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【小説】たぶん、きっとそれは愛。(第1話)

<あらすじ>
28歳の美奈子は仕事に忙しい毎日を送っている。美奈子には、涼という定期的に身体を重ねている男性がいる。涼の他にも複数人。彼らは美奈子の彼氏でもなければ、結婚したい相手でもない。焦っているつもりではないのだけれど、彼女の周りでは友人たちが、婚活、結婚、妊活、出産と、次々にライフステージが変化していく。その中で美奈子の心は揺れ動く。そんな独身女性のリアルと、名もなき愛の形を描いた物語。


「ふぅ」と大きく息をはいて彼はくるりと背中を向けた。その背中をそっと指で撫でてみると驚くほどに冷たかった。さっきまで、私の身体全体を包み込んでいた熱い体温はもうそこにはなかった。

彼の背中を指でなぞった後、その冷たさに寂しさを感じて、それと同時に悲しみも感じて、哀愁に浸っていられるほどの心の余白なんて私にはない。

だから私だって、くるりと背中を彼に向けて、ベッドの下にあるバックからおもむろにタバコとライターを取り出して、火をつけた。
天井に向けて、彼の冷たい背中にこびりついた哀愁を「ふぅ」と吐き出した白い息に乗せる。その煙はスーっと伸びて、薄暗い部屋の中に消えていった。

「次に生理がくるのはいつだろう。」そんな疑問が頭に浮かんで、ベッドの下に置いていたバックからまた携帯を取り出す。
開いたアプリのカレンダーに記された三日月マークは、10日後の日時をお知らせしてくれていた。

「10日間か。」

私はポツリとそう呟く。別にそれが自分の人生を左右するほどの大きな悩みになって眠れないほどではないけれど、頭のはじっこで、小さな不安と恐怖をずっと毎日寝る前にツンツンとお知らせしてくる日々がはじまる。
そんな事実に憂鬱になりながら、そのカレンダーの今日の日時にハートマークを追加した。
備考欄に「涼」と、彼の名前を添えて。


そのアプリを教えてくれたのは、私より2つ年齢が上の前の会社の同期の舞だった。
舞は仕事が好きで、仕事をしんどそうにしながらもなんだかんだ楽しんでいて、きっと仕事の方もそんな彼女が好きで、なんというか、仕事との距離の取り方が素敵だなと一目置いている存在だった。

そんな舞に、勇気を振り絞って私の今の状況を伝えたとき、特に驚いた様子もなく私にこう言った。

「美奈子も大人になったね。私もそういう時期あったから、わかるよ。」

その時期の終わりがくることさえ彼女は教えてくれなかったけれど、その一言は私の心に染み渡った。

「そういう時期どうしてた?」

「うーんとね、、、。」

そう言って舞は私にいろんなことを教えてくれた。万が一、万が一に備えて、自分と夜を共にする相手の本名は必ず知って、ネットであらゆる角度から検索しておくこと、相手のLINEは必ず聞いておくこと、そのLINEの登録名が漢字の本名じゃない場合、相手がシャワーを浴びている時間が彼の身元を確かめる絶好のチャンスだということ、どんなに誘惑されても絶対に避妊すること、コトの後にはゴムに破れがないか確認しておくこと、できればピルも飲んでおいた方がよいこと、生理管理アプリで生理周期とコトの日時と名前を入力して管理すること。

私の心に刺さった小さな棘たちが、一本一本スルスルと抜かれていくのを感じた。

私の年齢は、28歳。周りが彼氏だ、婚活だ、同棲だ、結婚だと忙しく毎日を送っている中で、私は特定の誰かと日常の長い時間を共にすることなく、複数人と短すぎる非日常のひとときを過ごしている。
そんな状況を責め立てることなく受け入れてくれる彼女は神様のような存在に見えた。

そして舞の助言通り、とりあえず、この生理管理アプリをダウンロードしたのがちょうど半年ほど前だ。
カレンダーにはすでに、5回の生理を示す三日月マークと、ぽつぽつとハートマーク、そして何人かの名前が記されている。
そういえばここ最近、仕事が忙しかった。

「ふぅ」と吐き出した白い息の手前で、1本のタバコが終わりを告げる。

「俺も紙吸いたくなってきた。1本もらってもいい?」

「いいよ。」

そう言って私は涼に1本タバコを差し出してライターの火を彼の分、そして私ももう1本取り出して、自分の分に火をつけた。

「ふぅ。」

2人同時に白い息を吐き出す。

「最近仕事忙しかった?」

「うん、かなりね。俺の後輩が1人鬱で休職になっちゃってさ、その分の仕事が回ってきてさ。忙しかったよ。そっちは?」

「うん、それなりにね。でもうちも同じ感じで休職の人また増えちゃって。こっちまで休職したい気分。」

「たしかにね。最近多いよな。精神的な病で休職になる人。」

「ほんとだよ。精神科とか予約全然とれないらしいしね。」

「ふぅ。」そしてまた、2人同時に白い息を吐き出す。

「紙、やっぱりおいしいね。」

「でしょ?」

普段いつも電子タバコを吸っている涼は、私の紙巻を見るとうらやましくなるらしく、私によくねだってくる。
私より3つ年齢が上の涼の仕事は建設関係で、行く現場によって喫煙所の位置が変わるので、どこでも効率的に吸える電子タバコに最近変えたらしい。

「明日仕事何時?」

「うーん、このホテルから現場までの距離だと7時すぎにはここ出たいかな。」

「おっけい。アラーム6時半でいい?」

「うん。俺寝起き悪いから起こして!よろしく。」

涼は、仕事の現場の関係で、私の家の近くに月に数回来ることがある。
そのタイミングでいつも私に連絡をくれる。

「あー、早いなー。しかも仕事だよー。」

「まぁ、仕事だからね。仕方ない。私も仕事だし、お互い様。」

涼の仕事は忙しい。朝も早いし、夜だって仕事が深夜になることもあるし、休日出勤だってざらだという。
そういう私の会社も休日出勤こそないものの、人手が足りていない今、繁忙期でもないのに忙しく、毎日遅くまで残業している。

「最近、俺ほんとに仕事だるい。」

「ねー。それは私も。転職したら?」

「そんな簡単じゃないよ。そっちだってそうでしょ。」

「まぁねー。やりがいがないわけではないしね。」

「なんだかなー。」

そんな会話を何度繰り返したのだろうか。
お互い、仕事の話はするものの、どんな会社でどんな仕事をしているのかの詳細については、詳しくは知らない。
知らないからこそ、お互い会社では話せない話も気兼ねなくすることができる。

「ねぇ、もう一本もらってい?笑」

「しょうがないな笑」

「ありがと!てかほんと今日タイミングよく会えてよかったわ!」

「ねー、結構久しぶりだもんね。」

「うん、急に連絡してごめん笑」

「いいよ別に。だっていつも急じゃん笑」

「だね。まじストレス溜まってたわ。」

「私もだったから、ほんとちょうどよかった笑」

そう言って、私は涼にタバコとライターを渡した。そういえば、私たちの引き金はいつからか「ストレス」になっている。
気づかないうちに深くなって、私たちを蝕む「ストレス」という傷口を、どこまでも互いに舐め合って、絡み合って、必死で塞ごうと私たちは身体を重ねる。
けれど、どんなに舐め合っても、絡み合っても、重ね合っても、その傷口は塞がらない。
そんなこと、わかりきった上で、だけど、その傷に絆創膏みたいなものを貼って、一時的にでもその傷を見えなかったことにしたくて、なかったことにしたくて、私たちはその傷口に応急処置をする。
そういった点で、私たちの利害は一致している。

「俺、ほんとに転職しよっかな。」

「え、何いきなり。」

「いや、今みたいに給料よくなくてもいいから、自分の時間増やせるところで働いて、田舎でのんびり暮らしたい。」

話しながら、涼は2本目のタバコに火をつける。

「スローライフね笑 ありなんじゃない?」

「うん。仕事終わりに釣りとか行きたい。」

「何その願望笑」

「いいじゃん、釣った魚調理して食べて自給自足笑」

「ふぅ」と白い息を吐き出しながら涼は、隣で、薄暗い天井を見つめている。
きっと頭の中で、理想のスローライフ像を描きながら妄想にふけっているのだろう。
きっとその中に、私と言う登場人物が存在しないことは、わかりきっている。

「眠たくなってきた。」

そう言って涼は、2本目のタバコを半分くらい吸い終わったところで枕元の灰皿に置いた。彼の筋肉質な両腕が、私の背後から私の腕を通って身体に絡みついてくる。

「疲れたね。今日も。」

そう言って私は身体に絡みついた涼の大きな両手に、自分の小さな両手を重ねた。トントンと一定のリズムで彼の血管が綺麗に浮き出た手の甲をそっと叩く。
あっという間に耳元で彼の寝息が聞こえてきた。

「万が一に備えて、」

舞の言葉が私の頭によぎる。
万が一、万が一のことがあったとき、涼の描くスローライフの世界の中に、彼は私と、その小さな命を入れてくれるのだろうか。

「いやいや、ないない。」

聞こえないように小声で呟いて、もう一度、舞の言葉を頭の中に反芻させる。「万が一、万が一に備えて、備えて、、」

起こさないようそっと涼の腕から抜け出して、そっと彼の両手をベッドに置いた。
そして、ベッドの反対側の横に置いてあるゴミ箱にしのび足で移動する。
無造作に捨てられたティッシュの中から、くくられたゴムを取り出す。
中で、沈澱している白い液体を確認した。
大丈夫だ。大丈夫。

またしのび足でベッドの反対側に戻って、彼の隣に身体をすべらせた。変わらず涼は眠ったままだ。

あぁ、今日は何時に眠ることができるのだろう。枕元の時計の針はもうすぐ、2時の方向を刺そうとしている。

「万が一、万が一。」
今まで何十人と夜を共にしても大丈夫じゃなかったことはなかった。
だから今回もきっと大丈夫なことは分かっている。分かっているのだけれど、あの下腹部の違和感と、突如として下着につく赤い血液を見るまでは安堵できない。
繰り返したら慣れるかと思っていたけれど、こればかりは、どうやっても慣れてくれないらしい。

明日からの10日間が途方もなく憂鬱だ。
まだ序盤はいいけれど、生理予定日終盤にかかるとおのずと私は不安定になる。
もしかしたらこない生理という架空の世界の中で、ぐるぐると悲しい結末を考えて頭がいっぱいになる。あぁ、憂鬱だ。架空の世界であるはずなのに逃げ場がない。

隣で涼は相変わらずスヤスヤと寝息を立てている。

「万が一に備えて、備えてって、ねぇ、互いに溜め込んだストレスをフェアに発散する応急処置にしては、私の代償が大きすぎやしませんか。」

幸せそうな顔をして眠る彼の頭を撫でながら、ふとその顔を思い切りつねって、突如として現れる激しい頬の痛みで起こしてやりたい気持ちに駆られる。けれど、起こして説明したとして、彼には一生生理もこなければ、子供を産む選択肢もない。

自分の身体をタバコのヤニが染みついたホテルの天井に向けて、ぼうっと眺める。

応急処置で貼ったはずの絆創膏の下で、傷口が疼いているのを感じる。
剥がしてみるとさっきより少しばかり傷が深くなっている。
その傷口を直視したくなくて、今日の涼の愛撫を思い出そうと私はそっと目を閉じる。 

私の頬を包み込んだ彼の生暖かい両手の感触。
何度かソフトに唇に触れたあとに、絡みついてきた湿った彼の舌の感触。
私の身体に触れた彼の熱った体温と、徐々に早くなる胸の鼓動の音、果てたあとにずっしりと覆い被さった彼の重み。

一時的でもいい。何もかもを忘れ去ってくれるその快楽の感触を頭に描いて噛み締める。


どうせ傷口なんて、気づいたら日々の日常の中で勝手に深くなっていくのだから、絆創膏を貼って隠してしまった方がいっそのこと良い。そう思って、剥がして粘着力の薄くなった絆創膏を綺麗に、もう一度傷口に貼り直すように、私は涼の両腕を自分の身体に巻き付けて、彼の感触を噛み締めながら眠りについた。

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<第2話>

<第3話>

<第4話>

<第5話>


<第6話>


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