見出し画像

夏休みの自由研究はメンドくさいものなのか?

ただいま梅雨シーズン真っ只中ですが、突如暑い日々。何だかもう夏がやってきたみたいな気温です。もうすぐ7月。もうあっという間に1学期が終わり、夏休みがやってきます。

「夏休み!」と聞けばなんだかテンションが上がりますが、子供の家の夏休みは単に「園児が登園してこない期間」というだけで、職員は普通に働いています。溜まった書類や領収書の整理、2学期以降に使う教材の準備・補充、行事に使う用具や道具の製作などなど…やることは山のようにありますが、園児がいないというだけで若干気が楽だったりします。ランチ時間も子供の食べこぼしを拭くのを手伝ったり、食の細い子が楽しく食べられるように声をかけたりする必要もありませんから、自分のペースでゆったり食べられます。いつもは持参している自作の(たいがいが前日の晩御飯の残り)弁当もないので、たまには職員同士、外でランチを楽しんだりもできて、ちょっとしたリフレッシュの時間となります。

すっかり大人のペースでの仕事時間を満喫しつつも、一方では「子供たちどうしているのかな?楽しく過ごしているかしら」なんてふと考えるのは保育士あるあるなのかもしれません。

家族で旅行に出かけているのかな?
おじいちゃん・おばあちゃんと会えたかな?
外でたくさん遊んでいるのかな?
そして、夏休みが終わる頃には楽しい「自由研究」が出来上がっているかしらん?

「…自由研究?」

そう、自由研究です。
私が小学生の頃の夏休みの定番の宿題は「読書感想文」と「自由研究」でした。原宿子供の家の場合「読書感想文」はありませんが、「自由研究」なるものは存在します。もちろん何をテーマにするのも「自由」ですし、そもそも提出も任意なので別にやりたくなければやらなくてもいい。でも、いつもほとんどの子供が休み明けに何かしらを持ってきます。幼児のことですし、この提出率の高さはひとえに親の努力の賜物であることは間違えありません。ほんとに親御さんたち素晴らしい!という一言に尽きるわけですけれど。

私がいつも素晴らしいなと感じている点は、親御さんの目線です。子供達の興味の捉え方、探求の仕方です。自由研究のために、ことさら子供に何かを「やらせよう」としているわけではありません。タネを明かせば、旅行やレジャーに出かけたり、家で遊んでいたりする中で子供の興味をとらえて「記録」をとっているのです。まずは子供と一緒に楽しんで(なんなら大人の方が率先して楽しんでいる、ここが結構大事)、その記録として残したものが「自由研究」になります。親も見事に「モンテッソーリ」を取り入れている。子供と一緒に思いっきり楽しんだ後で、年齢や興味に合わせてできることを自由研究にすればいいのです。

祖父母のいる地方に遊びに行ったら、(仮に札幌市だとしたら)模造紙に北海道の地図を貼り、札幌の位置を書き込む。周りに行った場所の写真を配置して、テレビ塔、藻岩山という場所の名称とともに子供がどんな風に感じたか(高いところからの景色が綺麗だった、とか何でも)メモを書いておく。年長児なら自分で書けるように手伝えばいいし、まだ文字が書けないなら書く内容を話し合ったうえで、親が代わりに書けばいい。

もしも子供が乗り物好きなら、市内を走っている市電の写真や市営地下鉄、空港までの電車の写真を貼ってもいいかもしれない。旅行先でフリーで手に入るパンフレットの写真を活用してもいい。食べ物が好きなら食べたものの記録を書いてもいいかもしれない。とにかく子供が好きな切り口からその場所を調べてみる。ついでに大きさ(1121㎢)や人口(195万人)を調べれば、僕の普段住んでる町よりずっと広いなんてこともわかったりするかもしれない。

旅行に行かない場合でも家でも色々工夫の仕方はあります。
絵を描くならば、ついでに絵の具を使って色を混ぜてみる遊びもいいかもしれない。原色の絵の具を水に溶いておき、混ぜてみて色を作ってみよう。
 赤+黄=橙
 赤+青=紫
 黄+青=緑
 赤+白=桃
 青+白=水色
 黄+白=薄黄
混ぜる量の配分を変えると色も微妙に変わってくるので、画用紙の上にグラデーションを作ってみても楽しい。

公園に行ったり、山登りに行ったら、形の違う葉をたくさん持ち帰ってこよう。家に帰ったら形の似ているものをグループ化して紙に貼ってみる。葉を画材にして、面白い絵画を作ってみるのもいいだろう。楽しかった外遊びの思い出とともに、室内でもう一度楽しめるのだからお得かもしれない。

自分と関係のないことを突然「研究」しようなんて考えると、折角の研究がつまらない「義務」になってしまうけれど、自分が楽しい、興味があるものを研究対象とすれば、学びも「楽しみ」になるものです。単純なことのようで、重要なポイントだと思います。こういうことを小さなことから経験している子は「勉強=苦労」ではなくて、「勉強=自分の知的好奇心を満たすもの」という考え方にできるのでは。好きなことなら言われなくてもできるものだし。

自由研究。全くのノンルール。だけど何でもいい、って言われるとかえって困ってしまうのが日本人かもしれないです。何でもいい、を楽しめるってことも経験が必要かもしれないですね。小さな頃に大人がうまくリードしてあげることで、今度は子供が「自分でやってみよう!」ってことに繋がる気がしています。

そして。自由研究はやりっぱなしではいけません。
夏休み明けに持参した「研究物」を手に、子供たちは自ら「研究発表会」を開催しています。帰宅前の集会の時間を使って数名ずつ行いますので、しばらくは「研究発表ウィーク」が続きます。

最初のうちは何を言っていいのかわからないので、教師が手伝ったり、インタビュー形式にしたりします。自分で話すことに慣れたり、友達のを聞いたりして成長した年長児はもう慣れたもので、自信たっぷりにみんなの前に出て、スラスラと話します。「ここはちょっと大変だった」とか苦労話をする子もいますし、友達からの「ここはどうやったの?」なんていう質問にもしっかり答えます。あいかわらずモジモジしている子もいますが、それでも昨年に比べると格段に成長しています。

教師も子供達に混じって楽しく聞きます。もちろん発表の場を活性化させる目的もありますが、単に「子供そのもの」に興味がある教師にとっては、それぞれの子供の楽しみや、成長度合いが伺える大事な機会です。この子はこんなふうに考えて行動したのね、そんなところに着目したのね、ということを知るということはとても楽しいことです。それと同時に、マニアックな子供の発表からはこちらも新しいことを学ぶ機会をもらったりします。大人→子供という学びの一方通行ではなくて、ここにも大人と子供の双方向の学び合いがあるなと思っています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?