スポーツ
バレーボール中継を友人と通話しながら見るのがここ数日の楽しみになっている。
えぐい、最高、爆イケやん、などとアホみたいな会話をしながら見ているのだが、その時間は余計なことを考えずに済んで、精神衛生上とても良い気がする。
見終わった後は、モヤモヤしていたものがスーッと抜けている感覚があるのだ。
何にモヤモヤしていたかと言えば、ここ数ヶ月のワイドショーや、SNS上で繰り広げられる、あらゆる界隈での論争に、である。
テレビを見てもSNSを見ても
答えのない問い、
権力とヘイト、
好き嫌い、
正義を説くふりをして利益と信頼を掠め取ろうとする人たち、
などが見え隠れして、あらゆる言論に正義以外のなにかが紐づいて論争が複雑化していく様を見て、僕は本当に疲れていた。
そんな現実の社会に比べると、スポーツの試合は明確なルールの中で戦っているだけ平等だから、見ていて疲れないのかもな、などと思う。
しかし、それは僕がスポーツの氷山の一角だけを、ライトな視聴者として眺めているからこその感想なのだろう。
奥深くまで観察すれば、コートの外側には明文化されない戦い、つまりは政治と戦略があるのかもしれない。
そしてそれは、どんな人間関係にも言える気がして、僕は社会で生きていくことにゲンナリしてしまった。
そうか。
だから、ある程度の地位とお金を得た大人がわざわざ休日に草野球をするのか。
利害関係とか、勝敗へのこだわりとか、それらに付随する政治的競争とか、そういうものから解放された空間で人と関わるために。
ただし、そのグラウンドの中にも、場合によっては接待プレーなどもあるだろうから、社会のなかで利害関係から自由になることは本当に難しいのだろう。
いつか、草野球が似合う年になった僕に、損得の関係ない友達が、8人くらい居ますように。
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