見出し画像

小劇場、旗揚げ公演。寺山作品でクラウドファンディングに挑む、意味と価値とは?

はじめまして。神保治暉と申します。今年5月に旗揚げしたエリア51という表現団体で、劇作や演出をしています。このnoteには、下記の内容をまとめました。

◆簡単なプロフィール

◆クラウドファンディングを決めた理由と目的、実際と現状

◆エリア51と神保治暉の創作テーマと目指すムーブメント

◆旗揚げ公演「ノゾミ」原案:書を捨てよ町へ出よう(寺山修司)の概要と企画意図について

【このnoteのねらい】・・・実施中のクラウドファンディングや公演の企画の意図をより深く理解していただき、すでに支援してくださっている方はもちろん、読んでくださった方に共感していただけるよう「自分の考えていることをまとめて、公開すること」です。もし、全部または一部でも共感していただける方がいらっしゃいましたら、ご支援の方もよろしくお願いします。

(クラウドファンディングのページはこちら。軽く目を通してから読んでいただけるとよりよいと思います)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◆簡単なプロフィール

▷エリア51(えりあ・ごじゅういち)

<拡大するアートチーム>を標榜に集まったクリエイター集団。演劇を皮切りに映像や音楽その他のさまざまなクリエイションを通し、ただ表現するのではなく「社会とつながる」ことを目的とする。メンバーは現在、門田宗大・神保治暉・鈴木美結・濵田真美の4名。日本大学芸術学部演劇学科卒業生を中心に結成。劇団という三角形の組織スタイルではなく、「環境」を意識した輪のようなつながりの組織で、共同制作者をどんどん増やしていくことを目指す。さまざまな人とのコラボレーションで創作の領域を拡大していくことが夢。10月2日〜6日、下北沢 Geki地下Libertyにて、旗揚げ公演「ノゾミ」原案:書を捨てよ町へ出よう(寺山修司)を上演予定。

ホームページはコチラ

▷神保治暉(じんぼ・はるき)

日本大学芸術学部卒。2年間の社会人期間を経たのち、エリア51を立ち上げた。主な担当は劇作・演出。前身となる学生時代の演劇ユニットでは計10本の演劇作品を作または演出した。ドキュメンタリー的な手法で、人間のリアルを劇に取り込む手法を好む。実験的な公演が多く、学生時代に下校劇「約4キロ」と題した野外劇では総勢40名以上の学生たちと関わったり、架空のツイッターアカウントを日常生活に忍び込ませるところから始まる「お前は何もわかってない」や、劇場をカーテンで分断し対岸の観客同士をツイッター上で会話させる「ようこそ此処はゲニア星」などがある。卒業制作「書を捨てよ町へ出よう'16」では、河野希典賞を受賞。

アーカイブサイトはコチラ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◆クラウドファンディングを決めた理由と目的、実際と現状

▷現在、クラウドファンディングに挑戦中(〜6/29)

現在、エリア51は舞台「ノゾミ」の制作費の一部を募るべく、クラウドファンディングサイト<Ready for>に支援金募集のページを掲載させていただいております。目標額は100万円です。All or Nothing という形式をとっているため、目標額に達しなかった場合はいただいている支援金は全額返金し、私共のもとには1円も入らないという、甘くないルールのもと挑戦しています。なぜこの形式をとったかというと、<Ready for>さんでは基本的にこの形式でしかプロジェクトを立ち上げることができなかったからです。ではなぜ<Ready for>さんを選んだかというと、成功率がほかに比べて高かったことと、プロジェクトの立ち上げから実行までを全面的にバックアップしてくれるプランがあったからです。ではなぜ、そもそもクラウドファンディングに挑戦したのか。

▷挑戦のキッカケ

きっかけは当然、公演資金が足りないことに気づいたからです。旗揚げ公演=団体として初めての公演なので、既存のファンもなく、団体も現在所属者が4名のため、ほかの出演者やスタッフはギャラを支払って集めなければなりません。さらに、大学を卒業してから3年という時が経ち、学生時代の友人や知り合いは、もちろん演劇とは離れていたり、金銭的・時間的な理由から公演に参加するのが難しい人ばかりでした。そこでやはり、自分やメンバーたちの人脈(あるいは限られた時間の中で拡大できる範囲内の人脈)の中で、適材適所、人を集めて公演にこぎつける必要があり、そのため、やはりギャラというものはかなりシビアな条件として私の前に立ちはだかりました。

予算をざっくりと、ざっくりとですが、お教えします。本来、こういった内部情報は公にすべきでないかと思いますが、今回は公開が必要だと感じたため、ざっくりと、端数切り捨てたり繰り上げたりしつつ、記載します。

<収入> 計1,330,000円

 •総チケット売り上げ予想金額・・・1,300,000円 ※収容客数の70%で計算

 •グッズ売り上げ予想金額・・・30,000円

<支出> 計2,660,000円

 •劇場費/設備利用費・・・700,000円

 •総出演料・・・700,000円

 •総スタッフ人件費・・・500,000円

 •製作/機材費・・・400,000円

 •宣伝費・・・130,000円

 •稽古場利用料・・・180,000円

 •その他・・・50,000円

この時点で、130万円も収支が合いません。これ以上細かく予算の内訳を公開することは控えさせていただきます。どう見ても支出が高すぎると思いますが、すべて、「自分が作品をつくることを想定」した上での最低限の支出に抑えました。

予算は、制作担当の者とも相談しましたが、ほとんどが私の自己流の独学で立てた予算です。やはり先方にとっては極秘レシピでもある予算書を、色々な都合から、完全に教えてくれることは叶わず、初心者である私が、相談したり熟考したり(熟考がメイン)してつくりました。

※ちなみに、後述しますが、こうした運営のスキルが限られた人間の手中にあって易々と広まらないことも、小劇場演劇の根本的な課題であるとも感じます。

話を戻しますが、この130万円の溝を埋めるため、クラウドファンディングで100万円を集めることにしました。しかし実は、100万円を集めても、 <Ready for>さんに手数料を17万円お支払いしなければならないため、47万円足りないことになります。それは自分の貯金から捻出する予定です。

お金、かけすぎじゃね?

まず、ほとんどの方がそう感じるのではないでしょうか。もちろん、その通りです。ですが、私が目指しているのは演劇を通して利益をあげることではなく、表現して伝えることなので、こだわりを削るにも最低ラインがあるのです。

まず、その最低ラインについて書きます。

たとえば、劇場。都内にはさまざまな劇場がありますので、立地や空間等に”こだわらなければ”もっと抑えられます。ですが、演劇は時間空間芸術ですので、空間へのこだわりは捨てられません。また、あの劇場、Geki地下Libertyを選んだのにはさまざまな理由があるのです。(後述します)

製作費。舞台美術小道具衣裳機材費などもろもろをひっくるめたものです。舞台美術にも、特別な意味があり、こだわって作る予定です(美術プランナーのつくりたい世界を尊重したいという気持ちもあります)。また劇中で映像を用いる予定のため、その撮影の経費を考えると制作費はこれで最低限です。

宣伝費は、劇団立ち上げから上演の宣伝までを含めての金額です。知名度が0の状態からのスタートなので宣伝も重要です、が最低限に抑えました。本当はSNSで課金して有料広告を打つのがいいかと思いましたが節約しました。

そして一番大きいのは人件費です。しかしこれも、もはや少なすぎると言ってもいい金額です。

それぞれ、どんなこだわりがあるのか、順番にご説明いたします。

Geki地下Libertyを選んだ理由

この劇場を旗揚げ公演に選んだと言うと、小劇場で活躍されている先輩方はみな驚いて「チャレンジするねえ」と仰います。その通りです。これは挑戦です。挑戦じゃなければ何一つとしやる意味がない。テラヤマ精神です。

Geki地下Libertyは、下北沢駅から徒歩1分という好立地にある、その名の通り地下にある劇場です。客席に傾斜があり、見ていて視界のストレスが少なく、背もたれつきベンチシートで、あくまで僕の主観ですが長時間観てもお尻が痛くならなかったです。トイレも綺麗。下北沢といえば、言わずと知れた東京演劇の聖地です。まずは「旗揚げ公演を下北沢で上演する!」という、このスタンスで、演劇界に進出する「本気度合い」を示したかった。

とても素晴らしい劇場なので、利用料は高めです。先輩方からは「満席にしよう!」と応援していただきますが僕は弱音を吐いてしまいました、7割目指して予算を組みましたと。そんなのダメだよとお叱りを受けますが、僕はそもそも利益のためにやっているわけではないので、プラマイゼロになってくれさえすれば御の字だと思って公演を打ちます。これは”弱気”なのではなく、我々無名の団体が血眼になって「ビジネス的観点からみた妥当な計算」なのです。墜落してしまっては意味ないし、低空飛行でもいいからゴールまで飛ぶ必要があるからです。

この劇場でなければならない理由は、ズバリ「劇場の雰囲気」です。正直、これはぜひ来て体感していただきたい。他の劇場にはない(と言っても過言ではない)空気が漂っています。トイレも綺麗だし(二度目)。難点は物販を売る空間がないことと、劇場入り口がややわかりづらく、そしてすぐ道路に面しているため終演後、お客様をすみやかに解散させなければならないこと。それらに目をつぶっても、劇場の中の雰囲気が”神懸かって”います、文字通り。

そしてさらに、決定的な理由があります。Geki地下Libertyという名前です。演劇の「Geki」、アンダーグラウンドを意味する「地下」、そして極め付けは「Liberty」すなわち作られた自由。寺山修司の作品を上演する上で、これらの、名前に込められた意味を推測するに、これほど適切な場所はないだろと思いました。運命とさえ感じました。

私たちが演劇をするのは、この世が「Freedom」ではないからなのではないでしょうか。どんどん窮屈になっていくこの日本で、勝ち取ることでしか自由を感じることはもうできないと、私は強く思います。勝ち取り方は人それぞれ、お金、地位、名誉、人気、さまざまですが、私にとってのそれは「表現」することだったのです。

ところで、寺山修司はかつて、<天井桟敷>という演劇団体を持っていました。当時、アングラ(アンダーグラウンド)演劇の火付け役として注目を浴びた彼ですが、自分たちの演劇を地下でなく高いところ=天井に置きたいと願い、その名をつけたそうです。その気持ちは、私も含めすべての演劇創造に関わるすべての人が願っていることではないかと思います。

Geki地下Liberty、、いい名前です。

舞台美術のこだわり「虚構の中にあるリアル」

劇場内は工事現場でよくみる鉄パイプ=単管がむきだしになった、まるで秘密基地のような空間です。照明機材を吊るにもうってつけですし、なにより見た目が無骨で自由でかっこいい。この単管を生かした美術を作ろう、と美術プランナーの森山と共に頭をひねっています。

森山は現在、日本大学芸術学部演劇学科で運営の助手をしつつ、舞台美術について研究しています。彼女が研究しているのは舞台美術の根本に立ち返るような大きなテーマで、話を聞いて私もすごく興味が湧きました。

彼女が話してくれたのは、ワイルダーの『わが町』を今の時代に上演するとき、舞台美術はなにができるか、ということでした。

『わが町』は、発表当時当たり前だった「プロセニアム型(客席と舞台がしっかり別れている舞台)」の演劇を覆す、「オープンスペース型(客席と舞台がハッキリ別れていない舞台)」演劇の存在を明確にしたものでした。つまり、『わが町』が持つ衝撃性は、「オープンスペース」が当たり前となった現代演劇においては完全に保つことができないのです。

彼女はまだ答えを出せておりませんが、僕も一緒に考えたいと思っています。それは、僕にもわからないからです。わからないことをそのままにしながら、演劇づくりを進めることができるでしょうか。今回の舞台美術プランが、彼女の研究に少しでも役立てばいいなと心から思っています。

彼女が提案してくれた美術プランは、「劇場を、あるものに仕立てること」でした。見せてくれたスケッチを見て、私のこの作品への視座がまたひとつ増えたような気がしました。寺山修司は「一度劇場になってしまったものをいかにふつうの建物に戻すか、それが大事だ」という旨のことを言っています。それはつまり、劇場という非日常の空間にこそ日常の延長線上にある人間のリアルが眠っていて、それを揺さぶり起こすための仕掛けが演出には必要、というだと私は解釈しています。森山の美術プランからは、「劇空間を劇空間であると再定義することであぶり出されるリアル」を信じる心が伝わってきました。どうにか、彼女の想像する美術を立ち上げたいと思っています。

劇中映像での試み「二重の舞台」

今回の演出のミソは映像だと思っています。原案の『書を捨てよ町へ出よう』は、寺山修司の監督で映画にもなっています。作中に度々現れる「スクリーン」ということばが、この作品を捉える上で重要なキーワードになっていると私は感じます。

寺山修司は、映画館の暗闇にしか映らない映画を、白昼では消えてしまう儚い夢のように捉え、悲哀を表現しました。どんなに、撮影中に築いた役での関係も、カットがかかるとなくなってしまう、とまで言っています。やはり夢は夢、創作物は創作物であるという姿勢が、寺山修司のスタンスのように思います。ですが、詩人に始まった彼の創作人生において、やはり創作物は創作物だけに終わらない何かがあるとも言っています。高倉健の映画を見た後、肩をゆらして歩いている自分。映画は、創作物は、夢を見せてくれます。虚構への愛と、虚構への嫌悪、その狭間にいる寺山修司だからこそ放てる虚構のことばたちには、夢も現実も詰まっているのです。

また、随筆として出版された『書を捨てよ町へ出よう』では、1965年に起きた少年の銃乱射事件についても、スクリーンということばを用いて触れられています。現実で起こった事件だから犯罪少年と決めつけて非難するが、そこが映画の中だったら英雄のように人々の目には映っただろう、という趣旨のものです。寺山修司は、警官に自尊心を傷つけられた少年の心情を、創作を交えて描いています。それによると、事件を起こした少年にとって、そこが映画のワンシーンだったのではないかということなのです。非難すべきは彼よりも、彼を事件に追いやった社会背景を見つめ直すべきだという姿勢が読み取れます。この視点には、はじめて読んだ時かなり衝撃を受けました。以後、ニュースを見る時はこの事件のことが頭をよぎるのです・・・数年前にあった障がい者福祉施設での事件は、決して容認できるものではないが、果たして・・・という具合に。映画のようにスクリーンを通して見たならば非難せずに、彼の気持ちを想像することがだきただろうな、と思うのと同時に、ではなぜスクリーンを通さないと彼の気持ちを想像してはならないのだろう、とも思います。

やや脱線しましたが、つまり映像とは、そういうものなんです。現実と離れているものかのように見えて、実は現実の中に潜んでいる。でも、やっぱりそれは映像なので、現実ではない(よくわかりませんよね、すいません)。しかし、この曖昧な感覚は間違いなく映像を使わなければ生み出せないのです。

私は、小劇場演劇の映像演出について実はかなり否定派です。まず軒並み質が悪いと思います。映像だけで成立しているとは思えない質のものが多い。かつ、必要性がないことが多いです。劇団名とかタイトルを出すためのスクリーンは必要ない(そもそもタイトルをもっと大事にしてほしい)と思います。私はこれを小道具的映像と呼んでいます。そして、ビジュアルを補完するもの、という存在に成り下がっている場合も多いです。私はこれを装置的映像と呼んでいます。つまりそれは装置や演出で表現しようよ、ということです。もっと必然性のある映像でなければ意味がない。それこそ、「スクリーンはからっぽなんだ」です。

私がやってみたいのは、二重の舞台としての映像です。映像を、もう一つの舞台として捉え、そこに登場する人物もきちんと「出演者」として認識させる。舞台越しに見るもう一つの舞台、それを立ち上げたいと考えています。

映像を担当する廣戸は、スマートホンをベースにシュールな作品をつくってSNSに投稿している、面白い就活生の子です。もちろん演劇作品に関わるのは初めてなので、どんな化学反応が起こるのか楽しみです。

宣伝で「スマホと町」をつなぐ

ファンなし状態から、出演者の集客力に期待するだけでは無責任すぎるので、宣伝には力をいれて、企画を絡めながらかなり計画的に行っています。そこで、いままでの宣伝活動を振り返ってみようと思います。

宣伝1◉ティーザー動画・・・ティーザー動画を、大学の先輩でデザイナーのmoi.yamaさんに作っていただき(ギャラは発生しています)、前編を学生時代やっていた演劇ユニットのツイッターに投稿し、後編をエリア51の新設アカウントに投稿しました。これによって、学生時代やっていた劇団を知ってくれていた人には大方認知されたのではないかと思います(そう思いたい)。(動画はコチラ

宣伝2◉ビジュアル写真・・・エリア51のメンバーそれぞれの個性を活かせるよう色や背景をじっくり考え、クールさとポップさを意識してつくりました。デザインは鈴木です。

宣伝3◉ホームページ・・・かなりこだわってつくりました。メンバーの鈴木に作ってもらったのでほとんど費用はかからずに作ることができました。コンセプトは「地図」です。エリア51の仮想領域(=町)を視覚的に表すことで、今後拡がっていく活動が可視化されて、直感的に楽しめるようにつくりました。

今は明らかになっていないエリアも、これからどんどん解放されていきます。たとえば、「CROWD FUNDING」の表記はクラウドファンディング開始とともに付け足しました。エリア51の活動のテーマは「いろんな人と繋がって拡がっていく」ことなので、この地図の中身がどんどん増えていくよう今後も活動していきます。また、いまは"地図"ですが、やがては”そこ”も進化を見せられたらいいなと構想を練っています。(ホームページはコチラ

宣伝4◉インスタグラム・・・公式インスタグラムには特に力を入れています。パッと見たときに「おっ、なんだこれ?」と思ってもらえることを第一に、インパクトとまとまりを意識して投稿しています。こちらも鈴木がトータルコーディネートしています。ちなみに、下の写真のように出演者を1人ずつ発表していくスタイルは人の目に触れる機会が増えるので一石二鳥です。

宣伝5◉「ノゾミ」ファーストビジュアル・・・SNSに投稿するため用意しました。クラウドファンディングのページもそうですが、「黄色」をイメージカラーとして統一していました。このデザインと撮影も鈴木です。

宣伝6◉仮チラシ・・・光沢紙片面カラーで印刷しました。仮チラシにしてはかなり気合の入った印刷方法です。やはり、実際に人の手に届いたときの手触りや発色、色の印象なども大切なので、部数や納期を調節した上で最低限の節約をこころがけました。黄色で統一してきたカラーを、ここで一気に赤に変えました。デザインはやはり鈴木です。

宣伝8◉SNS企画・・・やはり今の時代、重要なのがSNSの使い方ですよね。家でYouTubeを観ていれば楽しんで1日を終えられる現代に、小劇場演劇がどう関わっていけるか。ただの宣伝や、ただ面白い動画を撮るだけでは意味がなく、「つなげる」劇場へと必要があるのです。現在企画中で発表前ですが、SNSと『書を捨てよ町へ出よう』を絡めた企画を準備しています。いろんな人とコラボをして、互いに公演の宣伝ができるという相互メリットを保ちながら、人の輪をつないでいきたいです。時間はかかりますが、少しずつその輪を拡げていきたい。スマホと町をつなぐことができるかどうか、そこも今回の挑戦のひとつです。参考にしたいのは寺山修司の市街劇「ノック」です。旧阿佐ヶ谷市内でゲリラ的に多数上演された劇は、多くの一般市民をも巻き込みました。当然通報を受けたそうですが、とても面白い試みだと思い、現代ではどのような形で上演できるかいつも考えています。ですがこの例が、演劇に対する若干のマイナスイメージをやや助長し現在も根付いているのではないかと思う節もありますので、慎重に考えたいと思っています。事件を起こす、というのはYouTuberの炎上商法のように捉えられて煙たがられる可能性があるので、「事件を起こさずに事件が起きる何か」を仕掛けられたら面白そうです。

以上、宣伝活動についてまとめました。可能な限り工夫し、SNSを利用しながらイメージを伝えてきました。一番費用がかかったのは、やはりチラシ関連です。印刷と、劇場に置いてもらうための交通費と郵便代です。チラシは今の時代、刷らなくていい、という意見もありました。ですが、私は手元に届くという感覚が好きなので、もらったら嬉しいし、画像だけでは伝わらない気持ちが伝わると思うのです。よって、必要最低限に抑え、置かせていただく劇場も慎重に決め、1枚1枚丁寧に扱っています。

マジでギャラは払いたい!

もっともかけているのは人件費です。正直、クラウドファンディングをやるキッカケのほとんどはこれです。<Ready for>の担当者の方に「人件費を払いたくて」と言ったら「もっと夢のある理由ないですか」と返され、夢のある理由を絞り出すのに1ヶ月以上かかりました(担当者さん、その節はすいませんでした)。

声を大にして言いたいのですが、小劇場演劇の人件費はひどいです。今回関わってくれているみなさんが読むかもしれないこの文章にこんなことを書きたくなかったです、本当は。申し訳ありません。でも、それくらい、みなさんへの感謝と尊敬の気持ちを、しっかり人件費という形でお渡ししたいのです。大切で親愛なる出演者、スタッフに声をかけてやってもらっているわけですから、当然のことですよね。でも、こんな事言うと、そんな中みんな苦しいながらも楽しんでやってんだ、と愛のある喝を入れられそうですが、それこそ、働き方改革(便利な使い方しました、すいません)、もとい、これは、楽しい事やるなら苦しみはなるべく少ないほうがいい、という私の願いです。そして、私のとりたいスタンスであり、挑戦のひとつです。

大きい話になってしまいますが、小劇場演劇は確実に日本の文化レベルを保つために必要な要素だと私は思います。したがって、少なくとも、今いる小劇場演劇に携わる人々は辞めてしまわないほうがいいはずです。ですが実際、小劇場演劇を離れるときの理由は、金銭的理由がほとんどなのではないでしょうか。つまり大げさに言うと、「金銭的理由で日本の文化レベルを保てなくなるかもしれない状態」にあると私は言いたいです。

さらに私は小劇場演劇をつかって一儲けしてやろうという気持ちが、逆に気持ち悪いくらい皆無で、プラマイゼロでいいと本気で思っているので、可能な限り関わってくれるみなさんの手に渡ってほしいと考えています。冷静に考えると俺大丈夫か?と未来の自分に聞いてみたいですが、でも、そういうものは後からついてくるものだと思うので、私は今やれることだけをやりたいです。

ですが実際、今回の予算では、出演者に満足な報酬をお渡しできません。最低賃金なんてモンじゃありません。本番の8ステージと、もちろん稽古があり、毎日交通費もかかる中で、そのすべてに対して妥当な報酬はお渡しできないのです。それが本当に本当に悔しいです。何十万も払いたいと言ってるのではないのです、妥当な金額を渡したい、ただそれだけなのです。それすらも敵わないので、何度も「なんでやろうと思ったんだろう・・・」という気持ちにすらなります。

「人件費をしっかり払う」ことは「夢のようなことではない」らしいのですが、では今の世の中、「人件費」は「現実的」なものなのでしょうか? 会社員の方など含め、一部の改善された人をのぞいて、ほとんどが理不尽な収支バランスにあえいでいるのではないでしょうか。小劇場演劇のみならず、日本は今そういう状況にあると思います。貧富の二極化が進み、硬化する経済循環があらゆる部分で"歪み"を起こしているように私は思います。税金は今後さらに増えます。社会保障はきっと増えず、軍事費へ赴きます。年金支給は消えますが徴収は続きます。高齢化社会問題は迷宮入りし、出生率も上がりません。私は経済についてしっかりと学んだわけではないのでこれはあくまで予想です。いつの間にか日本の話になってしまいましたが、それほど深刻な問題だと私は思います。

電車の広告で見かけた問題を思い出しました。それは、世界の子供が学校に行けないことへの警鐘を鳴らすべく打ち出された広告でした。

「とある国のAさんは家族の手伝いで、起きている時間の半分を、残りの時間の2/3を妹の世話で費やします。睡眠時間を6時間として、Aさんが勉強できる時間を答えなさい。学校までは往復3時間かかるものとします。」

当然、それとこれとは比較できるものではないことはわかっています。ですが、”行き詰まった状況”であることはわが国も同じなのかなと思います。

「ノゾミ」が興行的に成功し、エリア51がどんどん売れていけばいいじゃないか、とおっしゃる声も聞こえます。そうです。私たちはそのために頑張ります。しかし、私が考えているのは、小劇場演劇が経済的に好循環している=エリア51も興行的に活動できる、という未来なのです。

寺山修司が唱えた「一点破壊主義」とは一見真逆のように思えますが、「演劇を演る」という一点突破にて活路を見出そうとしていることから、私も他ならぬ一点破壊主義者なのでしょう。

つまり!

これらは必要最低限の出費なのです。創作することにおいて、こだわりを削ることは極力ないほうがいいと思います。というか、あったら創作する意味がない。効率主義の現代において「無駄」を創出することが私たちのような人間の役目とするならば、お金は最低限かけます

また、「今ある資金でやる」ことは、誰にでもできます。やりたいことを実現するために資金が足りなければ、その分をどうにか賄いたい、という思いです。その上で、人の手を借りてでも、やりたいことをやる、という道を選んだのです。さらに、クラウドファンディングを実行することで、多くの人に知ってもらえる可能性が増えます。しかも成功すれば信頼にもなります。そして、エリア51が目指していることが、ただの創作活動に終わるのではなく、日本の社会現状を見つめ直すことにあるという点も、クラウドファンディングを通して皆さんに伝わりやすいと考えたのです。まとめると、クラウドファンディングを決めた理由は以下のとおりになります。

理由1◉作品のこだわりや自分のスタンスを諦めないため

理由2◉「今ある資金でやる」という枠に収まらないため

理由3◉知ってもらえる機会/情報量を増やすため

理由4◉成功した時、金銭的だけでなくさまざまなメリットがあるため

▷クラウドファンディングをするうちに気づいた、真の目的

目的は、ほとんど上記の理由1〜3とかぶってしまいますが、実は、クラウドファンディングを準備・運営しているうちに気づいて、これもひとつの目的だなあと思ったことがあります。

それはズバリ、「応援してもらう」ということです。

先日、ツイッターで作家/劇作家/写真家の保坂萌さんのツイートが波紋を呼びました。その内容は、「好きな俳優(とりわけ小劇場界隈)に、宣材写真の撮影をプレゼントできる権利を販売する」というものでした。つまり、ファンAが、好きな俳優Bに対し撮影できる権利をプレゼントし、Aはサービス料を含めた料金を保坂さんに支払うというシステムです。これはありそうでなかったシステムで、「応援する」という紛れもないひとつのコミュニケーション方法の確立だと思います。宣材写真の質は確実に”そこに映る人”の魅力を大きく左右します。ですので、仕事のチャンスも広がる素敵なプレゼントだと思うのです。しかもこのアイデアは、宣材写真からホットミールや健康グッズ、勉強になる舞台のチケットを譲り渡すなど、さまざまな形に発展しそうなもので、今後の展開が気になります。

しかし、「応援」と「金銭的援助」はイコールにすべきでないという意見もありました。撮影料の最低2万円を良心的と思わない人も中にはいるようです。なぜかというと、ツイートには、ファンAが好意で購入するというものと、俳優Bが差し入れにおねだりするというもの、二つのニュアンスが並列して書かれていからです。つまり、「応援される」側はファンが「応援してくれること」を当たり前だと思うなよ、という所見なのです。この問題はつきつめれば最終的には個人同士の問題になるので解決の糸口は見えませんが、確かに「応援してくれること」を前提としてはなりませんよね・・・

・・・いや、本当にそうでしょうか?

人は何をするにも応援が必要です。応援というのは抽象的な言葉なので、あえて「支援」という言葉に置き換えます。人は何をするにも支援が必要です。私が学生時代よく行っていた喫茶店の注文票の裏には、おそらくマスターの言葉でこんなことが書いてありました。「私の生涯の夢は、たった一人でいい、この店を大切な店だと思ってくれる、たった一人の友人をつくることです」

友人という言葉を選んだのはきっと、”支え合える”関係になりたいからなのでは、ないでしょうか。世の中はお金で回っています。お金はサービスで動きます。サービスとは、もとを辿れば物々交換=支え合う関係なのです。つまり、お客さんに居心地のいい場所とおいしい珈琲を「提供し」、お客さんには「来てもらう」という信頼の交換なのです。

私たちに置き換えたら、「作品を提供して」お客さんを支援して、お客さんに「来てもらって」支援してもらいます。それは結局、互いに必要とし合って”支え合う”関係なのだと思います。

クラウドファンディングでは、まさにその「支え合う」という関係性が明確に表れます。「支えてもらう」側が「提供」するのは当たり前だ、と仰る意見もあるでしょう。しかし、「提供される」側もまた、「支えられている」のです(言葉にしてしまうとあまりに危険な発想のように聞こえますが、完全に客観視すると間違ってないことがわかると思います)。

ですからそのために、私たちは極力よい何かを「提供」する必要があります。背伸びしても、かっこつけても何しても、泥臭くても姑息でも、「提供」したい。その先で待っているであろう「提供される」人々のために。

私は将来劇場がほしいのでうすが、私がいつか劇場を持ったら、トイレのトイレットペーパーホルダーの裏側にでもひっそりとこう書くでしょう。

「私の生涯の夢は、たった一人でいい、この劇場を大切な場所だと思ってくれる、たった一人の友人をつくることです」

旗揚げ公演でクラウドファンディングに挑む、価値

成功するまでは大げさなことは言えませんが、あえて強気に言わせていただくと、「この成功例は小劇場演劇界にとってのノゾミになる」ということです。旗揚げ公演=既存のファンがいない状態でも、努力とみなさまの支援次第ではクラウドファンディングは成功できる。最初は細々と、だんだん予算を大きくしていって・・・という既成概念は崩せる時代なのです。

(すべては失敗すれば戯言に終わるのですが!)

それでも、私は『書を捨てよ町へ出よう』の根本的なスピリッツである「脱却」の精神を持って、この企画とクラウドファンディングに全力で挑みたい。

支え合って・・・とか日本の未来が・・・とか態のいいことを書いてますが、結局、この企画を成功させるため必死でアイデアを絞り出してきました。そしてこれからも、自分自身を拡大しつづけるつもりで、考えて、発信して、つくっていきます。

クラウドファンディング内企画【みんなのノゾミ】

クラウドファンディングのページ内の「新着情報」の欄で、数日に一回のペースで記事を投稿しています。【みんなのノゾミ】というものです。内容は、「ノゾミ」に関わる人にとっての「ノゾミ」とは何なのか、それを考えてもらい、コメントしてもらうというものです。寺山修司作品に関わる以上、人間のパーソナリティや、その人の話す「ことば」について触れて考えることは欠かせません。私自身も、みんなのことばを知ることで演出の幅が広がって深みが増し、たくさんの人のことばが載ることでページも色鮮やかになります。もう、あのクラウドファンディングページは「みんなのノゾミ」という名を冠した作品となりつつあるのです。作品に関わるメンバーだけでことばを集めてもそれは作品に対するコメントになってしまい兼ねないので、ほかにも、何人かに声をかけさせてもらい、コメントを頂戴しています。まだまだ更新しますので、どうぞお楽しみに!

クラウドファンディング内企画【ノゾミに向かって】

これは「ノゾミ」を作っていく上で通る道のりについて、みなさんに知っていただきたいという思いから考えた企画です。ノゾミを持っているから、動くことができて、考えることができると私は思うので、散文的ではあるが記録としての意味も込めて掲載しています。普段、演劇が身近ではない方に向けて、創作というものが如何に血の通ったものであるかを知っていただければいいなと思っています。

▷実際の体験

クラウドファンディングで実際に体験したことについてですが、これについては、終了後にまとめて書きたいと思っています。成功した場合、この知識と経験はとても貴重なものになると確信しています。失敗した場合でも、価値は低いかもしれませんが、いずれにせよこれからクラウドファンディングを検討している小劇場劇団にアドバイスはできると思います。そのためにも、今はまだ下手にお伝えせず、結果を踏まえてから改めてnoteに書きます。

▷現状報告

客観的にわかる現状をありのままの形でまとめます。(6/15 18:00現在)

◉現在集まっている支援金・・・361,000円

◉現在パトロン数・・・31人

◉平均支援金額・・・約11,645円

◉残り金額・・・639,000円

◉残り日数・・・15日

ご覧いただいてわかる通り、単純計算すればこのままでは成功がかなり厳しい状況です。より一層のみなさまよりのご支援を心からお願い申し上げます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◆エリア51と神保治暉の創作テーマと目指すムーブメント

▷エリア51とは

<拡大するアートチーム>を標榜に集まったクリエイター集団。演劇を皮切りに映像や音楽その他のさまざまなクリエイションを通し、ただ表現するのではなく「社会とつながる」ことを目的とする。メンバーは現在、門田宗大・神保治暉・鈴木美結・濵田真美の4名。日本大学芸術学部演劇学科卒業生を中心に結成。劇団という三角形の組織スタイルではなく、「環境」を意識した輪のようなつながりの組織で、共同制作者をどんどん増やしていくことを目指す。さまざまな人とのコラボレーションで創作の領域を拡大していくことが夢。10月2日〜6日、下北沢 Geki地下Libertyにて、旗揚げ公演「ノゾミ」原案:書を捨てよ町へ出よう(寺山修司)を上演予定。ホームページはコチラ

「拡大するアートチーム」に込められた意味

「拡大」には、expand=拡げる、spread=拡がる、の2つの意味が込められています。虫眼鏡で拡大するようにして、人間や社会について深く観察し、さまざまな表現の形へと昇華させる。また、クリエイターとクリエイターとのつながりを網目状に展開し、環境と領域を拡大する。つまり、一つの集団で纏まって動く未来ではなく、クリエイター同士の関係性を連綿と増やしながら活動していく未来を想像しています。そのために、他者との「コラボレーション」に重きを置いて活動していくことを考えています。

人間を掘り下げると、ある水脈に行き着く

と、私は考えています。たとえば、日本人はゴキブリが嫌いですよね。諸説ありますが、かつて農村の倉庫で木彫りの食器を食い荒らす害虫がいて、当時の人々からめちゃくちゃ嫌われた、その虫こそがゴキブリだったらしい。つまり、ゴキブリ嫌いな人間の内面や歴史を人類史レベルで掘り下げると、ゴキブリで実害を被っていたという水脈にたどり着く。

例が多少荒っぽかったですが、これはあらゆることに当てはまると思うんです。すべてのことには原因がありますよね。つまり人間の感情とか性格とか、閉ざされた心とか、内面で起こるものにはすべて原因があると思うのです。私は、表現というものはある意味で人間を映し出したものである必要があると思っているので、人間について考え続けることになると思っています。その先で、ひとつの水源にたどり着くことができたらいいなと夢見ています。

作品を作るため、やはりまずは取り扱う人間について考えます。Aという鉄道運転手がいたとします。彼は幼い頃に鉄道模型のおもちゃを買ってもらえない環境で暮らしていたという。掘り下げてみると、実は一度だけ、鉄道模型を手にしたことがあったらしい。買い与えたのは祖父だった。祖父は若い頃、外でもない、鉄道運転手として働いていて、アラスカを貫く鉄道を走らせていたのだという。しかし祖父は鉄道というものを憎んでいた。なぜなら、鉄道とは戦争の歴史とともに発展してきたものだからだ。祖父は引退するときに、孫であるAに模型をあげたのだという。しかしその模型はなぜか今も押入れでほこりをかぶっている。そこには、祖母を戦争で失くしたAの母の存在がある。Aの母は戦争を憎んでおり、戦地に武器を運んでいた鉄道という存在が許せなかった。母は、Aが鉄道の話をするたびにきつく叱った。そのためAはもらった鉄道模型のことを覚えていない。そんなAは去年の春に結婚し、子供を授かった。彼は同僚にこう話しているという。「かっこいいよな、昔は戦争の武器を積んでらしいぜ。だから俺は子供に鉄道模型を買ってやるんだ。」

さまざまなキーワードが出てきました。「鉄道」「祖父」「アラスカ」「戦争」「押入れ」「祖母の死」「母」「子供」など。これらを、Aをとりまく物語を構成することばだとします。そこから、劇を構想します。おそらく彼の物語からは、「戦争という歴史の風化」や「伝わらない母の思い」、「親から孫へ託される夢」などのメッセージを編み出すことができると思います。

どんな人にも、必ずドラマがある。ドラマがあれば、そこに人がいる。ドラマを通して”人”を伝える。私がやっていきたいのは、そういうことです。また、この創作スタイルは、コラボレーション(詳しくは後述)していくことでさらなる真価を発揮すると私は考えます。

演劇ほどコラボすべきコンテンツはないのに

コラボレーションの魅力は、人と人の化学反応です。人の魅力をもっとも間近で伝えられるコンテンツは他ならぬ演劇なので、コレボレーションの魅力がもっとも色濃く反映されるのは演劇だと思います。

実はほとんどの劇団がすでに実践しています。小劇場ではそもそも客演として俳優が他の劇団の作品に出演したりするし、スタッフは多くの現場を渡り歩いています。それに、大きな劇場でも、劇場と演出家の出会いや、脚本と俳優の出会いなどが企画されて公演が営まれています。

しかし、コラボレーションという「形」をとっているかどうかが肝要だと私は思います。コラボレーションということばには共作や合作というニュアンスがあるため、どちらかが主体になってしまうと、うまいコラボレーションとは言えません。

大きな組織が絡んでいる企画では、パワーバランスというものが関わってしまうため、難しい点も多いと思います。そのため、小劇場での公演のほうがコラボレーションはし易いと私は考えます。

私が参考にしたいのは藤田貴大氏のスタイルです。国内外さまざまなクリエイターと(文字通りの意味で)コラボレーションをして、多くの作品をつくっています。彼の場合、作った作品に意味があるというよりは、「作品をつくっていく」という営み自体に大きな意味があると私は感じています。そして、そのスタイルはこれからのクリエイターの営みの方法として非常に参考になると私は考えます。

私が理想としている小劇場演劇のコラボレーションの形は、異なるスタイルをもった2つ以上の小劇場劇団が部分的あるいは全体的に共作・合作し、そこで起こる化学反応をそのまま舞台上に出現させるというものです。どんどん未知のものが出来上がっていき、また、多くの観客や関係者を巻き込むことができるので規模も拡大します。単純に、「知り合いのAくんが関わってる舞台」よりも「どっかで見たことあるBくんが関わってる舞台」よりも「AくんもBくんも関わってる舞台」のほうが集客力もあがりますからね。

ですがやはり、2つ以上の組織が合わさることで発生する弊害は大きいことは想像に易いです。ですので、プロデューサーとしてエリア51が間に入って企画を進行するという形で動くのもアリかもしれませんね。

もはや勝手に入ったり抜けたりできる自由な「場所」にしたい

エリア51は、環境として在りたいという願いがあります。やがて大きくなった時に、どんな存在としてでも作品づくりと関われる「場所」でありたい。くだけた言い方をすると、芸術版アベンジャーズがやりたいんです(笑)ゆくゆくは、映画部門とか教育部門とか放送部門とかYouTube部門とかでチーム内ユニットをジャンジャン作ってそれぞれ活動していきたい、というか、していってほしい。エリア51には、そういう観点からも「領域」という意味を持たせたのです。

本当に勝手に入ってこられたりいなくなられたりしたらそれは困りますが、でも、それくらいオープンな環境を目指したい。

「エリア51」という仮想居住区域

もともとエリア51とは、アメリカの空軍施設で、UFOなどが持ち込まれているとされる都市伝説などがある場所のことで、そこから命名しました。中で何が起こってるのか、噂が立つほど気になる領域っていうのはロマンがありますよね。もしそこに居住することができたなら、どんな非日常体験が待っているのだろう。

私たちのエリア51は、宇宙船発着場ではなく表現や作品を発着させる場所です。そこで考えたのが、もし、このエリア51に、観劇したりチケットを買ったりしてくれる人に「居住権」を与えられたら面白い、ということです。居住権を持った人は、それぞれのアカウントにログインすることでエリア51に入ることができます。まだまだ検討段階ですが、チケットやグッズの購入ができるショッピングモール、過去作品の閲覧ができる図書館、いままで関係してきた人々の名簿とコンタクト方法がまとまっている役所、みんなでわいわいチャットできる公園など、そこに居住することで得られるメリットがたくさんあります。当然、サービスのために必要な資金は、住民税としていただきます(笑)。

こんなことを考えていると、すごく楽しいです(笑)。

▷神保治暉とは

日本大学芸術学部卒。2年間の社会人期間を経たのち、エリア51を立ち上げた。主な担当は劇作・演出。前身となる学生時代の演劇ユニットでは計10本の演劇作品を作または演出した。ドキュメンタリー的な手法で、人間のリアルを劇に取り込む手法を好む。実験的な公演が多く、学生時代に下校劇「約4キロ」と題した野外劇では総勢40名以上の学生たちと関わったり、架空のツイッターアカウントを日常生活に忍び込ませるところから始まる「お前は何もわかってない」や、劇場をカーテンで分断し対岸の観客同士をツイッター上で会話させる「ようこそ此処はゲニア星」などがある。卒業制作「書を捨てよ町へ出よう'16」では、河野希典賞を受賞。アーカイブサイトはコチラ

なぜ演劇に戻ってきたのか

私は大学卒業後、2年間は演劇から離れた生活を送っていました。人生の最終的な夢は劇場を建てることなので、厳密には、完全に離れていたわけではありませんが、とにかく「創る」ことからは離れていました。

結論から言うと、「属する」ことが合わなかったからです。

大学を出てから、私は「自分は何かに属している」という意識が強くなったことを覚えています。やはり、お金に関わる機会が圧倒的に増えたからでしょうか。県や市に属せば住民税を払い、会社や組織に属せば対価を受け取る。今までは遊戯王カードとかビレバンのCDとかに払っていたお金を、「義務です」と平然と送られてくる払込票を持ってコンビニで払わなければならない。そこで、ああ、自分は日本に、埼玉県に、生きているんだなあと実感したわけです。

しかしこのお金、何に使われているんだろう? 気になって調べてもなかなか分からない。私の調べが甘いのが悪いのかもしれませんが、否。ビレバンに行っても何が陳列されてるのか分からなければどんな名曲が入ったCDでも買わないのが普通です。つまり、分かりづらいのは絶対によくない。昨今大きな問題になっていますが年金についても、考えものです。まあ私が高校生の頃から、年金は破綻するなんてことを聞かされて育ってますから驚きやしませんが、果たしてどうしたもんか。それは政治家の考えることだ、なんて言ってられる次元はとっくに通り過ぎました。想像力を働かせて、このままじゃすべて奪われていくだけだという事実を確かめに行かなくてはなりません。

「当事者意識」なるものが、私は人一倍強いらしく、まったく自分に関係ない人の事件や国際政治に対しても、そこに関わる人々の関係性と背景や相互の感情を想像してしまいます。そうすると、ただ自分の心がもやもやするばかりで、何も解決できない人類問題に閉口するしかないのです。

そんな中で唯一、解決に進めるかもしれない方法がありました。地球上の人間が皆「平和に向かって最善の選択をとるべく平和的方法でアイデアを出し合う」ことでした。

そんなこと、無理すぎました。

人間が生きている意味はありますか? 結局、幸せに出会うためだとあなたは思いますが、その先で何が待っていますか。争いと死しか待っていないではありませんか。

私は生まれてしまったからには、何か意味を見つけて生きることしかできなくなってしまいました。最近の生きる意味は、スマブラで念願のバンジョーカズーイを操作することと、レゴのミレニアムファルコン号を組み立てることくらいです。

もっと些細な幸せでいいじゃないか、とまたあなたは言います。確かに私は身の回りに大切な人がたくさんいて、その人と話すことは幸せです。あと、かわいい動物の動画を見てる時は無条件で幸せな気持ちになります。しかし、それはあくまで「幸せ」なのであって、生きる意味を見失ってしまった私にとっては論点のすり替えであり、答えにならないのです。こればっかりは、自分でみつけるほかありません。

唯一、あるとすれば、何かを考えて、何かをつくって、誰かに伝えること。それだけでした。

組織に属していると、思い通りに行かないことがたくさんありました。なんでもっと・・・どうしてこう・・・と、憤りが募るばかりでした。日本(とくに東京)は超競合社会であり、あらゆるコストを削減して利益をださなければ生きていけない地域です。一部の「夢見る」上層の人々が、下層の「現実見せられる」人々を搾取して使役する世の中です。それを転覆させようだなんて思ってはいませんが、少なくとも私は「現実見させられて使役される」だけの生活に無理を感じました。生きている毎日から、意味という意味がどんどん排除されていく。考える意味、感じる意味、つぶやく意味、時に逆らう意味。組織を統制するために無視されたあらゆる感情が、私の心臓の右心室で堰き止められてどんどん溜まっていくのです。

それで考えたのが、「属さない」ということでした。というか、「属す」やら「組織」という考え方をやめて、「集う」ことにしたのです。パッと見だけでは変わらないかもしれませんが、心持ちはぜんぜん違います。

この発想に至ったのには、振付稼業air:manの存在を知ったことにあります。彼らは、「振付師=1人」という固定概念を覆し、「集団」で振り付けをつくっています。振り付けを考える時は必ず可能な限りすべてのメンバーが集まって、アイデアを出し合うといいます。

私は前述の通り、エリア51を表現のための自由な場所にしていきたいと考えています。どんどん拡がって、大きな集合体になることを目指して。

顔は出したくない

私は今まで、エリア51関連のSNSやクラウドファンディングのページなどで、一度も顔を公開しないことを徹底しています。理由はいくつかありますが、もっとも大きい理由は「組織の顔」になりたくないからです。無責任という見方もできるかもしれませんが、私は顔やビジュアルを商品にするのではなく、作品やアイデア、ことばを商品として扱っていきたいと考えています。であれば、顔を公開する必要はありません。また、エリア51と聞いて私の顔が浮かんでしまうのは、売りたいイメージとは異なるものになってしまいます。演劇の作家や演出家は顔を出すことが多いですが、なぜなのでしょう。顔が見えるという信頼が必要だからでしょうか? 毎日使うファミリーマートの社長の顔、私は思い浮かびません。店員の顔が見えればそれでいいということだと思います。であれば、私の作品の顔は俳優であり、舞台美術であり、スタッフ1人1人の顔なのだから、私は劇場で、チームの一員として、ご来場してくださった方にお礼ができさえすれば嬉しいと思っています。

「つながる」とは

私は「愛」を、「磁力」と定義づけています。誘引もするし、反発もする。つまり愛においては「関係がある」ということが重要なのです。人同士でなくても磁力は発生します。建造物への愛、文房具への愛、帰り道に毎日見かけるノラ猫への愛。

こう考えるきっかけになったのは、大学に入ってSNSを本格的に使うようになってからです。大学時代、SNSの違和感が何なのか知りたくて「つながり」に関する作品をいくつも上演しました。その結果わかったことがあります。スマホの出現によって読書離れとか対人関係の断絶とかが叫ばれていますが、根本的な部分では「愛離れ」が問題なのです。SNSだって誰かを愛せるし愛されることもできます。問題なのは、愛するということがなぜか恥ずかしくなり、愛されるということを恐れ、そもそも「愛が何だか分からない」というフレーズの横行と、その虚無感覚が当たり前になってしまっているところにあります。もはや、愛とかダサいし古い、みたいな議論さえも不毛なものとなっていることでしょう。

先日見た長久允監督映画『ウィーアーリトルゾンビーズ』は、親の愛を受けないまま両親に先立たれた少年少女4人組が「愛とは」という考える余地もなかった感覚について考えていくという内容だが、この映画が話題になった背景には当然、「愛離れ」が普遍化した現代日本において、「両親が死んだのに泣いてない」というフレーズが広く共感を呼んだからだと思います。しかし、映画の中で長久監督はひとつの「愛」を見出していました。彼が観客に伝えたかったのはおそらく、その「愛」についてだと思います(公開中の映画なのでこのくらいにします、すみません)。

ですが、愛を受けていない人なんて、そうそういないと私は思っています(1人もいないとは言っていません、大多数の人についてです)。新宿駅を、障害物レースに興じるかのように、しかも眉ひとつ動かさず早歩きする人々だって、必ず(たぶん)、愛を受けてるし与えているはずです。ただ、「愛」と口にしてしまった途端に崩れてしまいそうなほど淡く大切なものだから言えず、しかもなんだか重く聞こえてしまって、責任すら感じられてしまうからなのだと思います。

『書を捨てよ町へ出よう』にこんなフレーズが登場します。

「ことばをつくれ それがあいだ」

言葉を作るというのはつまり、まだこの世で話されていない単語を話すということ。その単語は、他の誰かに通じる意味を持たない発音のかたまりということになる。それを愛とするということは、すなわち、「愛とは他の誰のものでもない、あなたのものだ」という解釈もできませんか? あなたが持っている愛は、「愛」なんてことばに縛られるほど単純なものではないのです。ただ、それを日本人の他人に通用するような言葉で話した時、それはたまたま、「あ」と「い」の音で発せられるというだけのことです。

(寺山的にいくと、「さあ、あといの発音を練習しましょう!せーの!」とせりふが続きそうですが、)

どんな人だってあいを知っている、そのことに気づいてほしいから、私は作品を作ります。

「ぶたいとあなた あいだにある さまざまなできごと それがあいだ」

ぐだぐだ言いましたが、

結局、私は演劇を信じていて、演劇が大好きなのです。だから演劇をするし、演劇のことばで話すし、演劇の人とつながります。

でも、私が信じる夢を”みんなも信じてくれると確信する”ことこそがほんとうの夢なのだと私は思うのです。ですから、こんな魅力的な演劇を、少しでも多くの人と分かち合って、ともに夢を見て生きていきたいのです。死を待つもの同士、幸せを分かち合いたい。私が目指しているのはそんな世界です。

いいじゃないですか。あなたがパンで幸せになったなら、世界をパンで幸せにしてください。私はとにかく人が幸せになりさえすればいいので、じゃあ、私がいつかつくる劇場に、あなたのパンを仕入れさせてくださいね。小学校の頃の友人が淹れたコーヒーも一緒に出しますから。

とにかく社会を動かしたい

動かすなんて言うと上から目線に見えるので、社会を「知りたい」と言い換えさせてください。

この閉塞していく時代にできることといったら、これくらいしかありません。まずは小劇場演劇という世界から、知っていきたい。みんなが「お金がない」「人が来ない」と喘いでいるのはつらくて見ていられませんから。現状が良くないなら変える、それだけです。私はまだ小劇場演劇の世界に飛び込んでまだ数ヶ月。何も知らない状態です。でも、知れるのはいつか? 待っていても何も知ることはできませんよね。

砂漠の王ガノンドロフは私欲のために聖域に立ち入り「力のトライフォース」を奪い、ハイラル王国を蹂躙しました。決して許されることではありません。ですが、ゲルドの経済状況がどんなものだったかは私は知ることができませんでした。彼が、民族のために力を欲したのならば、それはガノンドロフ自身の問題ではなくゲルド族の経済戦略の問題です(そもそも、100年に1度しか男が産まれず、産まれた男児は強制的に王になるという制度は人権的にも問題山積です)。移民を受け入れるなど、早急な対策が必要でしょう。

話が逸れましたが、つまり、この世にどんな悪があったとしてもそこには必ず原因があります。そこをつきとめ、改善しない限り世界はよくなりません。

よくない世界でストレスの中に生きるくらいなら、改善するために冒険します、そこにどんな絶望が待っていようと。知らないまま、謎のままで終わるゲームなんて誰がプレイしますか?

STAGE 1−1 しょうげきじょう えんげき を かえろ!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◆旗揚げ公演「ノゾミ」原案:書を捨てよ町へ出よう(寺山修司)の概要と企画意図について

▷概要

公演名:「ノゾミ」原案:書を捨てよ町へ出よう(寺山修司)

作・演出:神保治暉(エリア51)

日程:2019年10月2日〜6日(全8公演)

場所:下北沢 Geki地下Liberty

チケット料金:U25...2500円|一般前売り...3500円|一般当日....3800円

予約:8月頃予約開始予定(公式twitterにてお知らせいたします)

出演:門田 宗大(エリア51)|中井 さくら(Space Craft)|土橋 竜太(よしもとクリエイティブ・エージェンシー/劇団うけつ)|余語 美南海(レイ・グローエンタテインメント)|久野 祐希奈|希穂(ラッキーカムカム)|山崎まりあ(UNBLINK Inc.)ほか近日発表

▷企画意図(対外用)

「この社会で自由に生きる」とは?

「書を捨てよ町へ出よう」という言葉を、社会に対して発信したいと思いました。それは、今がまさに変化の時代だからです。

「過去という”目の前にないもの”は捨てて、現在を見つめ、自分なりの行動を起こそう」。それこそが「書を捨てよ町へ出よう」という言葉の、私なりの解釈です。

働くこと、発言すること、感じること、考えること、生きること、自由ということ。一人一人の出した答えが、時代の変化を構成していく。社会とわたしは無関係ではない、そんな時代だからこそ、「この社会で自由に生きる」とはどういうことなのか、きちんと向き合える時間を提供したい。

「書を捨てよ町へ出よう」を選んだ理由

旗揚げ公演というもの自体が「書を捨てよ町へ出よう」の体現であるからです。そして、クラウドファンディングで現状を打破しようとする一点破壊主義的な企画も、「書を捨てよ町へ出よう」だからこそ意味があるのです。アングラ演劇時代を牽引した寺山修司の作品だからアツいのです。

シンポジウム〜つながる小劇場演劇時代へ〜

詳細は後日発表いたしますが、10/6の本番終了後に、同会場でシンポジウムを開催することを予定しています。

内容は、小劇場演劇をもっと盛り上げるための方法のひとつとして、小劇場演劇の横のつながりを強化し、ソーシャルなものにするための方法を考えるというものです。小劇場演劇界のみでなく、別の業界で活躍されている方とも話せたらいいなと思っています。(クラウドファンディングで高額支援してくださったスポンサーの方もご招待いたします)下の画像は、私が考えている小劇場演劇ネットワークの概略図です。

こうして情報を集約することで小劇場演劇に関する情報への相互アクセスを簡易化し、「探さなければ見つけられない」という小劇場演劇の現状を改善できないかという試みです。たとえば、TikTokのように演劇公演の情報が垂れ流されてくるタイムラインがあって、アプリをひらけば自然と小劇場演劇の情報が入ってくるという状態になったとしたら、劇場へのアクセスをより促せるのではないか。

まだまだ不完全なアイデアなので、みなさんの知恵をお借りして、みんなで環境をつくっていけたらいいなと思っています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

さいごに

改めて、クラウドファンディングの現状をお伝えします。(6/15 18:00現在)

◉現在集まっている支援金・・・361,000円

◉残り金額・・・639,000円

◉残り日数・・・15日

どれだけ御託を並べようが面白い作品を作らないことには始まらないことは承知の上で、長々と、思いの丈を書きつけさせていただきました。

最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。そんなあなたに更なるお願いとなってしまい申し訳ありません。下のURLからクラウドファンディングのページに進んでいただき、ご支援していただけますと幸いです。

ちょっと支援の仕方が分かりづらいみたいです。会員登録したり、カード登録したりしないといけないので、分からないことがありましたらお問い合わせいただくか、「運営情報」>「マニュアル」でご確認ください。

ご支援していただいた方には、リターン品としてグッズのプレゼントや公演のご招待などの特典がございます。一番のおすすめはもちろん、全部のリターンが入っているGOLDです!

ご支援いただいた方にはもれなくお手紙を送らせていただきます。そう、それはエリア51からの招待状。失われた何かを追う"書簡演劇"がはじまるのです。日常と非日常の境界を、あなた自身の足で超える想像力の小旅行。ぜひ、ご支援よろしくお願いします。

この記事が参加している募集

お金について考える

ここでサポートいただいたお気持ちは、エリア51の活動や、個人の活動のための資金とさせていただいております。どうぞよろしくお願いいたします。