はるぴょん

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下手の横好き(日商簿記検定2級統一試験)

1.前回(第166回)の結果 Twitterにも載せたとおりで、前回の試験では66点を取った。 この試験は100点満点中70点を取れば合格なので、 あと4点足りなかったことになる。 「工業簿記で満点が取れれば」「第一問の仕訳があと1問解けていたら」 など思うことは沢山あるが、不合格は不合格でしかない。 2.尻に火が付いた(遅) ただ、今回は仕事など諸々の関係で思うように勉強が進まなかったため、 (試験を棄権しようかと思ったくらいだった) 「どうせ30点位しか取れないっ

    • FNNニュースCOM

      中学1年の頃、何気なくテレビを見ていたところ、 21時ちょっと前に流れる、スポットニュースに 釘付けになってしまった。 少し大げさなジングルに、真剣な目をして原稿を読む男性アナウンサー。 「これは…何?」と私が戸惑っていると、 たまたま一緒にいた姉が、 「この男性アナウンサーは、夜中のニュース番組に出てるよ。」 と教えてくれた。 「夜中かぁ…起きていられるかな。」 当時から身体が弱かった私は、夜更かしができなかった。 「見れたら見るわ」 ぐらいの、やる気のない中途半端な返事

      • 芸は身を助く。

        大学に入れなかったら、パティシエになろうと思ってた。 勉強もテストも点数も順位も、 何もかも関係ない世界で生きていこうかな、 と思っていたことがあった。 滑り止めの大学に引っかかったから、実現しなかったけど。 幼少の頃から、勉強が苦ではなかった。 というか、元から好きなことしかできない性格だ。 昔から、勉強が好きで勉強をしている。 だけど、中学に入った頃から事情が変わってきた。 ド田舎の公立中学だったからか、 学年全体の順位を貼り出すようなことはしていなかったのだけど、

        • 長くいることの罪深さ

          確か、大学2年のときのガイダンスの時だったと思う。 同じ学科の女性の先輩がいて、 「このキャンパスには罪深い人ほど長くいるんですよね。 私も9年もいるので、とても罪深いんです。」 とおっしゃってたのがものすごく印象に残った。 「修士まででも6年だけど、さすがに9年はいないだろうなぁ。 私が博士課程に行くわけないし…。」 と思って余裕ぶっこいていたのだが、 私も結局7年もあのキャンパスにいてしまった。 やはり、私も罪深かったのだと思う。 初めてあの無機質なキャンパスを訪れた

        下手の横好き(日商簿記検定2級統一試験)

          同期について。

          数学などの答案は誰にでも分かるように書け、と言われた。 素人にも分かるように、と。 ここでこれが成り立つからこの公式使いますよー、 というのをちゃんと説明せい、ということだと思っている。 化学屋、特に実験屋は、数学や物理が苦手な人も少なくない。 私も例にもれずそうだった。 大学のときに、抜群に数学や物理ができる同期がいて、 試験直前などによく勉強を教えてもらっていた。 ただ、その同期について「何でこの大学にいるの?そんなにできるのに。」 思うことも少なくなかった。 噂によ

          同期について。

          自分の答案に自分で丸を付けることの意味

          自分の答案に自分で丸を付けることの意味が全く分からない。 自分が分かればいいだけの話なんだから、 むしろ間違えたところに書き込みをいれることにしている。 要は、赤が入れば入るほど間違えすぎていてヤバイ、 ということになる。 もちろん、他人の答案にそんなことはしない。 他人の答案の採点なら、ちゃんと丸を付ける。 あくまでも、自分の答案なら、ということ。 高校時代、隣の席の子の筆圧の凄さに悩んだことがある。 特に自習してるとき、ガツガツガツガツと音を立てて ひたすら問題を解い

          自分の答案に自分で丸を付けることの意味

          国Ⅰと私。

          私は公務員試験ヴェテである。 国Ⅰ志望、化学科出身の私だが、理工Ⅳは受けたことがない。 受けたのは、なぜか人間科学と、法律職だった。 化学で生きることに迷いがあったことがモロバレなのである。 受かるわけのなない心理職を経由して、 法律の勉強にたどり着いたのが、29歳のときだった。 法律の勉強を始めて、仕事も研究職を辞め、 化学を完全に捨てた形になった。 その頃はもう秋だった。 予備校の先生に「今から国Ⅰ法律職の勉強を始めるんですけど~~」 と勉強方法の相談をしたところ。

          国Ⅰと私。

          助けられなかった。

          学部2年のレポート課題には、 英語でアブストをつけなくてはならないものがあった。 とはいえ、実験手順等を受動態で書けばいいだけで、 さほど難しいものではない。 そこで、よく知ってる後輩から割と衝撃的な質問が出た。 「受動態って何ですか?」 彼は英語が苦手だ…ということは聞いてはいたのだが、 受動態は中学校で習うものだろうし。 私も「教えてあげなきゃな」と思う反面、 どこから手を付けたらいいのか、と困ってしまった。 彼は、そのためかレポート負債をかなり抱えていたようだったし

          助けられなかった。

          Tully’sとの出会い。

          大学院生とは孤独なものだ。 朝はコンビニしか開いていない時間に登校し、 夜はコンビニしか開いていない時間に帰宅する。 朝、電車に乗ってつり革をつかめば、 「今日はあの試薬を使ってあの実験をするから、 研究室に着いたらあの器具を組み立てて…」 と、その日1日のスケジュールを勝手に頭の中で組み立て始める。 そんな生活に土日も祝日もない。 給料をもらうどころか学費を払っていて、 この生活で何が報われているのかさっぱり分からなかった。 人間味のない生活に私が壊れるのに、半年もかから

          Tully’sとの出会い。

          留年に対する、とりとめのない感想。

          割と人に恵まれた人生だったと思う。 特に高校時代に関しては。 人より1年多く高校に通った。 病気というか、障害というか。 とにかく、入学して最初の1年間は廃人のような生活をし、 次の年から“普通の”高校生活に戻った。 “自分は普通じゃない。人と同じ生活ができない。” と悟りつつあったのか、“普通の”生活にものすごく執着した。 普通であることが重要だった。 「1年先に入学してるからって、不利にも有利にも取り扱わない」 と事前に担任に言われていたが、実際は有利に取り扱われてい

          留年に対する、とりとめのない感想。