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1. 二葉亭四迷「浮雲」を読んで

 こんにちは!ハレノチ×ハレーション(ハレハレ)のライトブルー担当七瀬春香です🩵🌷

最初に紹介する本は、日本近代小説の始まりとも言われている「浮雲」です。
私は最近までこの本の存在を知らなかったのですが、訳あって読むことになり写真をXに投稿したところ、コメントで反響が多くあってびっくりしました!


内容を簡単に説明すると、真面目でよこしまなことを嫌う主人公の内海文三が、職を失ったことをきっかけに恋仲を期待していたお勢との仲も薄まり、また、同僚であり解雇されなかった昇とお勢の仲が深まり始めるのに、自身のプライドや内気な性格により浮つくお勢の心が昇に移っていくのをただ見ていることしかできないでいる、といった感じです。文三の感情の揺れ動きや周りの人間関係がリアルに表現されている話だと思います。

当時の本としては、このように平凡な恋愛の複雑な感情を中心に描いている話は珍しいのではないでしょうか。

 この本の最初の印象は旧字体が多く、文体も古くて、何だか読みづらそう、でした。
多くの現代人がこの印象を抱くと思います。ですが、それを乗り越え読んでみると、一文一文がなんだか面白いんです。

始めの「千早振る神無月〜」は和歌の枕詞の技法、男性の髭の描写が多様である、話し言葉が生き生きとしていてリズムが良い、など、多くのことに気がつきます。そうして一章読めば話に引き込まれ、文体の難しさはあまり気にならなくなってくると思います。

 ここで、この文章に引き込まれる所以は何だろう、と考えるとやはり心理描写の詳しさ、リアルさ、主人公への感情移入のしやすさではないかと思い当たります。もともと「浮雲」が近代小説の嚆矢と言われる理由は多数ありますが、私が思う中心的な三つを取り出すと、

・言文一致体であること
・政治文学でないこと
・作者の心理を反映させていること
です。

注目したいのは、作者の心理を主人公に反映させ、委ねていることです。

ここからは完全に解説本の考えになります。
文三は、お勢の叔母であるお政に職を失ったことによりさらにいびられることになります。そしてお勢からもあまり相手にされなくなる、同僚の昇も何だか偉そう、とどこにも居場所のないような余計者となってしまいました。

この余計者となってどうすることもできないでいるという文三の立場は、二葉亭が当時影響を受けたロシア文学の主人公たちの余計者の意識への共感や、当時の彼の、近代的な新しい考えを持っているが、現実には受け入れられずに孤立するのが自然だ、といった考えを写したものだと考えられています。

 うじうじしていて嫌だ、という感想を抱く人も多いとは思いますが、余計者の心理を反映した主人公は当時、多くの一般の人々に共感されたのではないかと思います。ちなみに私も文三には割と共感する派です。

同僚であった昇は上司に取り入るのがうまく仕事で良い立場につき、悪気なく文三に上から目線で語る、いわば世渡りがうまい男である反対に、文三は真面目で融通が効かなくて、上司に取り入ることができない、人に言い返すこともめっちにない内向的な男です。

私は主人公の気持ちがとてもよく分かるのですが、昇やお政にほとんどうまく言い返せないところはやはり、もどかしい、もう少しは言い返せるよ、と思いながら読んでいました。

しかし、本編で描写されていた彼の育ってきた環境を鑑みると、彼は本当に幼少期から努力していて、言い返さずにいないと生きられない状況にいたんじゃないかとも思い、むやみに否定したくない気持ちもあります。
みなさんはどう感じるでしょうか? 

 同じ本を読んでも人によって感じること、考えることが全く違うことがあることが読書の面白い面だなと思います。おすすめの本や、同じ本を読んでの感想などあったらどんどんコメント欄で教えてくださいね。

伝えたいことが多くて長くなってしまいそうなのでこの辺で終わります。みなさんお付き合いいただきありがとうございました✨


次の本は海外児童小説のベストセラー、ミヒャエル・エンデ作の「モモ」にしようと思っています。とても良い本なので、私も今から文章を書くのが楽しみです!

それではまた次回お会いしましょう〜🍀

🌾途中の文は「日本文学史 近代から現代へ」(奥野健男)を参考にしました。



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