絵を描くひとは優しいひと
こんにちは!
家事で一番好きなのは洗濯!なぜなら干すときに柔軟剤のいい匂いに包まれて幸せな気持ちになれるから!いい匂いは正義!はるねずみです!
タイトル『絵を描くひとは優しいひと』について。
最近絵を描く人と交流する機会がたびたびあるのですが、私がお会いした人たちは優しい人ばかりだなぁと感じます。
(もちろん絵を描く人以外にも、今は優しい人たちに囲まれて幸せです…)
私も落書き程度ではありますが、ときたま「絵を描きたい!」という衝動にかられることがあり、それってどういうときだろう?など、絵を描くことの理由について、ちょっと考えたくなりました。
最近会った、絵を描くひと
「カピバラと青」かずらさん
「カピバラと青」をテーマに、星空や海、雪景色など・・・
色鉛筆だけで描いているとは思えないほど、奥深い「青」の世界を表現されています。
そして、そこにはいつも、かずらさんが大好きなカピバラさんが月のボートやブランコに乗ってふわふわ漂っていたり、ちょこんと座っていたり、すやすや眠っていたりします。
カピバラさんは黄色がかった光のオーラのようなものに包まれていて、どんなに濃い青の中にいても、ふわっと浮かび上がって見えます。いつも穏やかな表情で、とても癒される存在です。まあるいフォルムが可愛いんです。
ここでちょっと、私の過去話ですが・・・
どうしようもなく落ち込んで、一人ぼっちで寂しくて、夏の大雨の日も冬の大雪の日も、毎日のように夜散歩をしていたころ。
いつも空を見上げていました。
たぶん、当時(落ち込んでた頃)初めて『星の王子さま』を読んだり、映画『君の名は。』を観たせいもあるかもしれません。
キラキラ光る星を見ながらどこかにいる誰かを想像したり、「月は日本中どこで見ても同じ形に見えるんだ」(天候は度外視してw)と思えば、一人ぼっちでいる寂しさがまぎれる気がしたんですよね。
特に、私が空を見るのは夕方~夜中にかけてが多かったし、心情的にも重なる気がして、夕焼けや星空が特に好きでした。だから空の写真もいっぱい撮りました。
かずらさんの絵を始めて見たとき、ぐっと、当時の自分に引き戻されたような気持ちになりました。空を見上げることが何よりの癒しだったこと、世界で自分がたった一人ぼっちのちっぽけな存在に感じていたこと。
広くて大きな青の世界にいるカピバラさんもまた、一人ぼっちでいることが多く、優しい顔のときもあれば寂しそうな顔のときもあって、つい自分を重ねてしまいます。
かずらさんの絵にはいつもメッセージが添えられていて、その一言はすべて心の奥の奥から発せられているように感じます。(完全なる私の妄想です…💦)
だからこそ、私の心の奥の奥にまで響くんだと思います。
かずらさんはとても優しくて、細かいところにまで気が届く素敵なひとです。誰に対しても平等に接し、誰からも愛されています。先日の個展にも、かずらさんに会いに来るひとはひっきりなしでした。
かずらさんの絵は、色鉛筆だけを使っていて、空に散りばめられた星々も、水彩色鉛筆を濡らして筆に取って描いているということでした。そんなことができるんだと、聞いて驚きました。
青のグラデーションなんかも、色鉛筆を絵の具のように、水の入ったスプレーでぼやかして作られているそうで・・・奥深い青の表現もまた、奥深い色鉛筆の使い方から生み出されているんだなぁと感心しました。
個展ではそんなお話もじっくり聞かせていただくことができ、大変貴重な時間でした。
まるマルアートさん
「まる」を使って、食べ物や動物など身の回りのあらゆるものをアートにしてしまう、まるマルアートさん。(以後「まるさん」)
先日、まるさんと初めてお会いして食事をご一緒させていただきました。
その中で、まるさんが絵を描き始めた理由、「まる」を使った絵を描くようになった理由など、まるさん自身の生い立ちをまじえて、色々聞かせていただきました。
まるさんは元々、複雑なイラストを描いていた時期もあったそうなんですが、そういうものよりもシンプルなイラストの方が意外と人から好まれやすかったということで、今のスタイルに落ち着いたとおっしゃっていました。
ということを知ったことも、その理由の一つだそうです。
まるさんは、「こんなアイディア、思いつかなかった!発想が素敵!」と、”絵は自由で楽しいものなんだ”ということを思い出させてくれたイラストレーターさんです。
上記ツイートにもあるとおり、まるさんは「脳梗塞」などの経験もあることから、つらい思いも人一倍されてきたひとでした。
「自分が同じ立場だったらどうした(どうしている)だろう」と考えながら、お話を聞かせていただきました。私だったらもっと、「大変だ」「助けてほしい」「わかってほしい」と声に出してしまいそうです。
同じ経験がある人を探す方が大変でしょうし、なかなか人に相談もしづらく、他人には想像しえない孤独もあるだろうなと思いました。
発想の柔軟さが素晴らしいことや、物事柔らかで謙虚な姿勢も人として素敵であることはさることながら・・・
ご自身の境遇もイラストも、大変そうなことを大変でないように見せる強さ・優しさを感じたことで、ますます、まるさんのファンになりました。
「できないこと」に目を向けず「できること」を大切にすれば、人生はきっと色を取り戻すはず・・・(そうできたら、自分にハナマル♪)
バイト先のおねえさん
こちらはちょっと余談ですが、バイト先のコールセンターで最近お喋りするようになったおねえさん(と言っても実は私より1歳下デシタ・・・!)が、絵を描くひとでした。
初対面は、なんとなく「ガードが固そうな、話しかけづらいひと」という印象だったのですが・・・
ある日、席が隣になってとつぜん話しかけてもらうと、堰を切ったかのようにお互い話し出して意気投合してしまいました。(話してみるとめっちゃ気さくで可愛いひとダッタ・・・!)
特に、「あれこれ空想して自分で笑ってしまう」という点でものすごく共感し合えたのが嬉しかったです。
そのほかにも、独自の考え方やアイディアを教えてくれました。
2つ紹介します。
①人の名前を覚えるとき
こっそり頭の中であだ名をつけている。
つけ方は、マジカルバナナや連想ゲームの要領で、
のように。具体例も教えてくれて、それを聞いてから私も、頭の中で「あ、〇〇◆◆さん…」と浮かんでしまうようになりました。笑
②バイトの労働時間が長く感じてしまうとき
私の職場は、休憩パターンが3種類あります。
昼休憩が、11時台・12時台・13時台のいずれか、その他に10分休憩が2回。(10分休憩のタイミングは、昼休憩に応じて午後に2回、あるいは午前・午後に1回ずつなど)
そのため、昼休憩の11時台のときは午後が猛烈に長く感じてしまうんですね。
そんなときの対処法は、
ということでした。
とツッコまずにいられませんでしたが、でも、そういう発想ができるひと、好きだなぁ…と思いました。
「~がいやだなぁ」と、不満を愚痴ったり、悩みを悩みのまま終わってしまう人は、私を含め多いと思います。
けれど、たとえ突拍子がないように思えても、こんな風に楽しいほうへ発想を転換できるひと、そしてそれを他の人にも共有できるひとって、なんかいいですよね。
午前中が無かったことになれば、
そう思うと、めちゃめちゃラクに感じません!?(*´▽`*)
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あ、そうだ、おねえさんがイラストレーターさんな話をするんだった・・・!
と、こんな風に発想も笑いのツボ(?)も独特なおねえさんなのですが、話しているうちにイラストレーターさんだということが判明。
どんなイラストを描かれているのか伺うと・・・
お仕事として描くものは、「背景みたいな絵」が多いとおっしゃっていました。壁に飾るとおしゃれな雰囲気が出るような、色と色が混ざり合ったような、そういうアートだそうです。
私の想像ではおそらくこんな感じ・・・
そのほかにも、趣味として「人物画」も描かれるそうで、それは「線」で描く、これまたおしゃれなアートでした。
手近にあった紙にささっと描いてみせてくれたのですが、リアルな人間、というよりも、シルエットだけをさらっと描くような雰囲気でした。
なんとなく描きたいテーマは浮かぶそうなのですが、実際にどう着地するかは完成してみて初めてわかるそうです。描きながら、「あ、ここにこれを描きたい」というふうに、どんどん思いついてそれを自由に描いていくんだ、と。
だからこそ、自分が激しく落ち込んでいた時期には、それが絵にも表れていたらしく、「その時は自分の絵が大嫌いだった」とおっしゃっていました。
私が「絵を描きたい」という衝動にかられるときは、喜怒哀楽いろんな感情が爆発して、じっとしていられないときが多いです。
でも、おねえさんの場合はその自覚がなく、描くことでそれが自然と絵に出てきて、完成した絵を見て初めて自分の感情・状態を知るということでした。
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「絵」という表現ひとつとっても、その動機や手段、目的は本当に人によってさまざまなんだなと、3人のイラストレーターさんとお話してみて、改めて感じました。
絵だから表現できること
って、あると思いませんか?
今、こうして書いているように、「文章」で表現できることもあります。
むしろ、文章の方がより正確かつ多くの情報を人に伝えられると思うので、自分の言いたいことや伝えたい情報、知識などは文章で表現する方がメリットが大きいかもしれません。
何が言いたいのかよくわからない映画が「アート映画」と揶揄されたりすることもありますが、「アート」にはそういう、受け取り手の感覚だよりな部分が少なからずあるというか、誰もが同じ解釈をするとは限らないもの、というニュアンスが含まれている気がするんですよね。
だから、そうした感覚がニブい私は、美術館に行ってどんなにすばらしい作品を見ても、「?」となってしまいます。笑
でも、文章の場合は、難しい言葉や専門用語はいくらでも簡単な言葉に置き換えられるし、いくらでも補足して説明できます。
ただし、文章のデメリットとして、表現の仕方によっては「人を傷つける恐れがある」ということが考えられます。
よく「言葉はナイフ」と言われたりしますが、言葉でつけた・つけられた傷は身体的な傷よりも長引いて、なかなか癒えないものです。
だから私も、Twitterやnote、スタエフなど、何か自分が言葉を発信するときは、「それによって傷つくひとがいないように」となるべく気を付けています。(それでも100%は難しいのですが…)
ただ、絵の場合はそれが比較的起きにくいように思います。
もちろん、残酷な絵、暴力的な絵、人やモノを醜い姿や恐ろしいものとして描く絵など、見た人をわざと傷つけようと思えば、いくらでもそういう表現はできると思います。
でも、そうでない限りは、「意図せず人を傷つけてしまった」ということは文章と比べて避けやすいんじゃないかなって。
優しい表現を追求したすえに
文章の場合、具体的であればあるほど、
と、良くも悪くも特定の誰かに刺さってしまうことがありますよね。(グサリ…)
かといって抽象的に書いた場合は、
と、やはり意図せず無関係の方を指してしまうこともあります。(チャウネン!)
だから私は、自分が何か話すとき、特に否定的な意見を述べるときは、自分や自分の身内以外の誰かを指さないように気を付けています。
あえて濁して「誰のことを言っているのかわからないようにしたい」というのも優しさ。だけど、そうしてぼやかすことでより多くの人に当てはまる表現になってしまったら、悪気なく沢山の人を傷つけてしまうかもしれない。
あとから訂正したとしても、やっぱり「言葉はナイフ」だから、取り消しも難しい。もしかしたら、時すでに遅し…な状態になってしまっているかも。
だから、文章って難しいなと感じます。
ポジティブなこと、楽しいことは、比較的だれかを傷つけないと思うけど、それでも、自分の嬉しいこと=誰かにとって嫌なこと、かもしれません。
その点、絵の場合は、抽象的なものであればあるほど人を傷つけにくくなるのでは?と思います。
たとえば先ほどの、おねえさんの絵のように、色と色が混ざり合ったようなアートの場合は、人によって全然受け取り方が変わるはずです。
みたいに(*´▽`*)
だから、より「人に優しい表現」を追求しようとすると、それは「絵」になるのかも、と最近気づいたんですよね。
自分の心に閉じ込めておけない、溢れる思い。悲しみも怒りも・・・
どうにか外に出さないと苦しくてたまらない気持ちを、表現したい。でも、それを言葉にしたら誰かに嫌な思いをさせてしまうかもしれない。
絵を描く理由・目的はいろいろあるけれど、そうした葛藤のすえに「絵」にたどりつくひともいるんじゃないかなって。
だから私は、「絵を描くひとはきっと優しいひと」と思ったんです。
まとめ
かずらさんの絵は、寂しい気持ちに寄り添ってくれる深く柔らかい青の世界。心の奥の奥に届く、さりげなくて優しい言葉。
まるさんの絵は、「こういうの面白い」「自分も描いてみたいな」と、ハードルをふっと軽くしてくれる自由なイラストの世界。
おねえさんの絵は、内から湧き上がる気持ちをそのまま投影していながら、誰も傷つけない抽象的なアートの世界。
文章も絵も、そのとき表現したいものによりしっくりくる使い方をできたらなぁと思っています。(だから手紙書いたりするときも、ついつい落書きしちゃうのです。笑)
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最後まで読んでいただきありがとうございました!
また次回の記事でお会いしましょう(*´ω`)ノ✨✨
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