死にたい人々。。

お久しぶりの今日は水曜日。
仕事に向かうバスの中でこれを書き始めた。

タイトルを見てびっくりした人には申し訳ないけど、今別に特段死にたいというわけではない。
私は元気です!というか、生まれてこのかたずっとうっすら希死念慮に襲われ続けてきたので、死にたいがデフォルトになってしまっているという根暗人間である。

突然ですが、あなたは死にたいと思ったことがあるだろうか。。
そういう時期もあったとか、彼氏と最近別れたので死にたいとか、鬱で死にたいとか、なんとなく死にたいとか、推しが結婚したので死ぬか悩んでるとか。私の周りにもやたら多いのです、死にたい人。

死にたいと思ったことはあるかという質問に対しての答えはさまざまだと思うが大抵の人がある、と答えるのではないだろうか。
全くない人もいるとは思うけど、その人が強いというわけではないと思う。死にたいという感情に近い感情を抱いても、それに気づいていないパターンもあると思うのだ。
死にたいと口に出す人と出さない人もいる。過去に死にたいと思ったことがあっても人に言わない人や忘れてしまう人もいるのかもしれない。

人間はどうして死にたくなるのか、、考えたことが何度もある。
悲しいことがあるから死にたくなるのか、めんどくさくなって死にたくなるのか。理由は人それぞれだけど、そもそも私のように理由がなく漠然と死にたくなる人間もいる。
気づいたことがある。

自論だけども人間が死にたくなるのは自然なことではないだろうか。
ずっと生きているのだから、改めて生きたい、とか思うより死にたいと思うことの方が多いだろうし。死んだら楽なんじゃないかとか死んだほうがマシだと想像することの方がファンタジーな感じで現実社会をどう生きようか考えるより夢がある。
大体、人間というのは死ぬために生まれてくるようなものである。長い、短い、幸せ、不幸せ、波乱万丈、平凡。色々な人生があるけど漏れなく全員人間というのは、最後どんな人でも死んでしまうのだ。悲しいけれど、とっても当たり前のことだ。
老いるということ、生きていくということ、つまり人生は果実が熟して朽ちて地面のポトリ、、、と落ちるまでの経過と同じ。
私たち人間はその途中経過生きると言っているのだけでこれはただの腐るまでの暇つぶしなのだ。
その余暇の中で何かを成し遂げる人もいるし、別に何か残さないでただ時間が過ぎるのを待っていてもいい。変な言い方になってしまうけど、何もしなくたって別にみんなと同じように死ねる。
みんなが何かしようと必死。余暇を生きる生活費のためにやたら働きまくって過労で死んだり、余暇を頑張り過ぎで病気で死ぬ。余暇が有意義じゃ無いので自殺。変な話である。

死にたいと思う時、私たちは大体たかが余暇を必死に頑張り過ぎている。私たちが生まれた事に意味なんか無いし、別にいらないのに意味を見つけたくて、意味を付け足したくて必死になっている。そんなことしなくたって平等に死ぬ。余力がなくなるまで頑張らなくても頑張れる時だけ頑張れば割と生きていける。

頑張り過ぎて死なないようにしたい。自分からわざわざ手間をかけて死ぬことも大変面倒。いつか死ねる日を夢見て生きるのだ。どうせいつかは死んじゃうんだし!

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