377.内容が薄くなってもアウトプットを続ける方がいいのだろうか
今月は、久々に投稿数を増やそうと思う。
よく考えればnoteを始めたときは半年近く毎日更新をしていたが、あの頃の稚拙さや未熟さはほんの少し改善されて、投稿数の代わりに内容にこだわるようになっていた。
多ければ偉いというわけではないけれど、多分成長は早い。
今更毎日投稿しても、という思いもなくはないが、毎日投稿にはいくつかの意味がある。
他にも挙げれば何かとありそうですが、今出るのはこれぐらい。
久々に投稿数を増やすことで、アウトプットするためのネタを改めて探すようになる。
自分のごちゃごちゃした脳内の整理になる。
今回僕はこの二つの目的で、投稿数を増やすことにした。
さて、そうすると当時ぶつからなかった問題にぶち当たる。
アウトプットの内容が薄くなり、質が下がっている感覚になってしまうこと。
こんな薄っぺらいことを長引かせて書いていても意味はあるのだろうか、と。
何言ってるのかわからない着地になることもある。
最近はそのような薄めの内容は投稿していなかったつもりではあった、が。
いいのだろうか、という思いが一瞬よぎる。
たまに、クリティカルな文章が書けたと自賛できる記事もある。
しかし投稿の母数が増える分、イマイチだなと思いながら公開する記事も増加する。
いいのだろうか、と。
結論は出た。
そんなことはどうでもいいから、書こう。
薄くなったところで、別にブロガーでもアフィリエイターでも何でもないので、構わなかった。
それよりも、毎日投稿をしていた頃の繊細な感覚を取り戻したいという思いが湧き上がってきていた。
世界中がネタだらけで、起こる全ての事象が学びで気づきだった。
毎日毎日、書く内容を探して、書く時間を確保して。
その時の方がもしかしたら、今よりも繊細に生きていて、大胆に表現ができていて、地に足をつけて日々戦っていたようにも思う。
内容が薄くなったとしても、その感覚を身につける過程なのだとしたら、そんなことは本当に些末なことだ。
ということで、アウトプットの量を改めて増やすことにする。
どう今の自分に作用するか正直わからないけれど。
きっと、自分の未来にとって良い影響を与えることになるだろう。
その確信だけは、ある。
二年前に経験済みだからね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?