見出し画像

【受けた傷には敏感で、与えた傷には無頓着で、そんなことばかりの世界でも書いていくと決めた。】

誰のことも傷つけない文章なんてない。そのことを踏まえた上で、でき得る限り他者を傷つけない配慮を怠るべきではないと、ずっとそう思っていた。あらゆる角度から自身の言葉を見渡し、この表現は適切か、この内容は表に出していいものか、様々な憶測を脳内で戦わせながら、数々の文章を下書きに眠らせてきた。

不用意に人を傷つけたくない。その思いが、「自分が傷つきたくない」にすり替わったのは、いつだったろう。おそらく、ずいぶん前からだ。でも、気づかないふりをしていた。自分で自分を誤魔化して、必死になって言い訳をして、いつだってそうやって揺れている足元を無視しては盛大に転んできたというのに、私はどこまでも懲りない人間だ。愚かだ、と思う。でも、他者に愚か者と言われることには我慢ならない。そういうところが、まさに愚かであるというのに。

書き始めた頃は、とにかく夢中だった。ただただ必死で、伝えたいことが溢れてきて、心のままに指を動かしていた。今も、書きたいことは脳内に溢れている。でも、書けば書くほど、読まれれば読まれるほど、わからなくなった。

私には、虐待の原体験がある。それゆえに、虐待被害が無くなることを願って文章を書きはじめたのがきっかけだった。ずっとひた隠しにしてきた事実を公にするのが、最初は怖かった。でも、勇気を出して伝えた思いは、多くの温かい人たちに受け入れてもらえた。そこから力を得て、3年と2ヶ月、書き続けてきた。

書いているうちに、段々と多くの人に文章を読んでもらえるようになった。虐待抑止の発信も、日々の生活のエッセイも、子どもたちのエピソードも、一つひとつ真剣に書いた。学もない、パソコンスキルもない、文章は独学で、ただ本がすきで、書くのがすきで、“伝えたい思いがある”というだけの私の文章が広く届くようになったことを、純粋に嬉しく思っていた。でも、それに比例して、悲しいこと、やるせないことも芋づる式に増えていった。

見える場所で文章を書く。それは、ありとあらゆる評価、批評を受けることと同義だった。批評だけならいざ知らず、それに混じってあからさまな悪口や卑猥な嫌がらせ、ストーカーまがいの粘着行為も受けるようになった。読まれれば読まれるほどに、その頻度は増えた。私は、それらを受け流すのがあまり上手ではなかった。いちいち気にして落ち込んで、言われた言葉を脳内メモリーに焼き付けて、膨れ上がる怒りと憎悪を持て余しては大学ノートに罵詈雑言を綴った。さながらデスノートのようなそれは、誰にも見せないと決めている。見せられない、といったほうが正解かもしれない。時々、自分の中に蓄えられた怒りの大きさに慄いてしまう。幼少期からの蓄積がそこには垣間見えて、私本人でさえ、冷静になった後は直視できない代物だ。

虐待被害が減ってほしい、後遺症による生きづらさを社会的に認知してほしい、その一心で書いているのは紛れもない事実なのに、「不幸を売り物にしている」「病気や障害を武器にしている」と言われるたび、足元が揺れ、眩暈がした。まるで、遊園地のコーヒーカップを高速で回された後みたいな気分だった。そんなわけないだろう。そう言い返したい自分の裏側に、“そうなのかもしれない”と己を疑う自分もいて、思考を巡らせるほどに眩暈は悪化し、強く目を瞑ってやり過ごすより他なかった。吐き気が胃の底を炙り、背中を冷たい汗が伝う。頬が濡れていることなど、むしろ私にとっては、気に留める価値もないほど日常であった。

「人の不幸話なんて誰も聞きたくない」「不幸話を笑い話に変換できてこそ一流だ」そんな文言を見かけるたび、自分の書いているものに自信を無くした。私が評価されることが書く目的じゃない。でも、私が評価されなければ、読まれない。読まれなければ、届かない。届かなければ、変えたい現実を変えられない。そのジレンマが、容赦なく私の首を締めた。

誰かに何かを言われたくらいでぐちゃぐちゃに悩む人間は、物書きに向いていない。そう言われれば、たしかにそうなのだろう。しかし、物書きだからといって、何を言われても平気でいることを強要されたくなかった。「使えないクズ」と言われたら、「黙れ」と思う。「実の父親とするのはどんな気分か」と問われたら、「聞く前に想像してみろ」と思う。私の過去を知りながら、何を血迷ったかセフレにできると思い込んだ挙げ句、「パートナーさんとは遠距離だから寂しいでしょ。会えない間ってどうしているの?一人でしてるの?」と耳元で囁かれたら、「死ねばいいのに」と思う。褒められた思考じゃないのはわかっているが、こういうことを言われても、天使のように微笑んでいられるほど寛容な人間じゃない。いちいち表立って言わないだけで、ふざけんなと思うし、もしも自分が同じ立場で同じ言葉を投げつけられても本当に平気なのかと、執拗に問い詰めたい衝動に駆られるくらいには、私の器は小さい。

虐待抑止の発信をする一方、何気ない日常のエッセイを書いたら書いたで、「結局は勝ち組ですよね」「今が幸せならいつまでも昔の不幸を振りかざすな」と言われる。発言を間違えれば「これだからサバイバーは」と十把一絡げにされる。私は私個人であるのに、私が間違えるとサバイバー全体が悪く思われてしまう傾向に、何度も足が竦んだ。

虐待の後遺症である解離の症状を書く際には、それを読んだクライアントが仕事依頼を躊躇う可能性を考えないわけにはいかなかった。かといって、それを恐れて常に元気であるかのように振る舞えば、虐待がもたらす後遺症の深刻さは伝わらない。

どこを隠して、どこを見せるべきなのか。人によって答えが変わる正解を必死に追いかけているうちに、どんどんわからなくなった。苦しかったことも、楽しかったことも、許せなかったことも、救われたことも、何なら書いていいのか、何なら書いてはいけないのか、その判断を下せるのは私しかいないのに、いつの間にか私は、自分の文章の中から、“わたし”を消していた。

これ以上、傷つきたくない。

誰かに言葉で抉られるたび、言われた台詞を反芻しながらそう思っていた。理不尽だと言い返したい気持ちを飲み込んだぶん、強くなれるのならいい。でも、現実は違う。むしろ傷口は化膿する一方で、やり場のない怒りだけが徐々に膨らんでいき、やがて内側から崩壊する。「だったらそうなる前に言えよ」と多くの人が言うけれど、経験上、そうなる前に「理不尽です」と冷静に伝えたところで、聞き入れてもらえた試しがない。多くの場合、人は、自分の受けた傷には敏感で、与えた傷には無頓着で、与えた傷を忘れられずに悩み続ける人のほうが圧倒的に生きにくいのがこの世界で、私は本来、そういう人たちに届くものが書きたくて文章を書いてきたはずなのに、傷つくのが怖いあまりに、与えた傷には無頓着でいられる人たちに後ろ指をさされないための文章を書かねばと思うようになっていた。

臆病なりに戦うと決めて過去を公にした3年前、私の中には、たしかな覚悟があった。踏みにじられるたびに歪んで形を変えたそれは、あまりにも情けなく、空っぽの虚像になり果てた。私は、ジャンヌダルクにはなれない。傷つくのはやっぱり怖いし、理不尽な攻撃にも耐えられないし、それらに言い返せば「冷静であれ」と言われる風潮もすきになれない。根底には、いつだってこの思いがある。

傷つけられる側が悪いんじゃない。傷つける側が悪いんだ。

弱いから、情弱だから、愚かだから、そういう人は何をされても、傷つけられても、騙されても、しょうがない。そんな価値観、くそくらえだ。
傷つけるな。踏みにじるな。弱いとわかっている者から搾取するな。愚かだと思うのは自由だが、だからといって相手を見下してもいいなんて思うな。

本来こういうことを声を大にして言いたかったはずなのに、それを言えば「自己責任だ」と責められる未来が透けて見えて、臆してばかりいた。誰かに認められるために書いているわけでも、万人に好かれるために書いているわけでもない。もう誰にも、こんな思いはしてほしくないから。そして、誰よりも、自分自身のために私は書いてきたはずだった。

自分がどう生きるのかを決めるのは自分で、何を書くかを決めるのも自分で、書き続けるのか、やめるのかを決めるのも自分だ。判断を間違えない努力は必要だけど、人は機械じゃないから、ノーミスでは生きられない。そして、ミスをしたからといって、死ぬわけじゃない。死ぬこと以外にも、重症に匹敵する傷はいくらでも存在する。でも、私はそれをこの年までどうにか越えてきたのだから、そのことはちゃんと誇りたい。すぐに卑屈になってしまうのも、臆して信念を曲げてしまったのも、自分の弱さゆえだ。だから私は、その弱さにちゃんと向き合う。

くそったれ。そう叫びたいことが山のようにあった。折れて、萎れて、根の先まで枯れてしまったような気がしていた。でも結局、こうして書いている。
書かなきゃ死んでしまう。そういう衝動に襲われる自分は、きっと、生きている限り書くことから離れられない。できることがどんなに小さくともゼロよりは意味があると、そう信じて書いてきた年月を、私は捨てないと決めた。

やめてたまるか。折れてたまるか。散々へし折られて虐げられてきた半生を意地で生き抜いてきたぶん、これからも泣いて、笑って、ちゃんと生き抜いてやる。そういう自分のこれまでとこれからを、私は書く。己が傷つかないための文章ではなく、誰かの寝付きがほんの少しでも楽になるような、そんなものが書けたらいい。そしていつか、もっと年を重ねたら、穏やかな川のせせらぎのように、言葉と思いがさらさらと流れていく自分になりたい。強い衝動だけではなく、もっと静かで、野鳥の声と水音と大切な人の笑顔が隣にある風景をスケッチするみたいに、文章を綴る日々を過ごしてみたい。

やらねば、ではなく、やりたい、が内側から出てきた。きっともう、私は大丈夫だ。

画像1


最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。 頂いたサポートは、今後の作品作りの為に使わせて頂きます。 私の作品が少しでもあなたの心に痕を残してくれたなら、こんなにも嬉しいことはありません。