自分の答案に自分で丸を付けることの意味

自分の答案に自分で丸を付けることの意味が全く分からない。
自分が分かればいいだけの話なんだから、
むしろ間違えたところに書き込みをいれることにしている。
要は、赤が入れば入るほど間違えすぎていてヤバイ、
ということになる。

もちろん、他人の答案にそんなことはしない。
他人の答案の採点なら、ちゃんと丸を付ける。
あくまでも、自分の答案なら、ということ。

高校時代、隣の席の子の筆圧の凄さに悩んだことがある。
特に自習してるとき、ガツガツガツガツと音を立てて
ひたすら問題を解いていて、
「何かちょっとイライラするな…」と思っていた。
極めつけは、丸付けである。
もんのすごいでっかく丸を付けるのである。ものすごい筆圧で。
グルっと。

そんなんいる?
自分の答案なのに??
しかも、そんなでっかく???

学校で自習をするときは、なるべくその子がいないところで
勉強するようにしていたほど、何か嫌だった。
だけど、その子は別に悪気があって
やっているわけではないのは当然のことだし、
むしろ、誰かに相談しても「お前、気にしすぎなんじゃね?」と
言われて、私の方が責められそうな気がしていたので、
誰かに相談することはなかった。

だけど、高3の秋ぐらいかな。
その筆圧のすごい子の、前の席に座っていた友人が授業に来なくなった。
その筆圧のすごい子が、授業に来なくなりつつあった友人に対し、
「紙とか敷いて、あまり音を立てないようにするから!
丸も付けないようにするから!!
だから、…(授業に来よう、と言いたいらしかった)」
と言っているのを聞いてしまった。
おそらく、その友人も気にしていたのだ。彼女の筆圧を。

そっか。気にしてたの私だけじゃなかったか。

筆圧のすごい彼女も、そうやってフォローはしていたけど、
正直それじゃ遅いんだよね、と思った。
誰かから指摘を受けて、直そうとする頃にはもう遅いんだよね。
そして私も遅かった。
友人が悩んでることに気づかなかった。

結局、友人は卒業するまで授業に出ることはほとんどなかった。
「受験ノイローゼだった」と本人から聞いたのは大学に入ってからだった。
吹っ切れたように話しているようにも見えて、
どこか不安定そうでもあった。

もうこの世にいない友人。

亡くなる10日くらい前にも会っていたのに、
何も話を聞いてあげられなかった気がして、後悔しかない。
何かが少しでも違っていたら、友人は今も生きていたかもしれないが、
何かが少しでも違っていても、
友人はやはりこの世にいなかったかもしれない、
と思ってしまうことが何よりもつらい。

「もっと好き勝手に生きたらいいじゃん」、
と、応援してあげられたらよかった。
相当好き勝手に生きて他人に迷惑をかけている
私が言っても、何の意味もないかもしれないけど。
と思いながら、今日も私は好き勝手に生きている。


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