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私の推し画家Vol.10(狩野 永徳)

締めは永徳で

2007年に相国寺承天閣美術館の若冲展に行ってから日本美術に興味を抱いて同じ年の秋に京都国立博物館狩野永徳展に行きました。狩野派の何たるかもまるで分からないまっさら状態でしたが、あれから15年、今ではまだまだ未熟ではありますが、いっぱしの歴女を自負しています。
きっかけとなったのは↓黒田日出男先生のこの本

現在、上杉本洛中洛外図として米沢市上杉博物館にあるこの作品の制作年と制作者について解き明かしていて、それが今では定説になっています。
それによると、永徳23歳の1565年に時の将軍足利義輝の発注により描かれ、後に織田信長によって上杉謙信に贈られたそうな。だから上杉家のあった米沢にあるんですね。ハイ、この作品に会いに米沢まで行きましたよ。
上杉家は元々越後の領主でしたが、第17代上杉景勝の時に関ヶ原の戦いで豊臣方に付いた為、徳川家康に所領を没収され、4分の1に縮小されて山形に追いやられました。その時はわざわざ出かけた甲斐もなく休館日で仕方なく上杉家代々のお殿様のお墓がある上杉家廟所を見学してすごすごと引き上げました。でも京都にも来ていてその後東京でも何度かお会い出来ました…国宝です。

狩野 永徳「洛中洛外図屛風」no.1
狩野 永徳「洛中洛外図屛風」No.2

この制作年と発注者に関わる謎解きの過程が面白くて、黒田先生の本はその後も何冊か読み漁りました。でも、洛中洛外図でいうと、私は岩佐又兵衛舟木本の方が押しです。


ここでも色々と豊臣家絡みで興味深い絵解きがなされています。
でも、何と言っても私の押しは豊臣秀吉が描かせたという「唐獅子図屛風」(タイトル画)です。こちらは、宮内庁所蔵でつい最近若冲の「動植綵絵」などと共に令和3年度の国宝に指定されました。いかにも秀吉が好みそうな豪快な作品です。
狩野派の元祖と言うべき永徳は47歳で今でいう過労死してしまいますが、その子孫達は枝分かれしながらも明治時代の狩野 芳崖、橋本 雅邦まで連綿と続いていくことになるのです。

エピローグ

これまで、私の拙い文章をお読みいただきありがとうございました。
押し画家シリーズはこの10人(前回のジャン=レオン・ジェロームを入れると11人)で、一区切りとしたいと思います。
noteを初めて丁度半年経ちました。思えば15年程前ホームページ(その頃まだブログは無かった)を立ち上げ、日々の思いを綴っていましたが、荒らしに会ってなすすべもなく閉鎖するに至った苦い経験があります。
SNSで発信するのはそれ以来ですが、そういう嫌な思いをする事なく書き綴れるのは快適です。読んでくださる方も少しづつ増えてきて、ネット上の交流も出来て張り合いもあります。貴重な情報も沢山いただきました。

新ネタが閃くまで、暫くお休みしますが、皆さんの記事を読むのはこれからも続けていきますので、どうぞよろしくお願い致します。