サマースプリング

夏の泉

榎本櫻湖

演劇というものが、生身の肉体や空間への異議申したてであるとしたら。この嫌悪すべきぶざまなからだを否定しつくすための営みであり、そうしてさえ消尽することのない、なかば熱をすって融けた氷枕のようなそれを手に提げ、悪罵されることも厭わずに捧げつづけることそのものを指すとしたら。そうであれば、肯定できないにしても、幾許かは自傷することの悦びを抑えられたかもしれぬのに、と悔やむものもいるのだろう

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「サマースプリング」公演に寄せて 立川貴一

三野くんとはじめて一緒につくった作品は、サミュエル・ベケットの「film」を原案とし、彼が演出した「Prepared for Film」という演劇だった。

論文のような文章の大群、そこに多少の台詞がある、それが当時の彼の台本だった。

「これは、犬です」
「これは、猫です」
「これは、花です」
「これは、鳥かごです」
「これは、オウムです」
「これは、カーテンです」
「これは、窓です」

犬なら

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平成の終わりに読み返す

思うところあって、自著を読み返す羽目になっているのですがまあ、それは今年で平成がどうやら終わるらしいぞという、終わったらいいことばかり起きるんだよ、東京五輪だって大阪万博あるんだ。日本はこのあと、経済的に成長していくぞ。健全な肉体に健全な精神は宿るのだ。という意気揚々とした前向きなことばかりが目につく。昭和の終わりの憂鬱なムードから平成のはじまりのどんちゃん騒ぎは時代が鬱から躁へ変わった、気分の問

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『サマースプリング』あとがき

泣くほど嫌ないことを何故、書かねばならなかったのか

発表するつもりはなかった。理由はあとからいくらでもついてくる。でも、書きはじめた時には理由はなかった。ゴールも目的もないままで、ただ、書いて、読む、そして思い出し、エピソードを追加して、また書いて、読んで、思い出して…という作業を密かに10年(!)も続けていたのだ。その行為は癒されるためでも、誰かを許すためでもない。ましてや自分を救うためでもな

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サマースプリング (吉田アミ) 書評 (想定媒体 個人Webサイト) 字数(1406文字)

この人はなんて嘘つきなんだろう。

 読みはじめた瞬間に思った。

 こんな出来すぎた話があるわけがない。これは流行の自伝的小説の仮面をかぶったフィクションだろうと思ってしまった。そう確信したのは舞台となっているのが、1989年の名古屋で中学生という設定だ。何を隠そう、この僕もまた1989年に名古屋で中学をすごしていたから。

 しかも、どうも舞台となった中学校は、僕が通っていた中学と同じ(森山→

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