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自閉症者が求めていたもの



現在特別支援を専攻中


僕は、

本当の意味での

「対話」を行うことが出来なかった。

自閉症だったから。仕方がなかった。

ずっと自分が何なのか知りたかった。

人は、他者がいることによって、

初めて自分自身の感情を知る。

他者の感情を知ることが出来ない僕達は

それを行うことが出来ない。

ある自閉症者が言っていた。

自分のことを知る事が、何よりも喜びだと。

誕生日プレゼントより、

自分の脳のMRIや診断書を貰う方が遥かに

ご褒美なのだと。

それはおそらく、僕とと同じように

真の意味での対話が出来ず

自分の感情を知る事が、

出来なかったからだろう。

僕も自分のMRIを見た時は、

初めて自分の感情に触れた気がして

とても嬉しかった。

僕が医学や心理を選ばず、

特別支援を学ぶことを選んだのは、

特別支援は、まさに「対話」の象徴だったから。

話せない人たち。話す事が難しい人達。

言葉とは違う方法で、

コミュニケーションを取る者達。

普通とは違うコミュニケーション。

それは紛れもなく、

普通の人たちが使う言葉よりも

遥かに重みがあり、意味があった。

障害者を支援する人々はよく言っていた。

彼らとの対話は、良い意味で衝撃だと。

特別支援は、障害者だけでなく、

それを支援する人間たちの人生観を

一変させてしまうのだ。

話せない。

変わった方法で対話を図り、

人の人生を分岐させていくその学問は、

まさに僕が人生で求めるものだった。


言葉は ただの伝達道具ではない。

知らなかった自分に出会う為の、冒険。

だからこそ僕は、対話を求める。

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