見出し画像

自分を助けるための長い旅(自分語り)


日記帳に書いても続かないので、
noteを使って、自己満足で、自分をケアするための自分語りを続けてみる。これも続かないかも。


実家を掃除しに行った。




母の荷物は服しかないのに、
自分達子どもの荷物が沢山出てくる。
母は子どものために30年以上
労力と時間を使い続けてきたんだと改めて思う。

自分の荷物は、随分昔に自分で捨てたため殆ど残っていない。
弟の連絡帳なんかは出てくる。


母子手帳や幼稚園や保育園、学校とか
たくさんの書類に、母が子ども達を大切に想うコメントが溢れている。
途中で力尽きたのか、親がコメントを書かないといけない場面で、何も書かず、先生が例文を書いてフォローしている書類なんかもたくさん出てくる。
学費等々支払い滞納の書類もたくさん出てくる。
役所や学校からの「督促状」「退去勧告」「出席停止を命ずる可能性があります」等々の請求書が山のように出てくる。

電気水道ガスはよく止まってたし
母の滞納癖はわかっているが、
ここまで大量の催促がきていたのは知らなかったので
母は1人で相当悩んでいたかもしれない。

母は真面目な性格で、払えなくても全ての支払い用紙はとっておくところがある。
フルタイムでも給料が安すぎていたし
母は免許もないので
生活保護や学費の援助が受けられていただろうし、本来専門家に家計相談を頼んでいたら、
自分達はあんなに苦労することはなかったと思う。


母子家庭で4人の子育ては
相当大変だっただろうと察する。
母の気持ちを想像することはできない。



僅かに残る自分の小学校時代の作文。
家族や他者の幸せを想ったり
喜んだりしている話題ばかりが出てくる。


この子どもが
その後数えきれない程
社会のしがらみや諸々に泣くことになろうとは
知る由もなかっただろう。

今の時代に生まれていたら「子ども食堂」があるので、あの頃より助かっていたかもしれないけど、
現状地元にある子ども食堂に歩いて行ける子は限られているだろうし、時々しかやってないので、どっちにしろ、自分が今子どもだったとしても
子ども食堂で援助を受けられることはなかったかもしれない。



実家の荷物から、ポロッと
茶色に古ぼけた大きな新聞の切り抜きが出てきた。

「2006年9月2日 〇〇福祉大学」


どうしても人を助けるための力がほしい!
と15年以上前からあった執念。

自分は一体どれ程昔から
なんとか頑張らなくちゃ!勉強するんだ!と
こだわり続けてきたのか?

助けたかったのは、
「家族とのふつうの暮らしがしたい」
たったそれだけ。

それっぽっちの自分の気持ち。


それだけなのに、
15年経っても
何人もの人に励まされても
心理学を学んでセルフケアしようとしても
仕事に打ち込んでも
遊んでみても
何をしても
何度も何度も
いまだにこの頃の自分に戻る。


目標をもっても
15年以上かかって叶えられないなんて、

どれだけ要領悪いんだろうか?
努力の方向を間違えているのか?


「もっと力をつけたい。
家族とふつうの暮らしをするための力。」
「無理だ。
こんなに頑張ってるのに、現実が厳しい。
自分に力が足りない。」


ずっとそれを繰り返していて、今も変わっていない。



「おばあちゃんは、あんなにうちの家族にお金も労力も全部、人生費やして助けてくれたのに、自分の好きなことは何もできないまま亡くなったじゃないか。」

「お母さんは、人生費やして子どもを育て上げたのに、一生欲しいものも買えない、遊びにも行けない、日々の生活にも苦労しているじゃないか。」

「自分は何のために生まれたのか?そこまでして生まれる必要あったのか?」

「妹弟(6人)は、生まれてくる家族を選べないのに、なんであんなに苦労し続けないといけないのか?」

「家族が全員ふつうの暮らしができたら、それが見届けられたら、今世悔いなし!」



あまりにも努力してもゴールに辿り着けない感覚が続いているけど、
出会ってきた人達との時間を通して
最近は「これが自分だからいいや。
いつまでも夢にこだわっててもいいけど、それを叶えきる力は正直ないよ。でもいいよ。充分じゃん、頑張り続けてるんだからそれでいい。頑張るのを辞めてもいい。自分や家族のことばっかり考えて生きてても仕方ないじゃん。昔に比べたら充分危機は脱出できたよ。ふつうに今日1日楽しく生きれれば充分。」と思えるようにはなってきた。それでもすぐ元の自分に戻ってしまって、まだまだ苦しい。


実家に残る18歳頃読んでた本。
ピータードラッカーとか営業で稼ぐとか
ユダヤ人大富豪の教えとか
好きな仕事で稼ぐとか、
頑張って働いてお金を稼ぎたいと選んだであろうタイトルのものしかなくて
ちょっとひく。

次男の作文や将来の夢等のコンテンツにも、お金の話や、お金を稼げるようになりたいという言葉ばかり書いてあった。心の友。



新聞記事の話に戻るが、
高校時代インターネットも手に入ってなく
中学からひきこもり状態だった学生が
「福祉」なんて言葉すら知らなかったのに、
どうやってこの記事を見つけたのか?

この時福祉大学には行けなかったけど、
5年後福祉業界に辿り着いて
そこから10年働いてもがき続けている。

それでもいまだに叶っていない
家族とのふつうの暮らし。


福祉で学んだ知識と経験のおかげでうまくいった物事が沢山あるが、
「福祉は給料が安い」ここが大きく人生に影響していて、進みにくい物事が沢山ある。

中学不登校、定時制高校卒の学歴で
18歳から入れる会社で一生懸命頑張ってきた。
知識と経験を積むためと
給料を上げるために責任の重い
難易度の高い仕事をしたがり、
仕事の手の抜き方ができず
過労になって身体を壊すというパターンを
4回繰り返している。


流石に頑張ってること自体痛々しいので
そろそろ
身体に鞭打たずに暮らしていきたい。



高校の頃、長女だったため自分だけ先に働くことができた。
しかし、家は貧しいのに家族は仲良い環境で、自分だけ楽になれるという環境になると、どうにも安心できなかった。
そのソワソワ感は今も消しきれない。

服など好きな物を買ったり、近場に遊びに行こうとするだけでも、10歳下の弟が頭に浮かんで
心に大きな穴があくようなショックで耐えられなくなったりして、この頃から遊ばず仕事にばかり打ち込む人間になっていった。
友達がいても遊びに行けないことが多くて
悲しい想いは散々した。


家にお金を入れても、母は利息で家計を火の車にする傾向が強く、ギャンブル依存症の傾向もあるため、自分がどう頑張ってもドブにお金が消えるようになるだけで、何の役にも立てないだけでなく、むしろ教習代がいつの間にか消えていたりと散々苦労したので、
若いなりに色々考えてたと思う。

母は母なりに頑張りすぎて
心がボロボロだった時期だと思う。


ヤングケアラーって言葉
最近流行ってるけど、
自分と同じような苦しみをもつ子や
家族がどこかにいるんじゃないだろうか?


実家の荷物を見ていると、
随分若い頃から
お金を稼ぎたい、福祉の勉強がしたいとばかり考え続けていたこと、それが15年経っても全く変わっていないと気づいて、感心と呆れがある。


努力の方向が間違っていないか?

ゴールに辿り着ける地図をもっているのか?


そのゴールは、心から望んでいるゴールなのか?


これからは、無駄を削ぎ落として考えていく必要がある。


ひとまず、18歳の頃の自分には
「大学で勉強はできなかったけど、福祉の仕事には着いたし、勉強は沢山してきたから安心して」
と心の中で伝えておく。



そして、母の命を大切にできる時間は今しかない。
それを忘れないようにしたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?