恋愛体質は、わるいことばかりでもない

毎日まいにち、恋人のことを思って暮らしている。それはただしく「恋」なんだろうか、という不安がいつも湧いてくるのを、本で覚えたばかりの方法でなだめながら、半額だった鳥手羽元を焼き付け、きざんだ玉ねぎとしょうがを炒め合わせて、きのこを加えて、水を注いで塩で味付けたスープをつくった。まだちょっと、うまく馴染んでいなくて、熱い。

恋は、自分自身の思ってもいない明日へ、あっという間に連れて行ってくれるからすごい。食べるもの、見ているもの、訪れたい場所、知らないこと。ぜんぶが「恋」を原動力にふりまわされていく感じは、毎回どうにもバカみたいだけど、いいなぁ、とおもう。

ぼくだけの世界を拡張する手段としての、恋。なんていうと、どうにも冷たい感じがするけれど、人がそれでも恋をやめられない(なにもそれは人間相手だけではない)のは、たぶんいつも「自分を変えたい」という前向きなあらわれなのだと考えるようにした。飯田橋に携帯電話の忘れ物を取りに行って、そのまま神保町まで歩いて古本屋めぐりをしながら。

恋愛体質というのは、あまり褒められることがないのだろうけれど、わるいことばかりでもない。聞きかじった情報じゃなくて、多くのことを体験できる。だから、恋を持続できるようにするのは、ぼくにとってけっこう大事なことなんだろう。恋していたいし、恋させてほしい。『宮城まり子が選ぶ 吉行淳之介短編集』の、宮城まり子さんが書いた「序にかえて」を読んだときから、たぶんぼくにとって「恋」の大切さは、つよく確かなものになった。これはほんとうに素晴らしい恋文だから、ぜひ読んでみてください。

夜中に、サウナ仲間のFさんとHさんと一緒に、サウナに入ってから、とっても美味しいお鍋を北千住で食べた。彼らは新しい才能を世に送り出す仕事をしていて、たぶんきっとその営みも恋のひとつみたいなもので、その「信じきる強さ」を感じさせる背中に言葉をうしなう。聞かせてもらった新曲が、じつは泣きそうなくらいよかったんだけど、ぼくは「今泣いちゃいけない」とおもってつよがっていた。あのときに見た、歌う彼女の姿が、浮かんできた。

毎日まいにち、誰かの頭に、誰かのことが浮かんでいる。それは恋だったり、やさしさだったり、憎しみだったり、妄想だったり、いろいろあるんだろうけど、健やかな浮かび方をしていると嬉しいものだ。ある飲み会に誘われて、「あと男性をひとり呼ぼうと思ったとき、長谷川さんがいいなって」と声をかけてもらったのは、まちがいなく今日いちばんにハッピーなことだった。

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