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「葬送のフリーレン」考察! 「魔王」は初めて人間と分かり合えた魔族? 老後スローライフと現役王道ストーリーの混在!

 こんにちは!今回は現在少年サンデーで連載中であり、アニメの方も絶賛放送中の「葬送のフリーレン」について考えていきたいと思う。今回触れる範囲は黄金郷のマハト編、過去編までだ。マハト編まで読んで僕なりにこの漫画がどういう物なのか、ある程度は理解する事が出来た。それでは初めて行こう。


○フリーレンは定年退職後の老人?老後の新たな人生の主題!

 まず、今作の最大の特徴は、本来の本筋の話である勇者一行が魔王を倒すまでの話ではなく、魔王を倒した(物語が終わった)後の話をを描いている点である。

 これは、分かりやすく現代社会に置き換えて例えると、仕事や子育てなど、人生のメインイベントが終わった後の話、つまり、定年退職した後の老人の物語なのだ。

 人間というのは自分が若い時には、仕事や恋愛など、人生の主題を見つけたり、社会参加する方法はいくらでもある。しかし、老人になった後、人はどう自己実現したり社会参加するか?つまり新しい人生の主題を見つけられるのか?という難しい問題がある。
 フリーレンの場合は、魔王を倒すという、分かりやすい使命が終わってしまった後、どういった目的を持ち、その先の人生を生きていくかがテーマの1つでもある。

 実際、魔王を倒し、勇者パーティーが解散した後にフリーレンがやっている事は、ヒンメル達との思い出に思いを巡らせたり、趣味の珍しい魔法集めや、フェルンのような若い魔法使いの育成など、まさに老後のスローライフ的な話がこの「葬送のフリーレン」のメインの物語になっている。まさに、本筋のその後を描いた物語だ。

 ○本筋後の老後スローライフと本筋の現役王道ストーリーの混在が示す事!

 しかし、面白いのが、断頭台のアウラという魔族が出てくるあたりから、当初のコンセプトであった老後のスローライフ的な話ではなく、魔王を倒すための旅、つまり本筋の方でやってもおかしくない話が紛れこんでくるようになったのである。アウラやマハトなどの大魔族とのバトルや、一級魔法使い試験のあたりは、明らかに当初のコンセプトから逸脱した、本筋でやるべき王道少年漫画的展開である笑

  だからこそ、こういった王道時展開は、当初のスローライフ路線が好きだった人には不評だったかもしれない。(僕は元々少年漫画好きなジャンプ派なので普通に楽しめたが)

 このように、あくまでフリーレンの作品としてのメインテーマは、本筋後の老後スローライフの中に新たな人生の主題を探す事だ。しかし、長期連載を続けるうえで、それだけでは厳しくなり、本来本筋でやるような王道少年漫画的な展開も入ってくるようになった。これが、現在のこの作品の状態だという訳だ。

○「魔王」は初めて人間と分かり合えた魔族?人間と魔族のディスコミュニケーション!

 そして、他に僕が今作で面白いと思った要素の1つが「魔族」の扱い方だ。
 基本的にフリーレンで描かれる魔族の話は、ずっと人間と魔族のディスコミュニケーションを描いている印象がある。
 要は、人間と魔族という、思考も感情も違う生き物同士が、わかりあえないねって話をずっとしているのだ。

 元々、魔族は人間と同じ高い知能を持っているが、人間のような心(感情)がない。魔族側は人間とコミュニケーションがとれているかのように偽装しているが、根本的にわかりあえない存在として描かれている。だから、魔族にとっても人間は獲物でしかないし、人間にとっても魔族は敵でしかないといった認識である。

 しかし、黄金郷のマハト編という編から、マハトという、人間の事を理解しようとする魔族が出てくる。マハトは悪意や罪悪感という人間が持っていて、自分達にはない感情を知りたいと思っており、人間同士を殺し合わせたり、一度自分が人間に仕えて、親密になってから殺そうとする事で、悪意や罪悪感の正体を知ろうとする。

 しかし、作中でフリーレンもいっていたように、そんな1つの感情を学ぶ為に、大量の人間を犠牲にするようなやり方では、魔族が完全に人間を理解する頃には人間は全滅してしまうという訳だ。

 このように、黄金郷のマハト編では、マハトやソリテールのような人間を知ろうとする魔族が登場する。しかし、その知るための手段が、全く対等なコミュニケーションではなく、檻の中の動物に、刺激を与えて反応を見るような、一方的に押し付けてくる暴力的なコミュニケーションであり、とても人間と共存がどうとかいえるレベルではないのだ。

 このように、マハト編でも、人間と魔族のコミュニケーションは成立しない。しかし、元々人間は殺す対象としか思っていなかった魔族だが、マハトのような、人間を理解しようとする魔族が出てきた。だから、もしも、この先の展開で、人間を知ろうという気持ちがあり、マハトとは違い正しい手段でコミュニケーションがとれる魔属が存在すれば、人間と魔族の限定的な共存が描かれる可能性もあるのかもしれない。

 というか、正直、人間と初めてコミュニケーションが成立した魔族は、フリーレン達が倒した「魔王」だったのではないかと思っている。実はフリーレン達は、魔王と戦って倒したのではなく、何らかの条件付きで、和解に近い決着なったという展開だ(つまり、この仮説通りなら魔王はまだ生きている)。というのも、フリーレンの魔王に関する発言を聞く限り、まず間違いなく単純な悪の親玉としては描かれない。それどころか、魔王という存在の謎が、この「葬送のフリーレン」という作品の結末に大きく関わってくる可能性が高いからだ。

 ちなみに、フリーレンとマハトの存在は対比になっている。エルフであるフリーレンも魔族であるマハトも、人間をもっと知りたいという気持ちは同じなのだ。ただフリーレンは、人間と旅したり、育てる事で人間を知ろうとする。対してマハトは、感情を理解するために、人間を殺していく。つまり、人間を知りたいという気持ちは同じなのだが、手段が対照的なのである。

○長命種のエルフ(フリーレン)からみた人間の結論! 人間と魔族の善悪の逆転は起こるか?

 そして、僕がもう1つ重要だと思うのが、今作の主人公が、人間ではなく長命種のエルフという、人間とは別の視点を持つ存在であるという事だ。つまり、エルフという、人間外の存在が、人間を知っていった果てに人間とはどういう存在か結論を出す物語でもある。しかし、その意味だと気になるのが、この作品内で、人間側がほとんどいい人であるという事だ。ヒンメルやフェルン達のような、いい人間ばかりに触れてきたフリーレンは、当然人間に好意的であるし、人間のポテンシャルも認めている。それに対して、フリーレンは魔族に対しては、既にわかりあえない悪と断定していて、完全な敵という結論が出ている。

 しかし、この描きかたは少し違和感がある。というのも、普通人間の中にも魔族と同じかそれ以上の悪がいたり、逆に魔族の中にも、優しい奴もいるというような描き方がされがちだからだ。
 例えば有名な所だと、H×Hのキメラアントなど、最初はいかにキメラアントが残虐で恐ろしい敵であるかを描いておいて、実は、人間の悪意の方が、キメラアントより遥かに上だったという結末が描かれる。 

 つまり、魔族のような悪が出てきた時、オチとしては、実は人間の方が魔族より、ずっと残酷でヤバイ存在であったという結論にいきやすいのだ。しかし、フリーレンでは、今の所人間が善で、魔族が悪というようになっている。だから、この先の展開で、フリーレンが人間の悪意に触れて、人間が善で、魔属が悪という価値の転倒が起きるのかは興味深くはあるのだが、フリーレンでそういう展開はやらなそうだとは思う。そういった部分もある意味現代的であると言えるだろう。

○黒幕はヒンメル?初期構想を破壊する可能性はありうるか!

 ただ、今作で、そういったどんでん返しがあるとしたら、ヒンメルを黒幕にするのがいいと思う笑 実は魔王も魔族もフリーレン達もヒンメルの目的のために利用されており、ヒンメルは死後発動する魔法で復活してラスボスになる。そして実は和解していた魔王とフリーレンが共闘し、ヒンメルを倒すと。ヒンメルがフリーレンの回想で神格化されすぎてるのも実はこの展開のためのフリだったという訳だ笑。この展開なら、フリーレンの魔族と人間の善悪の価値転倒の話にも繋がる。
まあ、まずないだろうが、そういった初期の構想を破壊するような展開も面白そうである(今いったような展開はないだろうが、女神と魔王が同一の存在であるぐらいの展開はあってもいい気はする)。 

 とまあ、好き勝手な事をいったが、今作の僕の感想はこんな所である。今やっている過去編は、フリーレンの回想ではなく、現在の記憶を持ったフリーレンが、ヒンメル達と魔王を倒す旅をしていた過去に送り込まれるというような展開になっている。正直この展開は、下手をすると、今の記憶を持ったまま過去をやり直すという、フリーレンのテーマを台無しにしてしまうような危険性を孕んでいる気がするが、この過去編も含めて、この先、この漫画がどのような展開を見せるか楽しみだ。

 最後まで読んで頂いてありがとうございました!ではまた🙋

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

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