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【紡がれた言葉を通して、新たな出会いが生まれる。『スローシャッター』が、私に与えてくれたもの】

「旅」というものに、あまり馴染みがない。それにはおそらく、生育環境が大きく起因している。

私の実家は、自営業を営んでいた。365日、休みなしの自営業。子ども心に不思議に思い、「どうしてお休みを作らないの?」と尋ねたら、母の怒声が返ってきた。

「休んでる暇なんかないでしょう!お金がないんだから!!」

お金がない人は、休んじゃいけないんだ。

私がそう刷り込まれたのは、多分あの瞬間だったように思う。うちにはお金がなくて、だから休んではいけなくて、同級生のみんなみたいに旅行に行けないのも、お金がないからなんだな。

“そういうものだ”と受け入れた。反論が許される環境ではなく、駄々をこねるという概念も、私の中にはとうになかった。親は絶対君主で、私に許された返事は、いつだって「Yes」のみだった。たとえ、どんなに「No」を叫びたくとも、私はそれを飲み込んだ。それが唯一、痣を増やさずに済む手段だった。


今年のはじめ、まだ寒さの厳しい1月、パートナーと旅をした。とある本を読み、2023年は、絶対に旅をしようと決めていた。

田所敦嗣氏による『スローシャッター』が自宅に届いたのは、2022年の12月。発売前から、予約注文をしていた。絶対に、手元にお迎えするのだと決めていた。

田所さんが毎週更新されるnoteを、楽しみに読み続けていた。だから、書籍化の知らせを聞いたとき、勝手にガッツポーズをした。あのエッセイを、あの文章を、「紙の本」で読める。その喜びは、私の胸の内側をひたひたと満たした。

私は、紙の本がすきだ。栞を挟めて、どこにでも持ち運べて、適度に重みがあり、独特の印紙の匂いがする。著者の想いが染み込んでいて、さまざまな言葉や記憶に触れられる。あの存在が手元になければ、私はうまく息ができない。

『スローシャッター』は、私がこれまで知らなかった世界をたくさん見せてくれた。海外の景色、文化、人々の暮らし、人々の想い、そして何より、人同士の絆。

「旅」が「人」をつなげる。「記憶」が「人」を満たす。紡がれた言葉を通して、新たな出会いが生まれる。そういう畝りのようなものを目の当たりにして、私は、素直に「旅に出たい」と思った。

一瞬、母の言葉が脳裏をよぎった。

「休んでいる暇なんかないでしょう!」

でも私は、母のその声を打ち消した。正確に言えば、その声を打ち消したのは、私ではなく、『スローシャッター』の一文だった。

上手く言えないけど、世界の平和は、星の数ほどある小さな町にいる、信念を曲げない人達の集合体で成り立っているのかもしれない。

『スローシャッター』より引用

私の両親は、私にとって「世界の平和」から、だいぶ遠いところに位置している存在だ。しかし、私はもう、彼らに「No」が言える。自分の信念を曲げずに、生きていける。そう思えた。いつだって、臆病な私の背中を、本が押してくれる。

「旅行に行きたいの。……だめかなぁ?」

唐突にそう切り出した私に、パートナーは即答した。

「行こうよ。やりたいこと、やろう。そのために生きてんだから」

あぁ、ここにもいた。信念を曲げず、世界の平和を、私の平和を守ろうとしてくれる人が、ここにも。

彼の返事が嬉しくて、私は即座に旅行鞄に荷物を詰めはじめた。

お互いの仕事の都合上、海外は無理だったので、私がずっと行きたいと願っていた那須高原に出かけた。2泊3日、仕事を抱えつつの強行スケジュール。でも、そこで出会った景色は、凛としていて、あまりにも美しくて、私とパートナーはすっかり満たされてしまって、ずっと笑っていた。つないだ手の温もりから、互いの心が弾んでいるのが伝わってきて、それが嬉しくて、また笑った。


宿泊先として選んだのは、モンゴル高原に住む遊牧民が住居として使用している「ゲル」を模した「モンゴリアビレッジ テンゲル」。
高原に位置するこの宿は、「星空ナイト」なる時間帯を設けており、その間、すべての照明が消える。缶酎ハイを片手に外に出た私たちは、言葉を失った。言葉なんか、要らなかった。七夕じゃなくても天の川が見えることを、この年にしてはじめて知った。

おいしいお蕎麦を食べて、濃厚なチーズケーキを食べて、道の駅のお饅頭を食べて、居酒屋で大きなつくねも食べた。元々まんまるな顔が、ますますまるくなった。そんな私の頬を引っ張るパートナーの顔も、多分少しまるくなっていたと思う。

ゲルの中で、『スローシャッター』の頁を開いた。彼はその傍らで、『宇宙兄弟』を読んでいた。きっと、こういう気持ちを、「平和」っていうんだ。そう思ったら、少しだけ本の文字が滲んだ。

もしも、私の父が、稼ぎのほとんどを酒やパチンコに注ぎ込む人じゃなかったら。もしも、母が父との離婚を決意していたら。もしも、うちに使っても使っても有り余るほどの資産があったなら。そうしたら、母も知ることができたのだろうか。こんな気持ちを。こんなふうに、しみじみと「生きていてよかった」と思える瞬間があることを。

そんなタラレバが、一瞬頭に浮かんだ。どうしても許すことのできない親なのに、どうしても100%は憎みきれない。そんな矛盾さえも、高原の星空に溶けていった。

私にとって「旅」は、「贅沢品」であり、「手の届かないもの」だった。でも、この旅を通して、それはただの思い込みであったのだと知った。
たとえば、車で1時間の場所にある美しい川。たとえば、車で15分の場所にある荒々しい海。たとえば、徒歩15分の場所にある高台の景色。それらすべてが、視点を変えれば旅であり、新たな出会いであり、かけがえのない時間であったのだと気づいた。

旅は生活と地続きで、日常の中に溶け込んでいる。そして、そこには確実に「人」との出会いがある。『スローシャッター』の帯に書かれていた文言は、真実だった。

読めば、旅に出たくなる。
人に、会いたくなる。

『スローシャッター』帯文より引用

大切な人と過ごした、かけがえのない2泊3日は、私の中に深く刻まれた。読んだ人の心だけではなく、行動までも動かしてしまう。そんな本に出会えたことを、心から幸せに思う。


私が知る世界は、おそらく人よりだいぶ狭い。昔より少しは知見が広がった感覚はあるものの、それでもまだまだ、狭い。持病や障害もあり、行動できる範囲も限られている。だから、私は本を読む。

世界はこんなにも広いのだと、世界にはこんなにもやさしい人たちがいるのだと、「ありがとう」では伝えきれない想いを、なんて言葉で表せばいいんだろうと、自分と同じようなことで悩んでいる人がいるのだと、『スローシャッター』は教えてくれた。

『スローシャッター』は、旅への扉の入り口で、かけがえのない出会いを与えてくれた一冊で、「世界」と「人」を描いた紀行エッセイで、唯一無二の物語だ。

私はまだ、母を許せない。でもいつか、たとえば10年後、もしもまだ彼女が生きていたら、その時にはこの本を手渡そうと思う。彼女にも、知ってほしい。こういう世界があることを。こういう人たちがいることを。「平和」は、自分の心を軸に作り出すしかないのだということを。

その日が来るかどうか、今はまだ言い切れない。でも、いつかそんな日が来るといいなと思う。

私は、私の「平和」を取り戻した。かけがえのない一冊の物語と、愛する人との旅を通して。


田所さん、ありがとうございます。
あなたの本は、私の心が一番ほしがっていたものを、届けてくれました。


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