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第26夜◇明日ありと思う心の仇桜~親鸞

明日ありと 思う心の 仇桜
夜半に嵐の 吹かぬものかは


(意訳:明日も見られると思っているこの桜ですが、夜中に嵐が吹いて散ってしまうかもしれません。)

親鸞聖人

最も簡単なことは、最も難しい。

「南無阿弥陀仏と唱えるだけでよい」
一見とても簡単である。口に出して唱えるだけ?

昔教科書で、広く人々に馴染みやすく…、と読んだなあと思いながら、先日ふとしたきっかけで、親鸞の本をぱらぱらと捲りながら、愕然としました。

念仏を唱えるだけというのは、自らの運命を前にして、すべて身を任せて何もしないということではないでしょうか。宗派によらず、阿弥陀様ではなく、自然の流れでも、大いなる力でも良いのでしょうが、自力で運命を動かそうとする心、一切を手放すということ。

これはいかなる苦行を積むよりも、難しいのではないか。

何もしないということは、あらゆることを行うより難しい。何も考えないということは、あらゆることを思い巡らすより難しい。

はぁと長いため息をつきました。
そうだよね。いつだって真理は両極端を含むものねと、どこまでもゆるやかに落ちていくような、同時に空へ浮かんでいくような心地で。