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人間とはなにか

態度がはっきりしなくぼんやり生きてた私と、チャキチャキ手際のよく頭も回る父の関係は、常に緊張状態にあった。

私のノロマさが父の許容範囲であるときは束の間の平穏があり、それをひょんなことで超えたときは私が一方的に怒られた。

モゴモゴと思ったことをハッキリ言えなかった私は押されるばかりで言い訳も言えず、そんな姿を見て父はさらに苛立ちが募ったに違いない。

ところで、その父が死んだ。私が大学四年生になったその四月にだった。

父の時代は単位を全く取れなくても四年生までは順繰りに進級でき、四年生で(人によっては)一年生の講義から出席して延々と留年を繰り返すのが当たり前だったようだ。そういう世代の反省として、進級に必要な単位数というのが決められたのだとは思うが。

父が死ぬ前年、私は三年生から四年生への進級に失敗した。教職免許取得に必要な単位は、進級に必要な単位に計上されず、ほんの一つ二つ単位が足らなかっただけだった。

それを、まるで「問題行動を起こして教授に目でもつけられた」から留年したのだとでもいう風に叱られた。前述したように、父の時代には「四年生にあがる進級」に失敗するのは余程のことだったのだろう。

現代を生きる学生としての私とその周囲の、「留年は頑張っても起こるもの」という認識と、父の認識は著しく乖離しており、さすがの私も泣きながら反論した。

父がまだ元気だった、中学生の頃だったと思う。

神のように何でも見透かし罰としての叱責を与えてくる(少なくとも私にはそう思えた)父が、私に初めて冤罪をふっかけた。

父は朝に顔を洗わない人間が大嫌いで、洗ってないのに洗ったと私が言うとビンタした。

でも、その日は私は本当に顔を洗っていた。父は私が堂々としているのを見て信じたらしく、苦笑いして謝った。

父は田舎の大自然を相手に自由な幼年時代を過ごし、窮屈な少年時代を過ごして、青年時代に酷い裏切りを経験した。

私は父の青年時代に生まれたから、まず大人の裏切りを目撃し、待ち合わせたノロマさから少女であった頃はいじめられ、それ以降頑なに心を閉ざし、高校になって同級生を、大学になって上級・下級生と一部の大人を、やっと信じられるようになったところだった。

父は全知全能の神で何もかもを見透かしている訳ではない。そのことに気づくのが遅すぎて、私は生きていく上で必要な程度の嘘さえ不得意になった。(例えば終電が近いから帰った方がいいのでは?ではなく”私が”眠いから帰れといったような)

父は人を信じたいという思いの上に、不信の皮を着込んでいた。私にとって人間は敵だったが、味方もいるのだと知った。

父と私とでは、世界の捉え方が正反対だったのだと思う。

不均衡極まりなかった力関係が多少是正され、私が父に物を言うことが増えて、関係が良くなるかと思えば違ったのだ。より二人にはすれ違いといがみあいが増えたように思う。

父と「父娘らしい」関係に落ち着いたのは、行動力の塊のようだった父から生命力が消え、自宅で呼吸器とともに暮らすようになってからだった。

父と私とは、お互いに無用な衝突を避けるために、お互いの思考の奥に踏み込まず、表層を撫でるように付き合うようになった。

粒あんかこしあんかわからないあんパンを、割ってみることもなく、粒あん過激派とこしあん過激派が「あんパン」について語るようなもの。「粒」か「こし」かには触れてはならぬという風な。

不思議だと思った。

お互いがお互いの表層を撫でるように付き合っていた父の晩年の方が、二人は親子であったような気がする。

思えば昔から、私の言動は父に似ていたらしい。

口調はハキハキとモゴモゴで天と地ほど違ったが、

毛布を丸めて抱き枕にして結局お腹を冷やすところとか、

風邪をひくタイミングとか、

階段を降りてくるときの足音とか。

食べ物の好みも似ていたように思う。

私はこの経験を基に、ひとつの仮説を立てた。

人間の本質とは、後天的なものなのではないか、と。

遺伝子の悪戯で背格好や目の色髪の色、お酒に強いか否かは親子で似るかもしれない。場合によっては変な癖も似るかもしれない。しかし、それはその二人が似ていることにはならないのではないか、と。

後天的に得られた人間性の本質を、先天的なものがヴェールとして覆い隠している。

思考も生い立ちも性自認もなにも知らない相手と食事を共にするときは、サッカー日本代表の快進撃か、もしくは相手の見た目をまずは話題にするしかないように、先天的なものは人間の本質ではありえない。

仮説とか思い切ったことを言ったわりに、極々当たり前の、常識とも呼べることを言うだけ言い放ってしまったように思うが、まぁいい。

一度死んだ私は、人間とはなにかをイチから勉強しなければならないのだろう。

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