見出し画像

アドラー心理学では僕はもうダメだった【適応障害になった元教師が語る】

こんにちは。
はるきです。

吃音症の元教師です。

先日、
タワマンのゲストルームに泊まりました。

バスルームがスケスケで天井が高くて
びっくりしました。
でも開放感はすごいありますね!
(本題とは関係なし!笑)

さて今回のテーマは、

アドラー心理学では僕はもうダメだった
【適応障害になった元教師が語る】

という内容で語ります。

アドラー心理学といえば
この本が有名ですよね。

「嫌われる勇気」です。
自己啓発本の超ベストセラーです。

内容もすごくいいです。

またアドラー心理学は学校教育にも
案外取り入れられています。

僕も教師時代にはクラスのために、
または自分のために、
アドラー心理学を取り入れてきました。

今でも素晴らしい心理学だと思います。

しかし、
僕は教師13年目に適応障害になり、
仕事を退職しました。

当時もアドラー心理学を取り入れた実践を
取り入れていました。

また自分自身に対しても「嫌われる勇気」に
書かれていた内容を取り入れていました。

しかし、
ダメでした。

仕事は上手くいかず、
僕自身のメンタルもボロボロになり、
結果は休職・退職しました。


誤解がないようにしたいのですが、
アドラー心理学がダメだなんて思いません。

「当時の僕」にはアドラー心理学が
通用しなかったという意味です。

僕はアドラー心理学を
めちゃくちゃ研究したわけでもありません。

専門家からすれば、
「それじゃダメだよ」
と言われるかもしれません。

ただ、
アドラー心理学に対する知識は
おそらく多くの人と僕は同じだと思います。

本を読んで学んだ、
ぐらいではないでしょうか。

アドラー心理学を学んだ僕と同じような人が
今後どのような注意が必要なのか、
上手くいかなかったときはどうすればいいのか?

僕自身の経験を交えて、
紹介したいと思います!

それではレッツゴー!


アドラー心理学では僕はもうダメだった【適応障害になった元教師が語る】



1.「課題の分離」なんてできる状況ではない

「嫌われる勇気」を読むと
上位になるぐらい有名なフレーズが、

「課題の分離」です。

自分と相手の課題を分けよう、
という考え方です。

人間関係が上手くいかないときに、

「何であの人はわかってくれないのか?」
「自分が何か悪いことをしてしまったのか?」

と相手の一挙一動に心を奪われて、
心がザワザワしてしまうときがあります。

そんなときに課題の分離をすることが大切で、

自分ができることはもうやった、
後はもう相手の課題だよね
気にするのはもうやめよう

このように気にしすぎないことが大切です。


しかし、
当時の僕は課題の分離をしようとも、
できる状況ではありませんでした。

そもそも教師って
相手の課題に目を背けられない仕事です。

先生はやれるだけのことはやったから、
後はあなたたちでよろしくね、
なんてできない仕事です。

もちろん
それがやり甲斐であるときもありますが、
限度があります。

相手の課題に向き合うにも、
質と量が大きすぎるとキャパオーバーします。

だからこそ課題の分離をしたいのに、
それもできない…

そうやって、
だんだん心が蝕まれてきました。

課題の分離は大切ですが
それができない状況もある、
ということをぜひ知っておいてください。


2.「ありがとう」なんて言いたくない!

アドラー心理学では
「褒めない」「叱らない」
を大切にしています。

民主主義の考え方も大切にし、
褒める・叱るでは対等な立場にならない、
とのことです。

また褒める・叱るは
行動や行為に対する評価でもあります。

たとえばテストで◯点取ったから、
褒める・叱るといったことです。

アドラー心理学ではそうではありません。

「認めること」が大切だと述べています。

あの人が
良いことをやったから褒める、
悪いことをやったから叱る、
ではなく、
ますばあなたの存在そのものを認める。

キーワードは「ありがとう」です。

「ありがとう」という言葉は、
対等な立場での感謝になります。

教育として用いるならば、
ある子どもの良い行動に対して、
「ありがとう」という感謝を述べることです。

その言葉によって、
子どもたちは自分の存在を認められ、
安心感や勇気を持てるのです。

こう考えると、
やはり素晴らしい心理学だと思います。

しかし、
当時の僕の状況に戻すと、
つらすぎる人間関係に悩まされ続けました。

「ありがとう」なんて言いたくないほどの
憎しみの感情です。

それでも僅かな感謝の場面を見つけ、
「ありがとう」を伝えていきました。

でも、
自分の心に嘘はつけません。

だんだん心がバラバラになっていきました。

だからもう自分を偽るのはやめて、
感謝すべき人には感謝をしますが、
感謝すべきではない人にまでやる必要はない
と思ったのです。

ただ、
その状況を作るには教師ではダメでした。

結果、
仕事を退職し、
自分の心に偽りなく穏やかに過ごせました。


3.「たたかう」はやめて、「にげる」ボタンを押す

ここまで
僕が経験したアドラー心理学の盲点を
述べてきました。

僕が思うアドラー心理学は、
「現状を何とかする」考え方なのです。

勉強不足なので
反論はたっぷりあると思いますが笑


ドラクエの戦闘シーンでは、
まず「たたかう」ボタンがあり、
その後に攻撃や魔法が選択できます。

アドラー心理学は
「たたかう」が前提の考え方だと感じます。

つらい現状の中を

・どう闘っていくか、
・どう乗り越えていくか、

という場合には優れた考え方です。

ですので、
つらい現状にも抗えるパワーが
それなりにあるのが前提です。

僕も1年間は頑張れました。


しかし、
アドラー心理学を用いて何とか踏ん張れても
やはり限界があるのですね。

そんなときは、
「現状そのもの」を変える決断が必要です。

「現状そのものに疑問を持つ」でもいい。


ドラクエでいえば、
「たたかう」ではなく、
「にげる」ボタンを押すのです。

そして、
今の自分に適したフィールドで闘うのです。


そうすると不思議なことが起きました。

僕のスキルやキャリアが
大きく変わったわけではない。
(むしろキャリアは下がった)

しかし、
教師をやめて環境を変えたことによって、

・勤務時間が大きく減り、
・ストレスも減り、
・自分の時間も増え、
・収入も上がった

こんなことが起きたのです。

繰り返しますが、
僕もスキルは何も変わりません。
すべて数ヶ月間の話です。


だからこそ現状がつらすぎる人は、
そこで頑張るのもほどほどにして、
現状そのものを変えることも
視野に入れるのが大切だと考えます。

必要があるから
「にげる」ボタンが存在するのですね。


もし、
僕ともっと深い対話がしたい人は
ぜひLINEからメッセージしてくださいね☺️


これからも一緒に乗り越えていきましょう❗️

以上、
アドラー心理学では僕はもうダメだった
【適応障害になった元教師が語る】

でした☺️

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?