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気付いてる?支援級の子を特別扱いするデメリット

学校生活がしんどそうだけど
どうしていいか分からない。

そんな親子の役に立てればと
今年度から、1年休んでいた
学校支援員ボランティアを
再開しようと思っている。


「学校でどんな支援が必要?」
という質問をSNSで投げかけたところ

「勉強よりもコミュニケーション」
という回答があり、ひっかかった。


それは、
友だちと呼べる子のいない長男と
支援してほしい内容が似ている?
と思ったから。


DMで詳しく聞かせてもらうと
色んな意味で「よろしくない!」
と思う内容だった。


支援級の子に指摘してはいけない?


コミュニケーション面で
支援が必要な子の中には

「話がかみ合わない」
「誰ともあまり話さない」だけでなく
「友だちとの距離感」がつかめず
やたらと近すぎるタイプの子もいる。

それで、特定の友だちに
べったりついて回ったりすると
たいていは嫌がられる。


これが一般のクラスの子同士なら
あからさまに嫌がって避けたり
「近いよ!」と直接言ったりするのに


支援級の子に対しては
「我慢して合わせてくれる」
雰囲気になることもある。
(頂いた内容を少し加工しています)

先生は
「クラスの子は
“支援級の子には指摘してはいけない”
と思っている」と言うそうだけど、

私はそれがそのまま
「先生の価値観」なんだと思った。


指摘をしないデメリット

支援が必要な子に指摘するのは
ダメなんだろうか。

そんなこと、
親や先生など周りの大人が
いつのまにか子どもに植え付けた
「優しさ」の勘違い。

学校であれば
先生のその子に対する扱い方が
正しいものとして子どもに伝わる。


そうやって
「支援級の子に優しくしよう」と
何も指摘しないのは

むしろ「優しさ」とは
逆の方向にむかう行為だと思う。


私が考える大きなデメリットは2つ。


一つは
「クラスの子の我慢が
良くない方向に発散される」こと。

嫌なのに嫌だと言えない雰囲気。

その我慢がストレスになり
「あの子はずるい!」
と思うようになるかもしれない。

先生の前では優しくするけど
大人が見ていないところで
陰湿ないじめをするかもしれない。

自分が我慢を強いられてきた相手は
障がいのある子…という記憶が残り

大人になってからも
街中で見かける障がい者(児)に
冷たい対応をとるかも知れない。


もう一つは
その支援級の子が

「相手が嫌がっている」
ということや
代わりにどうすればいいのかを
知る機会を逃していること。

今は支援者や学校の中で
守られているかもしれない。

でも、このまま大人になって
社会に放たれたら?

人との距離感がわからないまま
大人になったら、どうなる?


「指摘しない」のは
子どもたちに必要なことを
「教えない」ということと
同じなんじゃないかな。


「優しさ」と「差別」は紙一重

・支援級の子に指摘しない
・支援級の子だから優しくする
・支援級の子だから仕方ない(許す)
これは全部、差別だと私は思う。

「クラスの子がそう思っているから」
と、平気で言えちゃう先生こそ
内心そう思っていて、
態度に出てるんだろーな。

子どもたちは、そういうのを
見抜く力がすごいから。


本当の支援ってなんだろう

私に対し
「コミュニケーションの支援を
何よりもお願いしたい!」と
教えてくれたママさん。

それほど先生の手が回らないか、
学校の守備範囲外なんだろう。


だけど、必要なのは
「大人になったときに
困らないための支援」なのだ。


そのママのお子さんにとって
今、必要な支援は
「人との距離感」を学ぶこと。

相手に不快感を与えない
コミュニケーションの取りかた。


そして、一般のクラスの子にも
「嫌なことは嫌だと言っていい」
ということを伝えた上で

その「言いかた」「伝えかた」を
教えてあげることが

勉強よりもずっと大切なのでは?

それこそ、集団の中でしか
経験できないんだから。


インクルーシブってなに?

ところで、
「インクルーシブ教育」を
推進するようになって数年。

インクルーシブって、
なんでしょうか。

みんな一緒に
同じ教室で学べたら
インクルーシブ?

そこに誰かの我慢や
負担があっても、そう言える?


コミュニケーションに
難しさを抱えているのに、
「勉強はついていけるのよね」
と、同じクラスに入れられて

クラスの子から何となく
嫌がられ、避けられる。

それが、インクルーシブ?

みんなと同じことを
できている「ふう」だったら
それでOK?

聞こえのいい言葉を使って
表面的にそれっぽくするんじゃなく
もう少し具体的にならんかな。


インクルーシブって
「包括的」という意味もあるけど

インクルーシブを考える上で
先に必要なのは「個」を見ること。

一人一人違うのが当たり前なのに
○年生は…、〇〇障害の子は…と
先に「包括」しちゃうのは
良くない気が、かなりする。


支援が必要な子の親として

かくいうわが家の長男も
一般クラスにひっそり参加する
コミュニケーション等の
支援が必要な子。

インクルーシブを実現するために
当事者やその親として必要なのは

「支援してもらって当たり前」
という意識を持たないこと
なんだと思う。

それは
「支援してもらえなくて当たり前」
と諦める、という意味ではなくて

「障がいがあるんだから
 それくらい大目に見てよ」
と言っていい状況かどうかを

客観的に判断しなきゃってこと。

障がいがあっても無くても
「相手が嫌がることはしない」
「相手の権利を侵害しない」のは、

社会で生きていく上で必須だから。


支援を受けられるうちに
先生や支援者の方々と協力して

伝えるべきことを
しっかり伝えていくのが
親や大人の責任だと思う。


▽▽▽
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