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"吃音"の話をラジオで聴く

TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」に吃音の当事者たちが出演して、「吃音で伝えられないことの苦しさ、もどかしさとは?」を話しているのを聞いた。

ぼくはいま吃音のことを考える時間がものすごく少なくなっている。

吃音が自分の中からなくなったわけではない。声が出にくい、出ない、と思うことはよくある。相変わらず“波”はある。電話は相変わらず苦手だし。怖い。

それが自分の行動に影響を与えているようなことも相変わらずあると思う。

吃音のことに限らずぼくはいろんなことの影響を受けながら生きている。

しかしいま自分にとってそれは大きな問題ではないのである。

人生にはほんとうにいろんな問題があり、見出されるし、いろんな時期があるものだと思う。

とはいえ、それが大きな問題となり、苦しかった時期があり、たくさんの人に助けてもらった。

そのことには感謝しているし、出会いが得られたことはぼくの人生の宝だ。

いや、たくさんの人とぼくは言いたくない。ひとりひとりの顔を思い出せるし、彼らひとりひとりに感謝してる。

ひとりひとりが重要なのであって、吃音そのものは自分にとってさほど重要ではないようにも感じられる。

吃音は、ほかのいろんな"障害"と一緒で、とも言えるかもしれないが、ひとりひとりで、いろんな吃音がある。

グラデーションに幅がある。

吃音とはこれこれ、こういうものでございますという説明は、世間に向けて理解を求める上では必要ではないかと思う。

だからどんどんやってほしい。やれる人は。

でも自分にはできない、と、この放送を聞きながら思った。

自分にはよくわかっていないからだ。

自分の体験や、感じ方、考え方を話すことはできる。

でも、"吃音"の話をすることは、じつはぼくにはできないのではないか、と急に思った。

ぼくは自分が吃音者であるということはずっとオープンにしてきたが、じつは、何か、重たいものが自分にはずっと覆いかぶさっているのかもしれない。

そんなことが今日、ぼくはもう40歳になり、吃音と共に35年以上過ごしてきたが、今日になって突然、感じられてきたのが面白かった。

(つづく)

「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"、1日めくって、3月29日。今日は、ちいさな足の話。

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