見出し画像

2022年の『サウダーヂ』

先日は11年前のブログの[復刻版]を載せたのでしたが、その『サウダーヂ』を11年ぶりに観ました。

11年前にはもっとクリアだったような気がする。影の深い映像になっていたのは、35mmフィルムからデジタルへとコピーされた結果かもしれないし、時代が変わって、自分の見え方が変わったせいもあるかもしれない。公開当時に観た時の見え方とは、違っていた。

そうなると、『サウダーヂ』という映画の画面の中に影が、こんなにも占めていたのか、ということに気づくことにもなった。影の中は、よく見えない。見えないくらいがよいのかもしれない(当時はもう少し見えていたような気がする、いや、実際のところどうだろう)。

甲府という街の中にいた日本人、タイ人、そしてブラジル人、それぞれは、全く違う表情を見せている。今回、観ていて、ブラジル人たちが〈神さま〉ということばをよく口にしていることに気づいた。どんなに劣悪な、複雑な状況でも、ブラジル人たちには〈神さま〉がいるのだ。

『サウダーヂ』に出てくる日本人たちにはそれがない。出てきても何か胡散臭い。タイから来て働いている女性たちには、あるだろうか(『バンコクナイツ』を観直したら感じられるかもしれない)。

やっている音楽にも、その差は現れていて、甲府のグループ「アーミービレッジ」のラップはどこか陰険で、真面目だけれど社会や人生に対する諦めがある。対してブラジル人のグループ「スモールパーク」は、あっけらかんと愛を歌っているようなところがあり、人生を謳歌しようとしている。

もちろんそれは空族の狙いなのだろうけど、11年前はそこまで強く意識しなかった。いま思えば、「スモールパーク」の方が時代の先を行っているような気がする。つまり、彼らは絶望の先まで行っているというか…日本人たちはまだ絶望のさ中にいた。11年後のいま、どうなっているだろうか。

「何となく可笑しい」ことを記録するように撮られたさまざまな断片は、いま観てもじゅうぶんに笑えた。大笑いというふうではなくて、映画館の暗闇の中で、クスクス、クスクス、とするような笑いだ。

その笑いは、観ているこちらを慰めてくれるようであり、そんなところに、11年前は救いを感じていたんじゃないかと思う。それはいまでも、あまり変わっていない。

「ここじゃない、どこかへ!」の脱出願望を描いた映画でもある。そんな「どこか」なんて、ないのかもしれないけれど、じつはいまいる「ここ」に、「どこか」が潜んでいるのかもしれない。最後の方で、シャッター街と化した甲府の街を空族のカメラが彷徨うように映し出す、その断片の数々を浴びながら、そんなことを思ったりもする。

その映像だけでは、何を意味するのか、よくわからないような断片が、面白い効果を上げている。『サウダーヂ』には、思っていた以上に、出口がたくさんあるのかもしれない。ぼくは今回、11年前とは違う出口から出てきたような気がしている。

(つづく)

アフリカキカクの新刊『モグとユウヒの冒険』、空族の創設メンバーであり名付け親でもあった井川拓の遺作です。ようやく完成しました。

出来立てホヤホヤの『モグとユウヒの冒険』

「モグとユウヒの冒険」は、琵琶湖の畔、マキノに住む小学生の兄弟を主人公として、稼ぐのが苦手な陶芸家の父、仕事からの帰りが遅い母、15歳の時に事故で脳の障害を負った"彷徨(うろつ)き"癖のある伯父、そして彼ら家族の記憶の中に生きる愛犬・モグが繰り広げる涙あり笑いありの"小さな大冒険"──子供に向けて、優しい口調で語りかけられるような物語です。
巻末には下窪俊哉による井川拓伝ともいうべき解説「モグと井川拓の冒険」を収録。空族の黎明期についても、詳しく触れています。

アフリカキカクの本

日常を旅する雑誌『アフリカ』最新号 & バックナンバー、それからこの2年の間につくったあの本、この本、ウェブショップをメインに引き続き発売中。ご注文いただければすぐにお届けします。お気軽に。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?