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風の写真

今日はある歳上の友人の命日らしい。らしいというのはなぜか日にちを覚えていないからで、毎年この時期になると以前のノートを見返して命日を確認している。
生前は1年にも満たない付き合いだったので、死んでからの付き合いが長くなるのに1年もかからなかった。
文学と映画の仕事を介した付き合いだったが、どんな作品も彼の命を救う(もう少しでも死を先延ばしする)ことが出来なかったと思った。
無力なのをよくよく承知して、その後も、書いたり、つくったりをつづけている。

没後、6年になる。
ぼくはそろそろ彼の享年を追い越してしまう。
彼の死の約1ヶ月前に東北で大きな地震があった。
亡くなる少し前に手紙を貰ったが、ぼくは返信を出せないままだった。
彼の死の約1年前、ぼくは10数年を過ごした大阪から府中へ、あとから考えたら自分でも意味のよくわからない移動(引っ越し)をした。そこでは「ひきこもり」のようになった。
彼と過ごした時間の記憶は、府中で過ごした孤独な時間の感触とともにある。
時間は、ゆっくりになったり素早くなったりする。行ったり来たりもしているような気がする。

彼は手紙の結びにいつも「空」のことを書いていた。オリジナルの決まり文句みたいなものか。空を見上げると何かを感じるが、それをことばにはできない。空を写真に撮る。写真のなかの空に風が写っている。風の音を感じる。

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