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"素朴"へのとっかかり

最近、自分は“素朴”ということばをよく使っているなぁ、と先ほど気づいた。

ここ(「道草のススメ2019」)でも多用しているかどうか、確認していないが、それではなくて朝のページ(毎朝1ページ書いている自分だけの場)に多かったような気がする。

花田清輝『復興期の精神』の文庫本を久しぶりに出してきてめくっていて、めくったら読むでしょう、読んでいたら「歌」という章があり、ジョット、ゴッホ、ゴーガンのことが書かれているのだが、そこに“素朴”の考察があり、「あ」、と探し物を見つけたように気づいたのだった。

これが何やら“素朴”であることは大変なことみたいだ。

レンズのなかをとおってゆく光のように、素朴は、屈折を経て、はじめて白熱する。それが我我の心をやくのは、自然のままであるからではない。

たとえばこんな感じ。

“素朴”と言うと、ふつーは(この"ふつー"が曲者なのだが)、"洗練"の逆で(それはまぁいいのだが)、"自然に近い様"とか、へたしたら"単純"といった意味で使われる。

ぼくは自分がどういう感触で“素朴”を捉えているのか──じつは、よく考えてみたら、よくわからない。

そこで、こういう文章では、問題提起のようなことがなされたわけだから、「それは、これこれ、こうでござい」と申し上げるのがいまの人たちには当然のことのように思われるかもしれないとは思う。が、ここでは、「さぁて、何だってんだ」と言って今日のところは──

(つづく)

毎日思いつきで書いているので深くまで立ち入るのは難しいンですが、それがまさに"道草"のススメ。上の絵は今日観たイケムラレイコさんの絵の部分でした。「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"は、1日めくって、2月10日。今日は、"ガーリー"な話。※毎日だいたい朝に更新しています。

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