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群ようこ『この先には、何がある?』【読書7】

群ようこのエッセイは高校生のころよく読んでいた。近頃また読み始めた。

いままであまり気づかなかったけれど、割と強烈なこともいっているなと思った。昔からこうだっただろうか。嫌いじゃないけど。名の知られた人が親のことをクズと書いていた。たしかにクズだけど。

原稿を書いた際に校正者からのチェックが最近増えているらしい。わかる気がする。校正者いわく苦情をいってくる人が昔より増えたとのこと。過剰反応する人が増えているのは確かだろう。

でも群ようこも書いていることが正直すぎる。読者としては当たり障りのないことを書かれても面白くないけど。

転職六回

正社員でもアルバイトでも、自活できればどちらでもよかった。〜私はずっとアルバイト待遇でいたかった。給料の額や保証よりも、自分の時間をなるべくたくさん持ちたかったのだ。

「転職六回」より

大学卒業時の群さんの心境に共感する。私の時は就職氷河期だったし、どうせ長く働くつもりもないから正社員じゃなくてもいいやと思っていた。

NetflixのLIGHTHOUSEというトーク番組で、オードリーの若林と星野源が「世の中には2種類の人間がいて、同じことを永遠と続けられる人と、同じことを続けられずにすぐに飽きてしまう人がいる」ということを話していた。確かにそう。

私は同じことを繰り返し続けられない派だ。わたしも飽きてしまい転職しまくるのかも。かかりつけの病院も変わってしまう。同じ病院にずっと通えないからだ。同じ美容院にも通い続けられない。引越しも多いかも。「飽きてしまうから」。そう、しっくりくる言葉だ。

編集者


中瀬ゆかりという名前が出てきてびっくりした。そうか。確か今は新潮社出版部の部長だったと思う。若かりし中瀬ゆかりは群ようこの担当していたんだ。

単行本の校正を見るのがとてもいやだった。というのも校正というより、添削をしてくる校正者がいたからだ。

「編集者」より

私も校正の勉強もガッツリしたし、校正の仕事もしたこともあるが(noteは校正してないので誤字や敬体常体混合があってもほっといて)、添削なんか絶対だめだ。

若い作家の作品に中高年の校正者が赤ペン先生のごとく添削しているサマが目に浮かぶようだ。

最近とあるライティングに関する本を読んでいたら「話し言葉と書き言葉が入り混じった文章は稚拙でデキない奴だ。格が下がる。」と書いてあった。…そんなにボロクソ言わなくてもいいじゃないか。

その本には「句読点を正しくつけろ」と書いてあったが、言ってるそばから句点ついてないところ2か所あったぜ?おかしな衍字も見つけましたけど。格が下がりますよ。ライティングの本ですから。

正直に書く

普通を求め、普通を書きたいと思っている私が、実は普通ではない。〜悩んで出した結果は「すべてを正直に書く」だった。

「正直に書く」より

先生は売れっ子作家。お金持ちで高額な家賃の住居に住んでいるのに「普通」を求めているため、その矛盾に悩んでいた。

本当にすべてを正直に書いているので、読んでいるこちらの方が大丈夫かな?と心配するほどだ。肝が相当据わっている。

映画原作


フィンランドを舞台に食堂の話を書いてくれないか、と声をかけられて映画「かもめ食堂」の原作を書いたのだそうだ。本の方が先でその後映画化されたのかと思っていた。

かもめ食堂


沢木耕太郎さんが、新聞で大きく紹介してくれたことが嬉しかった、と書いてあった。この本の中ではそんなビッグネームがたくさん出てきてその繋がりにびっくりする。

映画をアマプラで見返した。「この世の終わりには美味しいものが食べたいよね」という主人公達の会話があった。

この世の終わりはタトゥーを入れたいと海外ドラマを見ていてふと思った。ドラゴンタトゥーの女みたいなのに憧れるが温泉大好きだしこの世の終わりなら彫ってもいいかなと思う。でもこの世の終わりに痛い思いしたくないよな。やっぱりこの世の終わりは美味しいもの食べる、という結論が正解かもしれない。最後に温泉も入りたい。

そう、ドラゴンタトゥーの女に憧れているが、今はHTMLの基礎のコーディングで頭抱えている状態なのであんなにかっこよくキーボードたたけそうにない。

あのほとんど何も起こらない映画を楽しく見てくれた人がたくさんいたということは、必要以上の自己主張や、大声を出したものが勝ちといった世の中に対して、それは違うと思っている人もいたと私は解釈した。

「かもめ食堂」より

世の中声の大きい人の方が絶対得だと昔上司に言われたことがある。だから大きな声を出せと。確かに会社の中では何でも声が大きいもの勝ちだった。うらやましいけどね。

「こうして頂戴!!」と大声で主張できる人が会社にたくさんいた。自己肯定感がハンパない。

働く人生


女性たちのなんらかのシェルターに対して「私には何も協力できるものがなかった」と書いてあった。必要な日用品がちゃんと指定されていたそうだ。

自分が善意の押しつけをしようとしていたと反省した。内容にもよるけれど、相手が望んでいるものを渡すのが支援なのだ。自分が人に対して物を贈る場合についてもいろいろと考えさせられた。

「働く人生」より

私もやっちゃってる。しかし、私は人に何が欲しいか聞かれるのが嫌なので、私も相手には聞かない。たとえ要らなくてもすぐ捨てられるようなものをあげることにしている。

「何が欲しい?」「何が欲しい?」と何度も聞く友達とケンカになったことがある。欲しいものは大抵自分で買うからわざわざ人に買ってもらう必要がない。それに欲しいものの中から相手の懐事情を考えて買いやすいものを答えさせるのが気に食わない。そもそも仕事で疲れている時だったのでカリカリしていたのだが、少しは自分で考えてよーと思ってしまった。

相手は「要らないもの貰っても困ると思って」と言っていた。つまり私が要らないもの渡したっていいたいわけ?とまたカチンと…。

それなので「何がほしいの?」と渋々聞いたら「あのドラマの中に出てくるうさぎの栓抜きが欲しい」とか言われて、そんな難しいこと言わないでよ。普通に手に入るものにしてよ…てな具合で。

私はとにかく要らなければ人にあげたり捨てられるような消え物をあげるようにしている。昔は高価なものをあげていたがお互い負担になるので、年齢とともに逆に安いものをあげるようにしている。食べ物とかね。


なんとか久しぶりに読書のアウトプットができた。7月に読書したけれど読みっぱなしの本があるのでまた読み返してそれについてここにアウトプットしようと思う。

他の人がnoteに読書感想文書いていて「おもしろそう」と思って読んでみることが多いので、自分も人が読みたくなるようなレビュー書きたい。

樺沢紫苑の『ストレスフリー超大全』の冒頭に、小さなアウトプットを積み上げていくことで自分の生き方、生きる方向性が見えてくる、と書いてあった(これもまだ積読中)。確かにそう。体感している。

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