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「妊活」の場に身をおいて、初めて分かった「身体を大切にする」ということ

今回のnoteは私にとって大きな気づきがあったため、一個人の体験談として書いています。それぞれの立場があるなかで、読んでいただくかどうか、各々でご判断いただけたら嬉しいです。


「私、ここままでは真面目に病院に通っても難しいかもしれない…」

一般不妊から生殖医療補助(ART)の治療が受けられる病院に転院し、本格的に治療が開始してそう経たないある日、ふと感じた。

「病院に行けばなんとかなるはず」

そんな思いもいつの間にか砕け散っていた。もちろん私が勝手に感じていた、に過ぎないが。

「体外受精にステップアップするのが早すぎたのも」

私の場合はもともと「生理がこない」という症状があり、通院をしていた。そのまま一般不妊治療の一環で検査をしつつも、明確な原因が分からず。しかし治療の限界もあり、転院をすることになった。

転院先の病院で先生と治療方針の相談をしながら、夫にも相談をし、最終的に「人工授精を飛ばし、体外受精にステップアップする」と決めた。

そんな数ヶ月前の出来事に、後悔の念が襲ってきた。

連日の自己注射に投薬。数回の通院を経て、直前に決まる採卵日。
たかが10分ほどだが、局所麻酔をしても、なんともいえない痛さで苦しみながら、その後もすぐには消えない鈍痛。
さらにそんな苦労をして採卵しても、全てが受精卵になるわけではなく、凍結に至る卵はさらに少ない。凍結に至っても、決まったグレードにそう喜べなかったりする。

「今回は凍結に至りませんでした」と言われた時には頭が真っ白になり、さらに「今回は残念でした」と言われながら見せられた紙には、着床を確認すると上がるホルモン値がほとんどゼロに近い数値が記載され愕然とした日。

「受精したら…」「凍結したら…」とステップを踏むごとに治療費も変わってくるが、払う気満々な時ほど望んだ結果にならず。毎度「もっと払うつもりだったのに…」と謎の絶望感に襲われる。

一般不妊治療を受けていた時も感情や体調に起伏はあった。それでも体外受精は自分の想像を優に超えていった。例えると上りは緩いが、ほぼ直角なのでは?と思うほどの急降下する、気持ちのジェットコースター。初めての経験だ。

最近の私は、採卵後、卵巣の腫れがひどく、身体の痛み・違和感が続き、ジェットコースターは上ることなく、ほとんど低空飛行。冒頭のように自分で決めた判断に後悔と不安に包まれながら、少し治療を休む決断をした。

気づけば、まもなく結婚式から1年を迎えようとしている。変化がない、なんてことはないけれど、どこかで思い描いた理想通りに変わっていないことに焦りと劣等感でいっぱい。もとい、我が家の場合は仕事やライフワークを楽しむ夫が横目に入ることも大きいのかもしれないが、私の場合は努力を重ねてもそう叶わぬ現実があった。

身体を気にして夜の予定を躊躇してしまう私は、いつまで続くのか分からないトンネルを走る感覚に。また日々蓄積されていく先生や専門家の情報から、これまで全て自分でしてきた決断も情報の分別がついたうえだったのか…と反芻させると、とまた一気に自信がなくなっていく。

私が「一旦お休みします」と言わなければ淡々と進む病院での治療。病院によってもさまざまだが、私が通う病院では、一人ひとりに応じてカスタマイズされた治療をしているわけではない。

実際に行ってみないと、やってみないと分からない世界に、まずは飛び込むことも大切。そのうえで意思を持って自分のペースで歩むこと。

そんなことは病院のホームページに書かれるわけではなく、薄ら記憶に残るネット上のたくさんの書き込みを自分でも体験して、やっと自分事化できた。

今回、冒頭の気持ちをもたらした大きなきっかけは、西洋医学だけでなく、東洋医学を取り入れたことだった。病院では解決できないことも多いからこそ「自分の身体といかに向き合うかが大切である」と教えてもらったのだ。

これまで何度も「自分を大切にする」との言葉を見聞きし、時に私も使ってきたことか。頭では理解していても、実践には程遠かったことを痛感させられた。

今は「なぜ理系に進まなかったのだろうか?」と後悔をするほど興味が掻き立てられるこの領域を学び実践しながら、この期間を「自分が本当に心地いいと感じる過ごし方・休み方」の訓練と捉えることにした。

私はもともと我慢強い。それでも実は、身体に悪影響を及ぼすくらいに我慢をしてしまっていたらしい。それが分かった今、徹底的に自分の気持ちを確かめながら、ワガママになって過ごすことを意識し始めた。

もちろん「やらなきゃいけない」ことも多いが、それらで溢れると心は疲れ、作業中に身体に違和感を感じていたのも事実。そしてそれらに溺れて、「やりたい」「叶えてみたい」と思うことの抽象度は高いまま。これを機に、ゆっくりと解像度を上げて、今の私だからこそやりたいことを形にしようと思うように。

「つい自分を犠牲にして、頑張りすぎてしまう」

過ぎ去った過去は変えられないけれど、まず今フォーカスをすべきことは、自分を大事にできるかどうか。確かに妊娠・出産は大きなライフステージの変化の一つだ。ただそれも一つの出来事にしかすぎず、人生の全てではない。どんな出来事があっても、それも踏まえて私らしく、歩んでいこう。

改めて自分に大切な概念をもたらしてくれた、この出来事に感謝をしつつ、私なりのペースで歩んでいきたいと思う。

最後に。

誰一人として同じ身体の人はいないからこそ、これもあくまでも私の話である。そしてここには仕事の話は一切書いていないけれど、周囲には状況をお話しし、急な休みなどにも理解をもらうことができた。そんな環境にも感謝の気持ちでいっぱいだ。

正直、不安で寝られなかったり、落ち込む日もある。それでもこうやって記せているのも、日々のジェットコースターを通じて新たに湧き出る一つひとつの感情を見つめられた自分の存在があってこそ。また新たな自分に出会うきっかけとして、一つひとつの感情を面白がる自分もいた。ポジティブに捉え直す思考は着実に養われている。

「記すこと」には自身の気持ちを確かめ、決意の一つの手段でもあると感じている。

この出来事に関わらず、私はこれからも等身大の日常を記していきたい、と思わせてくれたnoteに感謝したい。

ありがとうございます。今の私はたくさんの人生の先輩方にお世話になったからこそだと感じています。いただいたサポートでは、後輩が迷った時に話を聞く際のカフェ代に恩送りさせていただきます。