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第29夜◇過ぎぬれば我が身の老いとなるものを~肥後

過ぎぬれば 我が身の老いと なるものを
なにゆえ明日の 春をまつらむ


(意訳:過ぎてしまえば、また一つ老いを重ねてしまうのに、なぜ春が来るのを待つというのだろうか。)

肥後 玉葉和歌集

桜の木の下で、さめざめと泣いている人がいました。

不思議に思って訳をたずねてみると、「花が咲いたらまた少し別れが近づいてしまいます。どうして涙を流さずにいられましょう…。」と言うのです。なるほど、もっともなことだと思い、「そのお話し詳しくお聞かせください。」と…。

こんな光景が思い浮かびました。

生きることは不条理であると思う。
迎えた春はまもなく過ぎてしまい、いつとも知れぬ、わが身との別れ、愛するものとの別れ。そんな悲哀を抱えて、憂いを感じずにいられようか。

桜の花がどこかかなしいのは、人に一生のはなかさを思い起こさせるからでしょうか。愛しいものとの残された時が、花の命のように短いと仄めかすからでしょうか。

花のかなしさが、なにを問いかけてくれるでしょう。
哀しさと愛しさは、同じ根から生えたつがい。ならば今年は桜をみて、泣いてみようか。