ。ビーチを囲むように白い波がさざめいている。その白い波と海岸の間は明るい青が揺蕩う。
もう一度魚に会いに行こう。いつもの私に戻って帰るのだ。
水につかって重い体を引っ張るようにして宿に戻る。
なっちゃんが冷蔵庫からスイカを出してきた。
「すぐに戻るかも、って思って、さっき切ったんだけど」
「あっ、ゴメンナサイ。海がきれいで」
「いいの、いいの、ときにはひとりになるのも大事さ―。宿なんかやってたら、ずっと誰かいるもんね」
なっちゃんも一人になりたいことがあるんだろうか。
今回の旅、チェックインするときに2泊する、と伝えていたのだけど、ちょっと手伝いなどして、ずるずると帰るのを引き延ばしている。こういう時、実家から出ていると便利だ。心配されずに済む。
もうちょっと居ようかな、と言ったら、みんな喜んでくれて、帰る決心なんのその。居ついてしまった。
なっちゃんにシュノーケルを教えてもらった。シュノーケルセットは案外安かった。いつかもっと良いの買いなさいね、とはなっちゃんの言い。
コツがわかるまでちょっとかかった。したたかに水を飲んでしまったことは秘密だ。
お客さんは、5時にチェックイン。次の日の9時にチェックアウトということにしている。宿だけご利用ください、という風に。ただ、頼まれたら夕食と朝食の準備はする。お客さんが出かける10時から5時までの8時間が宿の準備時間だ。まぁ、フェリーの都合で3時にインするお客さんもいるから、5時間くらいのときもある。
私は半分観光客で、暇をやりくりしてちょっとだけ遊ぶ。おばちゃんに留守を頼んで、海に降り、なっちゃんにいろいろ教えてもらった。今では足ひれの使い方も堂に行ったものだ。と、本人は思っている。なっちゃんと二人、ラグーンの外れの白波の立つ近く所まで泳いでいったことがある。
「今日は波の状態がいいけど、引き波が強いときもあるの、だから一人で来てはダメ」
でも来たいなぁ、という顔に見えたのだろう。
「この間はともかく、海にはひとりで行ってはダメよ。この間もホントは泳いじゃダメって言おうかと思ったんだけど」
海には毒の生物もいて、危ないのだそうだ。一人で泳ぐのはダメ。これはみんなに迷惑をかけないためでもある。
ウミガメと会う
なっちゃんは、オーナーに私が結構泳げるよ、と推薦してくれたらしい。
「みさちゃん、ウミガメ、見に行かないか」
と、声をかけてくれた。おばちゃんの孫と農協の和久田さんも一緒だという。ナイトダイビングだ、という。
「ボンベは使わないけどね。シュノーケルだけ」
海は暗く、港の岸壁は白く冷たく光っていた。
そおっと海に入る。おばちゃんの孫のハルト君が一緒に潜る。
和久田さんは大阪の人だそうで、まだ海に慣れてない。オーナーとバディを組んだ。今日はウミガメの撮影をしてWEBに上げるのだという。
「星川さんは夜は初めてですか?まだ夕方だけど」
ハルト君は子どものときから海に潜っていたという。
「だけど、ダイビングとか道具がいるでしょう、僕ら子どもは、もう、素潜り専門」
懐中電灯が落ちないように縛り方持ち方を教えてくれる。懐中電灯を水に入れたら、魚が見えた。サーチライトだ。
「あ、さかなみえた」
ちょっとクスッという感じで笑われてしまった。
「静かに入って、動くのも静かに、慌てたらだめです」
「はい」
最初にシュノーケリングの練習。夜は初めてだから。
海の中は静かだった。そおっと泳いでいくと、魚が近づいてきた。ふぅ。赤い魚、黒い魚。もうじき・・・時間が遅くなったら寝てしまうらしい。
黒い影が見えたような気がした。目を凝らす。ハルト君が合図をくれる。そして口の形で
「ほしかわさん・か・め・です」
ウミガメが1メートルほどの体をゆっくり動かして通り過ぎて行った。
そのままじっとしていると、別のウミガメが近づいてきた。くるりと回り、こちらを観察しているかのよう。静かに底の方へ消えた。
「こっちにきませんか」
港の中に岩場のようなところがあって、そこに案内してくれた。
今度は小さな魚が群れている。
「大きな魚が来ることもあるんですよ、夕食です」
すぐわからなかった。
そうか、魚を取るんだ。豊かな海の実りをもらう。急に何かが変わった。
ハルト君が重ねて言う。
「昔のことです」
港の中のいくつかのポイントを回った。3カ所にウミガメがいてそのうち1回は一緒に泳いでくれた。
オーナーが近づいてきて、手話で上がる、と伝えてきた。
岸に上がる。思いのほか体が重い。ふーっと息を吐く。戻った。勢いをつけて、と言っても岸壁の鉄のはしごだけど、体を持ち上げてコンクリートに崩れかかる。あ、すぐ見栄が発動して仁王立ち。道具を抱えて水道へ。水をかけてからプラスチックの桶のような道具箱に入れていく。
そそくさと車の陰に隠れるようにして、体に引っ付くウェットスーツを引っぺがして水着に戻り、その上からワンピースをさっと着る。
「いつもなら、農協のシャワー借りちゃうんだけど、今日はうちに戻るから」
オーナーの車に4人収まると、海の匂いがした。
オーナーはウミガメの撮影に満足したらしく、上機嫌で和久田さんと編集について話している。うわの空で聞きながら、今日の海を心で反芻した。(3144字)
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