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雪虫 11月22日

暦は今日から小雪へ。
思いのほか日中は暖かくなったけれど、陽が傾きかけた頃、
部屋から窓の外に目をやると、雪虫がふ~わり、ふわりと舞っていた。
が、あっという間にその姿もどこかへ消えた。
まるで冬の訪れを知らせる妖精のように。

もしかすると父かもしれないな、なんてことをふと思う。
親をつかまえて虫にするとは何事かと叱られそうだが、
そんなことに本気で腹を立ててくれる人はもうこの世にはいない。
先月25日に父は他界した。

ずーっとスケジュールがパンパンだった日が続いていて、
それが明けた久しぶりに予定のない休みの日に母から知らせがあった。
実直だけが取り柄の商売人。仕事ばかりの人生だった父の最期らしくて
そのことが泣けてくる。
家族や親戚の誰もが臨終には間に合わず、ひとりで勝手に旅立って行った。

悲しい。
心から悲しんでいるはずなのに、今日の今日まで本当の奥底にある
悲しみの感情は、蓋をされてしまっている。
その下では悲しみが湧き出ては静まり、を繰り返して
表に出ることは拒んでいるようだ。
いや、もっと静かな、10/5の日記に書いていたように
「無風」とでも言ったらよいのか。 
おそらく父の死をちゃんと悲しむことができていないことが悲しいのだ。
受け止めることができていないのか、それとも自分は冷たいのではないのかと責めてもいる。

認知症が進む前、父とまともに会話したのはいつだったろう?
何を話していたんだっけ?
会社勤めをしていた20代の頃。まだ実家から通勤していたときは、
いつもクタクタのヨレヨレで帰宅して、父の晩酌どきに間に合っても、
まともに口をきくこともできないくらい私は毎日くたびれていた。
8年務めた会社を辞めた後は、自分が進みたいように自由勝手に
生きてきて心配ばかりかけていた。
そんな私があれこれあれこれ回り道して、商売だけはやるまいと思っていたのにお店を始めた。やっと自分(父)が理解できる職業に落ち着いてくれたと、一番ホッとしていたのは父だったのかもしれない。

いつだったか、東京で用事があった父がその帰りに当時蔵前にあった
in-kyoに寄ってくれたことがある。これまでそんなことは一度もなかった。事前に連絡もなく目の前に現れた父が、随分と老けて見えたことをよく覚えている。そのときの父は父で「そこへやって来た」ということで任務を終えたかのように何を話すでもなく、所在ない感じで
「俺が買うもの何かあるか」
などとぶっきらぼうに言われたように記憶している。
私は「好きなものを選んでくれたらプレゼントするから」などと
返したような気がするが、自分が買うと言って一歩も引かない
頑固な父に根負けした。
モノなどに一切興味もこだわりもない父が選んだのは意外なことに
漆作家・宮下智吉さんが作った朱塗りのぐいのみだった。
品良く金箔があしらわれていて、使い込んで全体に艶が出る頃には
金箔も馴染んでいく姿が楽しみな器だ。
その頃の父は毎日晩酌をしていた。大抵はビールの後に熱燗。
漆の器なら手にもその温度は優しいだろう。父にぴったりのモノ選びを
自らしてくれたことが、モノを扱う娘としてこの上なく嬉しかった。
それから施設に入るまでの、自宅で晩酌ができていた日々は、ほぼ毎日この器を使ってくれていたらしい。使い始めて数年経った頃に見せてもらったときには、「父のぐい吞み」として艶が増し、日々手にされていることがわかる器へと育っていた。

いい表情をしていたぐい吞みだったが、認知症が進み始めたからだったのか、あるとき実家で目にすると、焼き焦げたような黒い斑点が所々にできていた。電子レンジにでも入れて金箔が焦げた跡だったのだろうか…。
怒る気にはなれなかった。それでも愛用の器だったことに変わりわなかったのだから。
父の旅立ちに際して葬儀屋さんの計らいで、晩酌によく飲んでいた
「鶴齢」をそのぐい吞みに少し注いで口も湿らせ、宮下さんにも了承の上、
棺に一緒に納めることにした。
父の形見として残しておけば良かったのか…。いや、あれで良かったのだ。

90歳の大往生。あっぱれな人生だと思う。
いつ何が起きてもおかしくはないと言われていたこの数か月。
覚悟はできていたとはいえ、やはりズシリと重いものがある。
遺されたものは、記憶や思い出を手繰り寄せ、
あれで良かったのだろうか、これで良いのだろうかという
選択と回想を繰り返す。
伯父の話から、知らなかった若かりし日の父のことを今さらながら知った。仕事の話なんかしないで、父とは生前そんな話がしたかった。聞いてみたかった。後悔というのともまたちょっと違う、ぽっかりと空いた空白のようなもの。悲しみの感情の蓋の下にあるものは、この空白がつくり出した無風の世界なのかもしれない。時間をかけてその蓋を少しずつ開けていけたらと思う。

11月22日 晴れ 最高気温18℃ 最低気温-1℃
父の葬儀から約1か月。諸々あり、仕事も立て込み休む間もなく怒涛の日々。ようやく休みになったかと思ったら夫君が風邪で寝込み、
まだまだ続くこの流れ。そんな今日はいい夫婦の日。