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昨日は1日床に伏し一食も口にできなかった。

が、どうしても山に行きたく、日の出前に起き、7時過ぎに登り始めた。

かねてからの計画の高尾山系、太鼓曲輪尾根、心源院尾根がメインのはずだった。

けれど、太鼓曲輪尾根から北高尾山稜に入り、富士見台へ向かうはずが、御主殿へ向かう分岐を見つけ入った。

ただ行ったことのない道を選んだだけだった。

行き着いた先が八王子城跡。

八王子神社や詰めの城などは行ったことがあったが、ここは初めて。

八王子城跡は山に埋もれて、城郭が森と一体化していると思っていた。それが思いの外広く、大きな池まであったらしい。

平成に入り復元工事をしたとあった。

北条氏照築城の城だ。
しかし、豊臣氏軍勢により1日で落ちた。

城主の氏照は小田原にいて不在。

数少ない家臣と女性、子供を含む民衆合わせて1300もの人が死んだ。

御主殿の滝で多くの人が自死を選んだ。川は赤く染まったとある。氏照は切腹をした。


その後、登り返し、心源院尾根に入った。
氏照墓を示す分岐があった。

何かの縁を感じ、600mほど下った。

墓はあった。

氏照墓を挟み家臣の墓があり、それを守るように多くの墓石が並んでいた

死んでもなお人望篤い城主だと感じた。

この辺りは心霊スポットらしい。
しかし、悲しみは感じたが、恐れはない。
きっとまだ守り、暮らしているのだろうと思う。

正直食事ができていなく、力があまりでなくて、キツい山行だった。

だからなのか無意識に誘われて、時を遡った。
八王子城のかつての息吹きを確かに感じたと思う。

最終地点の心源院も、かつては僧兵として八王子城を守っていたそう。

歴史は生々しい。
かつて死は身近に、明日にでもあった。きっと今でもそれは変わらない。

気づくか、気づかないかの違いでしかない。

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