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その先にある風景を、こどもたちと共に〜加藤友美子『月と太陽の子どもたち』のこと

このアカウントでは元旦に書いて以来です。いかがお過ごしでしょうか。

その時に書いた通り、『道草の家のWSマガジン』を1月、2月と続けてリリースして、そのたびに「WSマガジンの会」というウェブ会合をやったりしながら、『アフリカ』次号に向けても動き出していましたが、3月には仕上げられそう。

つまり今年は再び、書いたり、つくったりすることが活発になっています。

そうなるとここ(note)で書く方は疎かになりますが、それでもいいんだよ、というふうにも思いつつ、でもこういうところで書きたいこともあるので少しずつ書きます。

加藤友美子さんがつくった写真集『月と太陽の子どもたち』のことは、そのうちに書いてみたいと思っていました。今日はその話。

いい天気の、冬の朝に

加藤さんには、ダウン症のお子さんがいらっしゃる。この本の巻末に収録されている日記風のテキストに、そのことは書かれている。今年で8歳になるのだろうか(うちの子の1歳下くらいか)。しかし、この写真集は加藤さんの子や、家族の日常を集めたものではない。「障がい児の親」となった加藤さんは、さまざまな障害を生きるこどもたちと出会った(その向こうには、その子の親や家族がいるだろう)。その子たちを撮った作品集になっている。その子たちの中に、加藤さんの子もいる。本をめくっていて想像はできるが、どれが加藤さんの子だという明示はない。みんな、"月と太陽の子ども" なのである。

この写真集には、その、彼らとの出会いの喜びが満ち溢れている。

「我が子を撮る」ことからはみ出してゆく力(パワー)は、加藤さんが根っからの写真家だからこそ出てきたものだろう。生まれてきたばかりの子がダウン症と診断されて、ショックを受けつつも、「障がい児の親」となったという視座を持ち、何がどうあれ生きている限り続いてゆく日常にカメラを持って入ってゆき──加藤さんにとって写真は生きてゆくための道具になったろう──彼らと共に過ごし、感じられるものを記録してゆく。

私が『月と太陽の子どもたち』という写真集の存在を知ったのは、トモ・コスガさんのやっているYouTube番組で、加藤さんがそこに出て、この写真群について話しているのを聴いたからだ。

そこで、例えば"幸せ"を描くのに、障害のある子たちの笑顔を使いたくなかったというような話を加藤さんはしていた。その子らと共に過ごし、ふとした瞬間をカメラで切り取る。

この写真集を通して見えてくるものは、加藤さんの見るこどもたちの姿というよりも、彼らが加藤さんを見ている、もっと言うと、その先にある風景を、こどもたちと共に見ているというところにある。

その子と過ごす室内に、光が差し込む。そこに"月"が現れる。

車窓や、家の窓から、ガラス越しに見える風景に、何らかの共鳴が感じられる。

この写真集に収められた殆どの写真は、室内(あるいは車内だろうか)で撮られている。

そうすると、外の世界への、憧れが、痛いほど感じられる。

身近なところに自然が、宇宙が、転がっているのを写真家は発見したりもする。それはもちろん、傍にいたその子が教えてくれたものだろう。

そういうことをくり返していると、その子らが傍にいない時にも、何かを見る加藤さんの目が、カメラが、彼らの目を通して見ているのを感じることができるのだろう。

空の上だけでなく、"私"の指先へも、太陽はのぼる。

後半のページに、公園の中にぽつんと立っている子が現れる。そこで、私はハッとした。その子は、掌に何かをのせているように見える。

(つづく)

その写真集、以下のページから買うことが出来ます。よかったらぜひ。

ウェブマガジン「水牛」には、「『アフリカ』を続けて」を連載中。3月号は明日の更新になるはずです。


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